【思考】取材をするという事
一週間という節目で、自分が書いてきたことを振り返るようにしてきました。
感じたことの中でもより変化したと思う事こそ「取材をするようになった」です。
今回はその「取材」について考えてみますので、よろしければお付き合いください。
アウトプットとしての取材
取材。読んで字のごとく”材”を“取る”。
一応辞書も引いてみました。
取材・・・作品や報道の材料を、ある物事・人物から取ること
取材とは、その行動からインプットの要素が強いと感じますが、よくよく考えるとアウトプットとしての質も高いと思います。
例を挙げると番記者・担当記者の存在です。
情報は鮮度が命という事もありますが、何故その記者がそういった存在になるのかという観点で考えると、鮮度だけの問題ではないと思います。
まず、その物事の前提を理解し、意図に沿った内容で取材を行うことでより質の高い情報・知識を集められます。
また、癒着は問題視されていますが記者とはいえ見知った人に話すのと知らない人に話すのはハードルが違いますよね。
取材対象から何を得られるかというのは、取材する人の立ち振る舞い、立場、言動、態度によって大きくふり幅があると思います。話の内容は勿論。
結局は取材者の主観で、メモ帳の中身は構築され、出版社の思想で紙面にあがるのですが。
これらのことから、取材することはアウトプットでもあると言えると思います。
日常での取材
取材と一口で言っても、すごく広い意味・手段があります。
・政治家に話を聞きに行くのか
・専門家に話を聞くのか
・街ゆく人に聞くのか
・電話で聞くのか
・メールなのか
私はネットで記事を読んだり、SNS、調べものをすることも立派な取材だと考えています。
よくアルバイトの子と話をしますが、自分の前提とは異なる視点からの話はとても面白いし参考になります。
これはその子の視点から見た物事に対する興味の糸口でもあり、その人の考え方を通して見た他の物事と関連付けて考える時などにとても有効かと思います。
平たく言うと、この人ならどう考えるだろうと思考する事でより多角的な思考ができるという事です。
大事なのは「取材している」という意識
樺沢先生の「アウトプット前提」と似た感覚です。
「モノを知らない大学生の与太話」を聞くのか「〇〇が好きで、××というものを勉強している一人の人間の視点」から見た話しと捉えるかでは、聞き方も話し方も変わってきますよね。
話している内容から逸脱し、いわゆる論点や話の前提が変わってくると時は指摘しますが、それを踏まえて話を続ける人と黙ってしまう人とでは、得られる内容もそもそも違うとも思います。ハロー効果でしょうか。
聞いた話を誰かに話す事は明らかに発信です。
noteを利用されている方は十分に理解されていると思いますが、その話の造詣を深め、自分の考えも発信する。
ということから逆算すると、普段の何気ない会話だったり、タイムラインに流れてくるくだらないコピペも全て取材の一片であることは間違いないです。
その意識があるだけで、この発信生活はより満ち足りたものになります。
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