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劇場に愛をこめて

先日、ジャカっと雀vol.9「劇場に愛をこめて」が終演しました。
ご来場くださった皆さま、誠にありがとうございました。

ジャカっと雀の最後の作品としてふさわしいものになったと思っています。

会話劇でした。

演劇の身体性に魅せられているので、会話劇で締めくくることになったのは違和感もありましたが、トータルでめちゃめちゃジャカ雀でした。

演劇/劇団を主軸にするなんて、そう何度も作れません。
せいぜい団体のうちで1,2作と思います。
そのカードを切りました。

全て終えて思うのは、もう本当にすみません、団体とか自分のことを棚に上げて、若手の俳優力の無さがヤバいということなんですが、置いておいて、項目に分けて振り返ります。

動員

のべ101名(実97名)の方にご覧いただけました。

団体史上最多動員です。

少ないですが、100の壁を超えることができて素直に嬉しいです。

”解散”効果か、客演の皆さまが多かったためか、あるいは口コミで追い上げがあったためか、単純に団体への関心が上昇したからか。
コロナ禍でしたが、劇場へ足を運んでくださりありがとうございました。

Twitterで周りの方へオススメしてくださってる方をたくさん見ました。
お友達を連れてリピートしてくださった方もいました。
めちゃ嬉しかったです。

しかし改めて数字にすると、「少ないなぁ」と思います。
知名度的に?
実力的に?
バリバリ内部の人間なので外からどう見えてるか知りませんが、もっと動員してていいんじゃないかと思います。

ま、いいんですけど。
座席設定はちょうどよかったので、概算どおりです。
もちろん赤字ですが、全然へっちゃらです。きっとよくないのでしょうが。

”ジャカっと雀の最後を見とどけた”97人に、そのことを誇っていただけるような、語り草にしてもらえるような今後を生きていきます。


ご感想

アンケートのご記入、どうもありがとうございます。

たくさん、体温のあるお言葉、イラスト、などなど、しっかりと受け取らせていただきました。
毎度のことながら、これをいただくために演劇をしています。

話をそらしますが、今までの活動で分かったことは、なにも書かず、なにも言わず、なにも呟かずを貫くのは大人の演劇人にしかいないということです。
面白くなければ面白くないと言ってくれればいいのに。
きっと”演劇してる自分”を見せびらかしたいだけの人たちなんだと思います。
そんな人達がつくる作品はきっとクソつまんないので、絶対観に行きません。
こんなブログ読んでるはずもないので、書いてしまいます。
気分を害された方、すみません。

別に強制ではないし、お代を頂いていますし、観てくださるだけで本当にありがたいのですが、マジで、良かれ悪かれ多かれ少なかれ皆さん書いてくださるのは、逆に、そんな方々ばかりお集まりいただいたということなのだと思います。
動員が少ないと嘆いたばかりですが、全然悲観してないのはそのせいです。
関心を持ってくださった方々に自発的にご覧いただけて、とっても嬉しく思っています。

ご感想ですが、予想に反し、多くの方から概ね好評をいただきました。

年上、年下、演劇内/外、あまり偏りがないように感じられました。

きっと居心地が悪くて、話も演劇に寄りすぎて、うわぁって感じになると思っていたのですが、思いのほか楽しんでいただけたようで、すごくホッとしました。

あまり、「楽しんでいただくため」に創作していないので、喜んでばかりはいられませんが、少なくとも”観るに耐える””味わう意欲の湧く””効く”要素が、程度の差こそあれ多くの方にあったということは、やはり嬉しいことです。やったー!!!

特に、セリフと”近さ”についてのご感想を多くいただきました。
セリフについては、〇〇が気に入ったと挙げてくださる箇所が何箇所か、それも何名かずつから、とある程度定まっていて、今までにない経験でした。

厳しいご意見・感想は、やはりなかなかいただくことは少ないですが、ほんとはバンバン言っていただきたいです。

「予想外に」好評をいただいたということが大事に思われるので、「ご感想」の項目を設けました。皆さまありがとうございました。


創作の発端(と震災)

今作の要素として大きくあるのが、東日本大震災です。

この3月で10年という節目でした。

ジャカっと雀として、この話題に触れずして解散はできぬ、と思っていました。
団体員の松隈が、大学の研究の一貫で被災地の方々と演劇を通して触れ合っていたこと・富岡町の方々の市民劇に参加させていただいたこと。
僕は神奈川で、被害のほとんど無いなりに大きな揺れを体験したこと。

実際に被害に遭われた方々と同じ気持ちになることは絶対にできませんが、少なくとも、「この震災があった」人生を送っている人間でいることを演劇と結びつけたくて、今作をつくることにしました。

松隈と話す中で、「負い目・引け目を感じる」という点で激しく共感しました。

「中途半端になるならこの話題を扱わないほうがいい」と厳しいご意見をいただきました。

まったくもってそのとおりと思います。

震災が”メインテーマ”の作品にはしたくないという気持ちがありましたが、あまりにも大きい話題です。
福岡で震災の話題を挙げるということ、そのバランス感覚にはかなり気を配ったつもりでおりましたが、完全無欠の誠心誠意と胸を張ることができません。不誠実に思われましたら、心よりお詫び申し上げます。


