オートマ車は電池切れ寸前の光学マウスだ
最近こんな記事がバズっていた。
まずはMT操作を見た事がないーという人がいる事に驚いたのと同時に残念だった。
しかし昔(?)は活発だったネット上でのMT派対AT派の議論が今回も見られた事は嬉しかった。単純に車に対する様々な意見に触れられる事は面白い。
ちなみに昔も今もMT派のティピカルな意見としては、
車と一体感があるー
機械を操作する楽しみー
シフト操作が楽しいー
誤発進抑制になるー
等が挙げられると思うが自分自身が思うMTの良さをズバリ説明しているのをネット上では見た事がなかった。
そこで今回は所有する2台ともマニュアル車という根っからのMT派である私の個人的MT車の良いところを解説したいと思う。
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マニュアル操作における花形は自分の手で行うシフト操作と思う。操作しているのがわかりやすいしかっこいい。
しかしマニュアル車が優れている一番のポイントは右足のアクセルだ。
下の図は6速マニュアルミッションの車のエンジン回転数(左y軸)と速度(x軸)にアクセルの踏み込み量(右y軸)を加えたものだ。
見ての通り、1速で発進してアクセルを踏みスピードが乗ったら2速にシフトチェンジする。この時ギヤ比はもちろん1速<2速なので、エンジンの回転数を下げなければスムーズにクラッチは繋げない。エンジン回転数を下げるにはアクセルを緩めれば良い。以下同様に3速、4速と続いていく。
つまり何が言いたいかというと、
アクセル開度とエンジン回転数が常に一致するのだ。右足の動きが完全にエンジンとシンクロする為に生まれる車との一体感なのである。
一方同じ車でAT車の場合は下の図のようになる。
加速する時にアクセルを踏み込み、スピードが出たあとは一定速度まではそれほどアクセルを踏まなくても惰性で巡航し、オートマチックにギヤが上がっていく。
ATにおけるアクセルとは速度を上げたい時に踏むものなのである。
文字にすると当たり前のようだが、アクセルが加速度としか連動しないというのはエンジンが存在感を放つ現代の車では違和感の原因となる。
加えてアクセル操作が加速度にある程度の連動はするが、シンクロするとは言えない。加速度はギヤの選択により変わったり、トルコンによる動力ロスが発生しているからだ。
(したがってどの回転数からでも力強い加速ができる電気自動車ならばアクセル操作と加速度がシンクロして気持ちのよいフィーリングとなるかもしれない・・・)
この人間と機械がシンクロできない違和感は、普段マニュアル車を運転している者からすると電池がなくなりかけている光学式マウスのように感じる。電池がなくなりかけるとポインタの動きが手の動きについてこず、苛立ちを覚えた経験がある人も少なくはないだろう。
まとめ:
エンジン回転数と右足がシンクロする状態ではより思い通りにエンジンを(車を)操る事ができる。
自転車に乗る人はわかるだろうが、人間にも快適なペダル回転数がある。確か1分間に90回転ぐらいだったと記憶するが、これを保つ事ができれば向かい風だろうが上り坂だろうがある程度快適に自転車をこぐ事ができる。
車のエンジンも一緒で車にとって”快適な回転数”というのがある。あるいはエンジン音が心地良い回転数、力が最も出る回転数といったところもあり、これがエンジンの性格といえる部分だ。
エンジンのどんな性格(性能)を味わいたいか、MTの場合それは速度に応じたギアの選択でいつでも可能だ。
数十年前までは老若男女問わず誰もがMTを運転していたし、今でも国によってはマニュアル車の方が一般的である。
誰にでもできるとは言わないが、大多数の人がMT車を運転する程度の能力を持っているのは事実。
”たまたま”日本では少数派という理由だけで安易にMT車を敬遠するのはとても残念な事である。
今後の人生で膨大な移動時間が心地良く楽しい時間となる可能性がそこにはあるのだから。
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