だらだらと振り返る(Pさん)

 去年の暮れの流れでずるずると、去年のことを日記から振り返っている。

 二月頭のあたりに、このnoteを始める構想を立てている。

 ウサギさんと交互にエッセイを書くという本を頭の中で構想している。ウサギさんの出方にもよるがじっさいに実現するかどうかはわからない。

 これが結局実現したわけである。ウサギさんの出方、というのは、ウサギさんは新企画を立てるにあたって、とりあえず辛めの評価をするところがある。今の、企画乱立状態を顧みてみれば、まあそれくらいでちょうどいいという気はする。しかし、この、去年の二月の段階では、自分等は毎回文学フリマに出て、同人誌を売っているということしかしていない、なんか新しいアプローチはないだろうか、という意識が強かった。
 僕は、繰り返しになるけれども、どういう濃度なのか、効果なのかは措くとして、とりあえず何かをし続けているというのはいい状況なんではないかと思っている。

 同じく二月の上旬、キルケゴールとショーペンハウアーを読み比べて、ショーペンハウアーはわかるけれどもどうもキルケゴールがよくわからないということを書いている。どちらも鬱系の哲学者であるというこの上なくざっくりした把握をしていて、それで比較しているわけだけれども、キルケゴールはキリスト教的な独断があり、それが何というか肌になじまなかった。ショーペンハウアーは、まだ哲学の正統な流れに属しているようだから、何というか、感性がこっち側にあるという感じだった。

 二月十五日、カホンを買ったらしい。今、そのカホンの上に、ブックオフで売るつもりの本が積まれている。

  二月下旬、自分の中では衝撃的であった、西谷修の『夜の鼓動に触れる』を読み込んでいる。それから、クラウゼヴィッツやレヴィナスを読もうかという気が起きたり読みかじったり、フランス革命の歴史をさらったりしたのだった。

 前後するけれども一月にとあるマッサージ師にストレッチや温冷交替浴、プールでのウォーキングなどを勧められて、それが元スポーツインストラクターなので完全に信じ切ってしまって、二月に水中ウォーキングをした。しかしそれに伴って自分の通っているスポーツジムが長い改修工事に入って、別のプールを使用することになったのだが、そこで何度も「歩くレーンでは絶対泳がないように」「ゆっくり泳ぐレーンではいったん立ったり歩いたりしないで下さい」などとうるさく言われたのでプール自体をやめてしまった。

 五月、文学フリマがあった。とーいさんの登場を「年月を感じさせない飄々とした登場」と評していた。ニーチェを切れ切れに読んでいた。

 この頃は、また仕事が忙しくなった。仕事が忙しくない時期なんてなかった。

 人から押し付けられた読書はやっぱり身につかない。

 七月、家飲みでの中心はまだサントリーの角ハイボール「濃いめ」だった。つい最近、十月頃だったか、炭酸水で薄めるレモンサワーというのにはまってしまって、それからはパッタリと「濃いめ」を飲まずにレモンサワーばっかり作って飲んでいる。

 十一月、ミラーの『冷暖房完備の悪夢』を読んで、長距離の散歩をまた再開したいと言っている。これ、まだ読み終わっていない。

 感覚として、去年の七月くらいからは、いろんな意味で精神的な隔たりみたいのを感じるが、十月からこちらは、ほとんど、今考えて過ごしている時間と隔たりを感じない。九月あたりに、何かあっただろうか? 去年通して、これという大したことは起こっていなかった。

 このころ、ヴェイプという、電子タバコを買うのだが、今、何度目かでコイルが焼けていて吸うと味が妙なのと血痰みたいな色が滲んでいるので嫌になってしばらく放置している。

 十二月は、定期的にものを書くと決めたので、ある程度内容は充実していた。結局、創作にかかわる進展は、ほとんどなかった。

 振り返りも終わったので、今あるバインダーから、保存用のでかい事務所にあるみたいなバインダーに、去年の日記を移し替えた。二、三百枚分くらいはあったので、なんとなく満足している。

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