親友に欲情して死にたくなった話

去年の今頃、同性の親友のお尻とふとももに欲情し、レズビアンだと自覚した。死にたくなった。

私はホモフォビアの自覚もなく、むしろ理解ある方だとおもっていた。
でも自分のセクシャリティを自覚した瞬間ひどい嫌悪感が押し寄せてきて、自分がレズビアンだなんて絶対に受け入れられなかった。どうしようもなくなった。

セクマイ当事者が自身のセクシャリティをひどく嫌悪する感情は「Internalized Homophobia」というらしい。少しその嫌悪感が落ち着いた今、気持ちの整理のためにも自分の経験を書いてみたい。

自分の気持ちに気づいたのは地下鉄の乗り換え中。

親友が私の少し前を走っていて、スキニーを履いた足が階段をかけ上がっていった。
女性らしいラインのお尻とふとももが強調された。
その瞬間がとってもキレイで、セクシーで。
今まで理解できなかった「ムラムラ」とか「ドキドキ」という言葉を初めて理解した。

でもすぐに自己嫌悪に陥って、「もう人生終わった」と思った。

思春期以降、自分がシスへテロ(心と身体の性が一致し、かつ異性が好き)ではないとうすうす感じていたが、多少の違和感は無視してマジョリティとして生きていた。
特にストレスを感じてると思っていなかったし、世の中の多くの人がそうするようにいつか結婚して家庭を作ると思っていた。
でもこの事件が決定打となり、雪崩のように全てが壊れていった。

まず、自覚した翌日からすぐ眠れなくなった。
脳内で会話が止まらなくなり、脳内の声が永遠とレズビアンであることを批判してきた。
元々眠りが浅い方でサプリメントを愛用していたが、仕事に支障がでるほどの不眠になったので心療内科にかかった。

不眠の心当たりはあるか、と聞かれたが話す気になれず、わからないとだけ答え、睡眠薬と抗不安薬を飲むようになった。
ここできちんと医師と信頼を築けば良かったかも知れないが、「自分を大切にする」なんて発想はないので寝て仕事に行ければ誰も文句は言わないだろう、と思っていた。だんだん薬の量が増えてもどうでもいいし、肝臓でも痛めて寿命が縮めばラッキーとさえ思った。

あと、この頃から地下鉄もキレイな人も怖くなった。
同じシチュエーションで誰かを好きになってしまったらどうしよう、私がレズビアンだと気付かれたらどうしよう、そんな不安で一杯になった。
当時の上司は見た目も中身も美しい女性で、憧れだった。自覚前は隣にいるだけで幸せだったのだが、自覚後は、自覚前の自分の行動全てが下心の現れだったのではないかと自分を責めた。
どんどん仕事も憂鬱になった。

また、抗不安薬のせいか、気が触れてしまったのか、その辺で知り合った男性と寝たこともあった。
男性と寝れれば全てなかったことにしてまたシスへテロとして生きていこうと思ったし、荒療治が必要だと思ったからだ。結果は散々だった。
相手が起きる前に逃げ帰り、トイレで吐き続けた。
パニックになったのか何人かの友人に電話をかけた形跡もあった。幸い朝方で友人たちは寝ており、醜態をさらさずに済んだ。

男性とまともに寝れないと分かったら、もうシスへテロには擬態できない。
もう限界だと思った。
頭をよぎったのは自死の二文字だった。

それからは自殺の計画を立てるようになった。
ちょうどその頃社用車を乗る機会が多くなってきたので、わざと事故でも起こして死のうと思った。
睡眠薬をのんでいるし、薬の効きがイマイチだと医者に相談もしていた。居眠り運転を装えば自殺を疑われることなく死ねると思った。

しかし上司を乗せて車を運転している時、急に眠気に襲われ事故を起こしかけた。
隣に人の命を乗せているということに肝を冷し、少し正気にもどった。自殺はとりあえず考え直した。

そのあと、上司に体調不良がバレた。
この辺りのことはよく覚えてないが、上司に唐突にカミングアウトし、即効で仕事をやめ、ひきこもりになった。

それから4ヶ月、今に至る。
一応社会復帰しているが、まだ万全ではない。
自分のセクシャリティはまだ嫌いだし、悩むことばかりだ。

それに、引きこもり期間に学んだことによると、私のセクシャリティは厳密にいうとレズビアンだけではないかもしれない。

同性に興奮を覚えるのは間違いないが、恋愛したいとか、セックスしたいという欲はほとんどない。

だからアロマンティックやアセクシャルといった「他の人に恋愛的にひかれない」「他の人に性的欲求を抱かない、性交欲がない」セクシャリティにも足を突っ込んでいるようだ。

例の自覚がトラウマになり、恋愛やセックスに消極的になっているのかもしれないが、そういった人も広義的にはアロマンティックやアセクシャルの一員らしい。

アロマンティック、アセクシャルの中にはどんな人がいるのが、どんな名前がついているのかについてはまた別に紹介したい。

これからも自分のセクシャリティを巡って悩む姿が目に浮かぶが、たぶん大きな峠は越えたので気長に付き合っていこうと思う。

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