セクマイの予感1 ケータイ小説が流行ってた時代の話

自分がマイノリティだとはっきり自覚したのは23の時だが、なんだか他の人と違うかもしれないという自覚は思春期のころからあった。そういった予感を感じたエピソードをシェアしてみる。

中学に上がり、おませさんだった私は、当時の流行りに乗ってケータイ小説を読んでいた。 
恋空、赤い糸、とりあえず有名なのは全部読んだ。流行っていたから。切ないラブストーリーらしかった。

自分が他の人と違うかも知れないと思い始めたのはこの頃だ。
詳しくは忘れたが、皆が恋空のミカの心情に思いをはせるなかで、話についていけない自分がいるのに気づいた。友人たちの話には何一つ共感できないし、私が友人たちと全く違う感想を抱いていたと気づいた。

私の読了後の感想は「子どもが流産して良かった」だった。
友人にポロリと感想をこぼす前に、言わない方がいいことだと気付けたので、私の異常性が他の人に露見することはなかったが、自分はサイコパスか発達障害に違いないと感じるようになった。
23でアロマンティックという言葉を知るまでこれには結構悩まされてきたし、色んなチャンスを逃したと思う。

切ないラブストーリーの感想が「子どもが流産して良かった」だなんて頭がおかしいと思われそうだが、
ほぼアロマンティックでグレイロマンティックを自認する私の目線(他者に対する恋愛感情がほとんどない人)から観るとこうなる。

まず登場人物の恋愛感情がよく分からない。

独占欲、嫉妬心、全て分からないし、キスシーンもセックスシーンもいきなり始まるように見える。実際は目線が合って、恥じらいながら…とか描写があるが、その描写がなぜキスやセックスに結び付くのかが理解できない。だから恋愛小説は、「どういう訳か奇行を繰り返す人たちの話」にみえる。

だから、中学生の私は「このちょっとおかしな世界に子どもが生まれなくてよかったなぁ、あの両親じゃ人生詰み。」とか感想を抱いたんだと思う。

今でこそ創作物における恋愛感情の描写は理解できるようになったが、それはあくまで「AIがディープラーニングで積み重ねた知識」の様なもので、今でも恋愛がメインの創作物は楽しめない。
とくに「壁ドン」とか「あごクイ」とか新しい表現方法?が出たらもうお手上げだ。周りの反応をみて初めて、あれはキュンキュンするべきものなんだなー、と理解する感じだ。

捕捉だか、もちろんアロマンティックだからといって皆同じ感覚があるわけではない。
恋愛表現や恋愛感情が理解できるが恋愛に感心がないアロマンティックの人もいるし、恋愛感情が無くても恋愛ドラマを純粋に楽しめるアロマンティックの人もいるので、ぜひ他のアロマンティックの人の体験談も見て欲しいし、よければ当事者の方は自身の体験もシェアしてほしい。

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