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文学フリマ戦利品感想その3 東示(確率依存)『未完、消える幽霊の指紋』(Pさん)

 これは本ではなくまた受領されることを前提とした書簡でもない、一方通行であることを宿命づけられたがゆえにより手紙らしくなった手紙に書かれている。幽霊に指紋は存在するのか? 実は、そこのところ(指紋と幽霊の跛行的関係に新しい存在論を探る)は、橋本一径の『指紋論』に詳しい、が、東示さんがそのことを知っていたかどうかは知らない。私達は、それが崩されないものとして確信して溜め込んだ知識、富、あるいは富としての知識、知識としての富、そういったものが、根底では確率に依存していることを知りたくはない、しかし彼は、そのことを「ノンフィクション|エッセイ・随筆・体験記」の片隅から、ひそかに告発したいのかもしれない。そのわずかな地響きは、「ミステリー」「幻想小説」などの数々の川を越えて、こちらにも届いてきた。我々は指紋を持ったその日から、厳格なアイデンティティを持った、人間というものになってしまったのかもしれない。

人だからといって動物とは限らないことの証明として、排水溝に赤い水がしたためられる。(『小説 五秒後の想像力に亡命する』)

シャッフルされた小説に順番やまして筋などありはしない。ダブルミーニングによる疾走、変化する妄想、確固たる葬送に従う場違いな膀胱。マッチを擦ると現れる感傷にオールインせよとの煽動、不安を感じると安堵が欲しくなる。安堵するとまた、不安が欲しくなる。中毒者の象徴、キクマサではなくマサシク鬼殺し。

気づいた時には輪廻が終わり、転生が間に合わないことを(同)

因と果が一続きとは誰が定めた。満月を見上げて「アン・ガンダ」と笑えば因の数が減り、果の未来が増える。(同)

この小説群は「途中まで読む」ことを許さない。どこまでも滑り落ちる途中の崖ばかりだ。どこにいたのかも忘れてひたすら滑り落ち続けるしかない、何という読書だろう、しかしこれこそが読書そのものなのかもしれない。


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