僕に障害があっても ポジティブに生きられた背景(※論じません)①

今日は 筋ジストロフィーが判明した小学生の頃の話を
 子供たちの世界に焦点をあててしたい
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 小学1年生の頃、検査のため入院し、進行性筋ジストロフィーが判明。簡単に言うと、全身の筋力が徐々に低下する病気。


おとうとの想い

僕の知らないところで、こんなエピソードがあった。

 近所にお稲荷さんがあるのだが、病名が判明することになった入院中、弟がそこに通ったという。

 「お兄ちゃんの病気がよくなりますように」とお願いをしていたのだ。毎日毎日、真剣にお参りしていたそうだ。

 特別お稲荷さんを信仰していたわけではないけど、時代劇をよく見ていた影響かもしれない。
 それでどうなる ことではないと思うけど、それだけ大事に思ってくれてたんだ、ということが心に沁みる。入院って⁈、どうなってしまうんだろうと本気で心配してくれたのだ。

 兄想いの弟をもって、幸せ者だ。
 特に印象に残っていること以外にも、小さい頃の日記を振り返ると、兄を助けようという気持ちをとても強くもっていたのが、感じられる。
 「守ってあげるよ」と書いてあった。

 兄想いなのは 今も全く変わらない。

 弟がそういう気持ちをもつというのは、育て方が良かったと言えるのかもしれない。
 小さい頃の一時期、弟が僕に当ってきたりすることが多くなったことがあった。
 階段を登るのが大変な時など、母が僕をおぶったりすることがあって、ヤキモチのような気持ちをもったらしい。足を痛めておぶられた時には、「ずるい、ずるい」と言っていた。
 それで、母は、なるべく同じにするように工夫していた。階段で僕をおぶったら、もう一度降りていって弟もおぶる。何か世話したら、弟にも同じことをする。という具合に。できる限りのことをしていたようだ。

スペシャルルール

 友達はどんどん体力がついていくのに、段々と筋力が落ち、出来ない事が増えていく。
 友達との遊びでも、鬼ごっこでみんなについていけなくて、途中でやめてしまったこともあった。
 体育の授業でも同じだ。「とび箱がいやだ。上手にとべないから。でも、本当はぼくも上手にとびたい。」と、日記に残っている。

 少し大きくなってくると、友達もなんとなくわかってきて、工夫してくれた。

 例えば、野球では、代走ルールを作ってくれた。
 僕の振るバットに当ったら友達が代りに走ってくれる。
 あと、僕の打席の時だけ、打ちやすいように下投げだったり、守備の時はひとり多くしたりもしてくれた。

 これでゲームとして成立して、楽しめた。

 そして、チームに一人また一人と選ぶ時、とうてい戦力にならず、普通なら最後まで残りそうなものを、選んでくれた。
 それが、何よりもうれしかった。友達も、余ってしまったらどういう気持ちか、わかってくれていたのかもしれない。


運動会

 小学生までは、運動会は欠かさず参加していた。
 高学年になると、走ると言っても、体を左右に揺らしながらゆっくり歩くといった感じ。
 走るかどうか、先生に聞かれた事が一度あった。

 みんなが出るのに、自分だけ参加しないなんて、絶対に嫌だった。
 それに、当然走るものだと思っていたので、迷わず「走りたい」と答えた。
 希望通り参加できるように先生も工夫してくれて、スタート位置をみんなより前にしてくれた。

 「パーン!」というピストルの音とともにスタート。

 僕なりの走り方で走っていると、まわりからは、「なんだ、あの走りかたは」といった笑う声も聞こえてくる。
 そして、少し行ったところで脚をとられ、「ズテ―ン!」と転んでしまう。

 その時、弟の声が聞こえてきた。
 「兄ちゃんガンバレ!」と大きな声が。

 闇に射すひとすじの光のように感じられ、立ち上がることができた。
 繰り返し「ガンバレ!」と、トラックの脇を走ってくれた。何よりも励みになった。

 今度は同級生たちが、「ガンバレ!」と声をあげた。

 運動会は紅白で競ったのだけれど、紅白関係なく応援の声があった。それが、すごくうれしかった。
 たしか、最初に声をあげた同級生は、いつも世話をやいてくれたアネゴ肌な子だったと思う。

 かなりの時間がかかりクタクタだったけど、ゴールまで辿りつくことができた。
 その時は、校庭いっぱいに大歓声の渦で、拍手が起こっていた。

 弟の愛情を最も感じ、同級生たちの温かさも肌身に感じた時間だった。
 また、今にして振り返ると、偏見から理解、共感というステップが一気に起こった空間でもあったと思う。


役割があれば...

 バスケットボールの授業でのこと。
 僕が何もできなくても、誰も文句は言わなかった。

 みんながシュートを入れてくれる。
 僕に何かできることはないか?

 状況を見てどう攻めるか守るか、大きな声で伝えた。
 そして、ゴールに入れば仲間を盛り上げた。

 不思議なくらいうまくいった。
 一人欠けたようなものが、なかなか負けない。
 もしかしたら、僕がいる分、みんなが頑張らなくちゃと思ってくれたのかもしれないが...

 何ができる、できない、ということで言ったら、間違いなく一番役に立たないはずだ。
 でも、こういった結果があったというのもひとつの事実だ。


 ある時、チームの友達にパス掴める?と聞かれる。

 なんとなく キャッチするイメージが浮かんだので、
 「うん、できる」と答えた。今考えるとできる訳ないんだけどね。

 その日の体育の授業の時、
 まさかのロングパスが飛んできた!

 結果、僕の頭上を大きく越えていった。
 そして、その友達は「危ないでしょー!」と先生に怒鳴られてしまった。

 僕に一度だけでも シュートを入れさせてあげたい、という気持ちに他ならなかった。
 あの時、それを先生に言えなかったのは、悔いが残る。
 そして、「あの時は、ありがとう」

 何と言ったら良いか?難しいが、
 みんなが役割を担い、僕に与えてくれた。そしたら、僕も自分なりのできることを見つけたい!
 それが人の心理のひとつの形なんじゃないか?
 振り返れば、そうやって生きてきた。
 それが、幸せの素なのかもしれない。

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