脚本

初めて、プロットみたいなものを立てて、「どんな場面があってどんな出入りがあって…」を最初に書き出してから書きました。

それでハードルが上がった面もあるかもしれませんが、いろんな要素の絡み合いたい作品で、「名作にしなくちゃ」と圧がノシノシとのっかり、かなり筆が進みませんでした。

「書こう」と4時くらいまで起きつつ進捗なし、みたいな日がたっくさんありました。

最終的な手直しは本番直前まであったものの、書き上がったといえたのは本番1週間前。

遅かったです。

会話劇は、脚本全部があった状態で稽古をしないことにはほとんど意味がないと実感しました。
サブテキストだとか全体の流れだとか関係性だとか、いわゆる”脚本読解”的工程が無いと強さが出ない気がしました。

でも、稽古してて見えてきたものも載せられた気がするので、まぁ。とか、間違いなく自分史上最高の脚本でしたし、結果的に自分を甘やかす材料はありつつも、今回はやっぱり、もっと早く脚本があれば違ったものになっていたと思います。

僕の力不足です。

役者の皆さんにはご迷惑をおかけしましたし、限られた時間の中で精一杯やっていただきました。
ありがとうございました、は稽古場でお伝えしたつもりですが、とても感謝しています。

というか。

会話劇って、じゃなくて、この、「作家が書いたものを上演する」演劇って、めちゃくちゃつまんないな、と思いながら進んでいました。

いまも考えは変わりません。確信に近いものになりました。

誰かがひとりで頭の中で完結させたものに、何人もが彩りを加える。
いくら彩りが加わっても、その「何人も」が、ひとりの人間100%を加えることはできません。あまりにも作家の%が大きい。

これは、今後の、ひとが減って、コストが敵視される時代に闘っていける力を大きく削ぎます。

「多くの人が携わったからこそ」の総合芸術、人間的、細胞的、生命的な作品じゃないと生き残れない気がしています。

創作方法を大きく変える必要があるな、と思いました。
そう思いながら稽古に突入し、覆すことができませんでした。
一流の演劇作家・カンパニー・現場であればきっと、そうじゃないんだと思います。
脚本から羽ばたく創作は、きっと可能です。

今回は完成した脚本に向き合って進んでいったわけでもないし、稽古を経て言葉になったものがたくさんあって、あいのこというか、「脚本からの創作」を検証しきれたわけではありませんが、僕には今までできなかったし、既成脚本に挑戦する欲もないし、というか脚本からのスタートを楽しめてないので、幸いにも別の、もっと信じられる方法を思いついているので、今後はそっちを試してみます。

身体が先、言葉があと。


装置・空間

脚本も5,6稿くらいになってたと思いますが、空間も第4,5形態くらいになっていました。

俳優のみなさんとあれこれ相談しながら決まっていきました。

キーは舞台上の客席配置でしたが、結果的にお客さまと対になるカタチで落ち着きました。

照明はなく、客席と続きの蛍光灯。
舞台上にそのまま劇場の入口。
ストレスフルだなぁと思います。

上演にあたっては途中入場不可とするなど、お客様のご協力もいただきました。ありがとうございました。

上演中に換気もできて、なんていいアイデアなんだ、と思っていました。

えらい横長でしたが、アクティングが遠くても耐えられそうだと判断しました。

扇貝をほとんどそのまま使わせてもらいました。
扇貝をお借りした理由はいくつかありますが、ある程度作品の構想がある中で会場を決めたので、演出というよりは空間に引っ張ってもらった部分がめちゃくちゃあります。
これも、そう何度も使えないカードでしたが、最後だし、とほぼそのまま使わせていただきました。

モノも、ほぼあり物でまかないました。


俳優・稽古

多くの方々にご出演いただきました。

結果的に、キャスティングには猛烈に満足しています。

この皆さんにご出演いただけて、作品ができて、幸せな気持ちになりました。

稽古回数は感染症対策も兼ねなるべく少なくしたいと考えていました。

公営の稽古場が使えなかったのですが(自粛を促されたため、使おうと思えば使うこともできましたが)、扇貝さんのご厚意で稽古利用させていただきました。(もちろん利用料はお支払いしますが、本来、まとめて連続した日数での利用となるところを特別に日単位でお貸しいただいた、という意味でのご厚意です)

