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いまを楽しむように「書いて」、未来に期待するように「公開する」

noteをはじめて5ヶ月くらいが経ちました。
最初の頃こそぽつぽつと気が向いたときに書くスタイルでしたが、20年の年末に「今日から毎日書いてみよう」とふと思い立って、そこからもう100日以上経過したでしょうか、なんとか続けています。

これだけ毎日文章を「書く」というのは初めての体験ですが、「書く」でいうと紙のノートに誰にも見せない形でゆるゆる日記のようなものを書いていたので案外身近な習慣でもありました。もちろん「必ず毎日」というようなストイックな日記ではありませんでしたし、いまのように平均的に1,000~1,500字の文章を書いていたわけでもなかったので「書く」を習慣化したのは20年の年末からだと言っても間違いではなさそうです。

それ以上に大きかったのはnoteで「公開する」という行為の方です。
自分の文章を人様の目に触れるような場所に、それがインターネットのような不特定多数の目に触れる可能性がある場所にぽんとおいていくことに対してなんとなく抵抗があって、これまで避けてきました。それがZINEをつくることになって、インタビューを受けてくださった人たちの言葉を一人でも多くの人に届けたくなって、「僕にできることは全部しよう」と「公開する」ことについて腹をやっと括れたんですね。30歳にもなって。いやはや、時間がかかりました。

そうやって実験的に一歩踏み出すと、いろんな気づきがあるものです。

いま僕は、タイトルにあるように

いまを楽しむように「書いて」、
未来に期待するように「公開する」

こんな毎日です。

「書く」という行為は、自分にとっては「ランニング」や「瞑想」や「料理」という行為と根底でゆるやかにつながっているような感覚です。目の前の対象に意識を集中することで「自分」や「自我」みたいなものからすーっと距離をとれる行為。自分のことを書いているのに「書く」という行為をしているときは「自分」から離れているなんて変な話ですよね…この辺りはまだうまく言葉にできていないなぁ。でもそんな感覚で。「過去」も「未来」もなくて、ただただ書いているその瞬間を、その行為自体を、楽しんでいます。

対して「公開する」というのは、「未来」に向かってささやかな願いを込めてボールを投げているような感覚です。

「どこかのだれかに届くといいなぁ」
「この文章を書いたことで新しい出会いや新しい展開が、あるいはあるのかもしれない…」

そんなささやかな願い。
いまだに「公開する」瞬間は、若干の恥ずかしさとこんな文章でいいのかなという申し訳なさを感じて「ええい!ままよ!」と目をつぶって公開ボタンを押しているような感じです。実際に目をつぶったりはしませんが、気分としてはそんな感じで。

でもこうやって書いていることで、自己紹介としてnoteの記事のリンクを送ったり、こちらの思いを共有しながらZINEの製作を他の方と進められたりしていて、自分の書いた文章によって、「書いていなかった世界線」とはまた違う場所に連れて行ってもらっている感覚になることもちょっとずつ増えてきました。

noteには毎日書くということを続けている方がたくさんいらっしゃいます。
「#毎日note」というハッシュタグで調べるといろんな方の記事が見れるのでよければ覗いてみてください。
いろんな人が、いろんな思いで(たぶん)今日も眠い目こすって書いてます。
「毎日書いてなんの意味があるの?」って言われてもこの実験に興味があるうちはやめようと思いません。そんなことを言う人は、そもそもやってもいないのです。

今日もまとまりのない文章を書いてしまいました。でもこれでもささやかに未来を夢想しています。

1冊ができるまで日記 : 21/04/22

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