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【インドネシア・ジャカルタコタ駅】子供の頃行くのが楽しみだった上野駅の思い出をよみがえらせてくれた

ジャカルタコタ駅(Stasiun Jakarta Kota)は、インドネシアのジャカルタの中心部から北に位置する鉄道駅である。この駅はコタ駅とも呼ばれ、終点タイプ(最初/最後の旅)のインドネシアで数少ない駅の1つとなっています。ジャカルタコタ駅はジャカルタ都市圏の近郊路線網を構築するKRLジャボタベックの最も主要なターミナルになっていて、ボゴールやブカシ行きの出発到着駅になっています。利用者数も非常に多く、特に朝・晩は多くの通勤・退勤客で混雑しています。

コタ駅はオランダ式の文化遺産

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コタ駅は1887年に開業しました。東バタヴィア鉄道輸送会社が最初に建設して、昔はバタヴィア南駅と呼ばれていました。
1929年に駅舎は建て替えられ現在の姿になりました。駅舎はオランダ人建築家が設計したので、ドーム型の大きな屋根があり、そこからホームが伸びる様子は、西洋の駅にいる感覚になります。文化遺産にも指定されているそうです。
最近コタ駅周辺は、開発が進み新しい商業スペースを作る予定で改装しようとしており、駅舎を保存するかどうかで議論されているそうです。

長距離列車がなくなったコタ駅

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長い歴史を持つコタ駅は、かつてはジャワ島内各地を結ぶ長距離列車のターミナル駅としてインドネシア鉄道史とともに長らく機能していました。

しかし、1990年代後半より同駅発着の長距離列車は徐々に削減され長距離列車は、独立記念塔が近いガンビル駅などに発着が移動しています。

懐かしい上野駅の思い出

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現在は、長距離列車の発着はなく、通勤電車が行き来しているだけの駅となってしまったのでなんとなく寂しい雰囲気ですが、コタ駅にいると突然上野駅と同じ感覚になったのです。
急に子どもの頃に行った上野駅での思い出がよみがえりました。

小さい頃から電車が好きで良く東京へ連れて行ってもらいました。上野駅から出る、ブルートレイン「あけぼの」、寝台特急「はくつる」「ゆうづる」などを見に行くのが好きでした。当時は、青函トンネルもなかったので、もちろん「北斗星」は走っていませんが、盛岡行寝台「北星」がありました。昼間は、青森行「はつかり」、盛岡行「みちのく」、仙台行「ひばり」、新潟行「とき」、長野行「あさま」、常磐線いわき(昔は平)行「ひたち」など様々な方面行きの特急や急行などが次々と訪れる出発や到着時刻にあわせて、上野駅のホームを移動して見ていました。

上野広小路口のずらっと並んだ改札口の上の掲げられた特急の出発案内版をみながら、忙しく多くの人が列車の待つホームに移動する様子を見ながら子供心に「ああ、これが東京なんだ」と憧れを思ったものです。

上野駅が持つ独特の雰囲気

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「北への起点駅」といった上野駅の持つイメージを醸し出している、行き止まり式の多数のホームとその先の広いコンコース、照明はあるものの上に常磐線の高架が覆いかぶさっているがゆえの暗さ、「みちのく」へ向かうといったイメージもあって、同じ大規模ターミナルである東京駅とは違った独特の雰囲気を持っているのが上野駅です。

列車待ちの人の列やそれらの人たちのざわめき、駅コンコースに飛び交う東北弁を始めとした東京とは異なる言葉の渦、列車に連結された荷物車に荷物や郵便物を積み込むために構内を走り回る荷物台車、と上野駅だけが持つ独特の雰囲気が漂っていました。

かの歌人石川啄木が「ふるさとの 訛なつかし 停車場の 人ごみの中に そを聴きにゆく」と詠ったのは、この上野駅の地平ホームとそれに続く改札外コンコースのことなのですが、この歌からも判るように、東北から上京する人たちが必ず経由する上野駅は、東北地方をそのまま持ってきたような雰囲気がありました。

後の新幹線開業によって上野駅を発着する長距離列車はほとんど無くなってしまいましたが、それでもまだ地平ホームには新幹線や他の上野駅ホームとは異なった、遥か北への旅へ誘う雰囲気が残っています。

新幹線は確かに日本の交通体系に大変革をもたらしましたが、その速度と便利さといった得たものの代わりに、旅情や遠い地への憧れと羨望、列車の長い旅がもたらす普段の日々とはかけ離れた移動感と非日常感といった失ったものも多いと思います。

コタ駅と上野駅の同様感覚

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そんな失われたものの片鱗を今もなお残しているのが上野駅のホームであり、そういった普通では得がたい感覚が上野駅から5,000Kmも離れたインドネシアのジャカルタで同じ感覚になるとは思いもしませんでした。

今でこそ上野駅発着の長距離列車はなくなり、新幹線も地下駅となっていて、通勤電車が忙しく行き来している様はコタ駅に通じます。

ジャワ島各地からジャカルタへ夢や希望を乗せて地方から都会にやってくる様子は、日本もインドネシアも同じなのでしょう。

人々の出会いや別れなどの節目でいつも古い駅舎が長い時間、人生を見てきたのでしょう。
旅情感じるジャカルタコタ駅、いつまでも同じ姿で有り続けて欲しいものです。

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