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一度も仕事に困ったことがないのはなぜなのか――を、考えてみる。#01

仕事がなくて困ったことは一度もないのか、と問われれば実はそうでもないのだが、少なくとも21年間1年たりとも飢えることなく生活できてきたのは確かだ。
30代の頃は同業者が少なかったこともあり同年代のサラリーマンの1.5~2倍は稼いでいたと思うし、40代から現在まで、同年代のサラリーマンくらいには稼いでいる。
しかし、たとえ20年続けてこられたとしても、明日をも知れないのがフリーランスだ。猛獣跋扈するサバンナでちんまり丸まって草食む小動物くらいには毎日危機感を持って生きている。そのくらいフリーランスは社会の中では弱い存在だと思っている。

それはさておき、なぜ51歳になった今でもフリーを続けていられるのか、と自問して一番に思い浮かぶのがこの言葉だ。

餅は餅屋に。

そう、私は本当に「WEBデザインしかしないWEBデザイナー」なのだ。
私がコーディングを捨てたのは、もう随分昔……たぶん35歳くらいだと思う。それまでは私も、必死にくらいついていた。皴の伸び切った左脳にムチを入れて、なんとかフルCSSでコーディングできる程度のスキルを維持していた。
そうしてある日、ふと気づいてしまったのだ。

「あれ? もしかして、仕事している時間より勉強している時間のほうが長くないか?」

と。私がどれだけ勉強し頑張ったところで、プロのコーダーの2倍は時間がかかるしクオリティは比較にならないし、なにより

クライアントは「勉強している時間」にはお金を払ってくれないのだ。

それで私は、コーディング込みの案件も多かったにもかかわらず、それらをすっぱりと切り捨てた。
(そもそもデザインとコーディングって理系と文系くらい違わないか?)

デザインだけに集中してからというもの、こなせる仕事の本数が増え、それに伴って収入も実績も増え、もちろん本数をこなした分、デザインのスキルもクオリティもそれなりに磨かれてきた。
コーディングやプログラミングの絡む仕事はそれぞれの分野のフリーランスと協力することで消化するようにしていたのでフリーネットワークが拡がり、そのネットワークから新しい仕事に繋がり……と、餅は餅屋戦法を徹底したおかげで、なにもかもいいことづくめだったのだ。

そもそもWEB業界は、大企業が発注元となる大きな案件ほど分業が徹底している。大きな案件は大きなお金が動くので、孫請けだろうがひ孫請けだろうが、そのほんの一部分でも請け負うことでフリーにとっては実績となりそれなりの収入となる。

デザインもコーディングもやります、WordPressもOKです、Ajax jQueryどんとこい、サーバーだって建てちゃいますし、なんならコンサルだってやりますよ、というスーパーマンみたいな営業をしているフリーランスをたまに見かけるが、そういう人は信用しないようにしている。
結局、どのスキルも中途半端で、一緒に仕事をすると面倒に巻き込まれることになるからだ。

もちろん誰にでもこの私のやり方が正しいとは言えない。
正しいとは言えないが、フリーランサーになりたての若人には、一度考えてみてほしい。これから20年フリーでメシを食い続けるためには、一体なにと戦っていかなければならないのかを。

戦っていかなければならない相手、それはいつでも、下からガンガン突き上げてくる、新しい知識や柔らかい脳ミソを持った若くてギャラの安い同業者なのだ。

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