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多言語との出会い

ヘーブ ステファン ヨセフ 外国人特任助教

スイスに生まれると、「スイス語」というものはありません。西欧大国のドイツ、フランス、イタリアに囲まれたスイスには、それぞれの言語の地域があるわけです(独語は3分の2、仏語は2割、伊語は7%、そして6万人のロマンシュ語母語話者がいます)。

スイスのドイツ語圏の地方出身者として、かつての私はそちらの方言を「狭い」と思い込んでいて、理想の探求のため多言語への道を歩み始めました。

中学校から勉強していた仏語と英語に加えて、ラテン語の勉強に強い関心をもっていました。高校のときは、州の首都の高校は遠くて行けなかったため、興味のあった古代ギリシャ語はとれませんでした。ただそれでも、フランス語・ラテン語・(少しの)イタリア語に加えて、16歳の頃、1年間交換留学生として南米のベネズエラに滞在できました。スペイン語の習得とともに、その頃までただの書き言葉として勉強していた英語を実践で使う機会でもありました。

そして、高校卒業後、「キャリア」という社会的現実をわからず(無知だけでなく、無視もありました)、大学の代わりにスイス航空に就職しました。20歳のキャビンアテンダントとして世界を回りながら多言語の練習も深められました。ちなみに、成田空港周辺の二泊滞在も3回できました。いつか日本で暮らすことは、想像もしませんでした。

その後、仕事をやめて、スイスのフランス語圏の国際都市ジュネーブに引っ越しました。「アカデミックの自由」という原則とスイスの公立教育制度のおかげで、同時に社会学部と人文学部で勉強しました。思想・社会・言語(その意識はありませんでしたが)を中心に、ようやく1年に古代ギリシャ語の基礎を履修できて、そして2年からロシア語、3年から中国語、4年生から日本語を勉強し始めました。

こういう道は精神的におすすめなのかわかりません。言語は多くて一つの人生や生活にとりいれることは大変なので、負担感や寂しさもないわけではありません。ただ、神大で教えるようになって、学生たちと言語を勉強する喜びを(特に「人生後半の母語」になったフランス語)シェアできることはこの上ない幸せになりました。


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知床半島・羅臼から見える根室海峡