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今までのあらすじ(闘病記)(ウサギノヴィッチ)

 偶然の連鎖というのというもので、今の僕は生きているし、これからもなんらかの形を施されてれて生きていると思う。
 
 ここまでのあらすじとし、最初から話しておくことがある。
 
 それは二月の中旬に僕は虫垂炎になった。
 入院するまでに三つの病院にかかった。
 一つ目の病院は、漢方を中心としてだす小規模の病院だった。僕は昔からお腹にガスが溜まりがちで、そこでなんとかしてもらっていた。なので、今回もそういうのだろうと思い、そこでもらった漢方をもらって、飲んだら、確かに効いた。
 半日だけ。
 その日に夜に熱をだし、これはインフルエンザなのかもしれないと思い。近所の町医者にかかった。そしたら、そこで小さなエコー検査機を使って患部見て、
「これは虫垂炎かもしれないです。うちより大きい病院でCTで見てもらってください。今から紹介状書くので」
 病院探しにちょっとてこずった様子だったがなんとか見つけた。
 三つ目の病院でCTスキャンをとり「虫垂炎」ということで、入院が決まった。
 この頃の僕は、記憶がほぼない。記憶が戻るのは。入院して十日目くらいしてからだった。
 主治医は、炎症が治るのが遅くなったが、急によくなたったと言っていた。ただ、退院のスピードは早かった。中途半端なところで外に出されたと言ってもよかった。
 なぜなら、僕が向精神薬を飲んでいて、病院では処方できないとの話だったから。
 だから、僕は退院してすぐにコロナの若干広まりつつある東京にある、自分のかかっている心療内科に薬をとりに行った。
「疲れた」というのが一番の感想である。
 
 ここで勘違いが起こり、偶然が起こる。
 主治医との最終的なチェックと血液検査が、自分の思っていた日と一日間違っていた。
 そこで終わることもできたのだが、その先生が気を利かせて、主治医の先生との診察の日を予約してくれた。
 予約の日。主治医の先生は僕のCTスキャンの映像を見ながら、「盲腸大きいようね」と言った。「これは一回内視鏡で見たほうがいいかもしれない」と言って、内視鏡で見ることになった。
 内視鏡の日、僕は過去に内視鏡はやったことはあったが、この病院のやり方とは違った。それは、麻酔を使わないことだ。それにより僕が拒否反応を示し、最後まで見ることはできずに、大学病院を紹介された。
 大学病院では内視鏡の検査をしていたら、スムーズに言ったものの、ある異物が発見され、虫垂からは膿みが出ていた。
 
  今、その除去に向けて、僕はあらゆるところを検査して、入院に備えている。
 
 

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