正直、これがなければ作品を作り上げることができなかったと思います。
自分の見通しの甘さを反省しています。

その少ない稽古の中で、なるべく「脚本に触れる・シーンの練習をする」以外の時間を多く取りたかったのですが、あまり叶いませんでした。

際の際まで焦り、もがき苦しんだ稽古場だった気がするのですが、本番ではそんなことほとんど感じませんでした。
皆さん信頼のおける俳優です。

前述の「脚本が先」な創作の手前、作家としては、世界を舞台上に起こして”くれた”と思ってしまいます。稽古外で皆さんのお力を割いて”いただいた”と。
もちろん企画者として皆さんにオファーをしているわけですから、その時点で”お願い”しているわけです。
も〜これが、邪魔。
この、関係性の差があっては、現時点での僕の理想の創作はできないと思い知りました。仕事でありつつ芸術性を追い求めるってのは、まったくもって両立不可。油田のように金が湧かねば。
そんなこんなで、僕のしたいことに「身を削ってお付き合いいただいた」わけです。
この捉え方は、果たして本当にそうなのか、今後、ちゃんと考えてゆかねばなりません。
演出家の仕事/企画者の仕事/団体代表の仕事//作品//したいこと
立場・創作・共作…いろんなキーワードを種に、考えます。
ご出演してくださった皆さまに謝礼以外でも何かしらのギフトをお贈りできたと信じていますが、エゴひけらかすのも大概にしろと大自省しています。ほんとにみなさんありがとうございました。すみません。

稽古が厳しかったいちばんの理由が、コミュニケーションの上手くいかなさだったと思います。

僕が喋り過ぎなんです。

いっぺんにボールを投げすぎて、全然打ち返してもらってないのにすぐまた大量にボールを投げてしまっていました。よくなかったです。

一方で、俳優から演出へ投げるボールの少なさ、俳優同士でのコミュニケーションのなさもかなり、ありました。

分かってるんです、自分がめちゃくちゃ悪かったのはめちゃくちゃ分かってるんですが、棚に上げて指摘させてほしいのは、(概して)若手は俳優としてのコミュニケーションが全然取れない(んじゃない?)っていうことです。

いやもう本当すみません。何を偉そうに、おっしゃるとおりです。

僕も経験豊富ではありませんが、先輩方とご一緒することが多いです。運良く、でもあるし、意図して、でもあります。現場の数と触れてきた空気感のバリエーションには少なからず自信があります。だから言いたくなってしまうし、多分誰も言わないから言わせてください。

若手に説かれる俳優の仕事のうち、「新たな(独自の)価値の付与」ばかりが大きなウエイトを占めていると感じました。個のパワー、発想勝負。
でも、もっと大事と思うのが、把握・認識・提示・対話・解消にかかるコミュニケーション能力です。群として作品を前にすすめるパワー。これがないと、たぶん稽古の意味がありません。
そしてこれは、残酷なことに、参加者みんなが持ち合わせていないと上手く機能しません。きっと。
プロの現場ってそういうことなんだなと、もちろんこれ以外にも無数にあるでしょうけど、必要条件の一つなはずです。

これが、足りない。
若手が摂取できていない/若手に供給されていない。
それが求められる現場に若手がありつけていない。
状況として問題があるなと感じました。

環境のせいにしてすみません。

あと、「会話劇は苦手」という方が多かったです。
地方で演劇をする場合、俳優の総合力が求められる気がします。
ある程度どんな演技でもできるべきというか。

あー、「べき」が出てきたので思い出しましたが、「求められていることをするべき」と捉えられているな、とも思いました。
正解を出そうとするというか。
俳優としての衝動・嗅覚・自主性がないというか。

加えて、一回言われたことを次で修正できない点も気になりました。
トータルの俳優としての魅力の無さが気になっちゃいました。

すいません。本当に。

俳優はもっと、覚悟と力が必要な職業であると認識されるべきだと思っています。

僕は僕で、演出家としてのそれが足りていません。

もっと、俳優の長所・魅力・願望が最大限活きる創作をするべきなのに、今回はある種”矯正”になっていたと思います。ただの言葉が俳優を締め付ける、そんな演劇はもう作りません。誓います。
未熟さゆえです。本当に申し訳ありません。


とはいえ、

いろんな要素がかなりバランスの取れた状態で舞台上に載ったと感じています。多くの方のご協力の上に。

もっと鋭いエッジを持つべきだった箇所が、いくらかボヤケていたがゆえに、予想外の好評に繋がったと捉えていますが、もしかしたら、鋭ければ好評が絶賛に変わるだけで、すでにベースが良い作品になっていたのかもしれません。今はまだ分かりません。

観れてよかったと思える作品になりました。

甘かった点まで含めて、ジャカっと雀という団体らしさがあったと考えています。
未熟だった点を考慮しても、この世に産み落とされて然るべき、過ごされて然るべき作品・時間が作れたと思っています。

お詫びすべき点が多々あります。本当にすみません。
恐縮ですが、未来で精算させてください。

謝ってばかりいたら、「そんな作品観せてんじゃねぇ」と言われちゃいそうな気もするのですが、いや、言われないか。
謝ってるのは創作過程で、作品とは別です。あくまで作品は作品でどう受け取られたかが大事かなと思っています。
あまりにも蛇足な文章、すみません。
こんなブログ自体、舞台上に載っていないことですからオール蛇足です。

お付き合いいただき、本当にありがとうございました。

END.

in福岡(25) 演出家/制作者