#446 「無知の知」より大事な「知の知」
「無知の知」。よく聞きます。でも普段の仕事では「知の知」の方が大事では?と思ったので、メモ。
1、まずは「無知の知」
「無知の知」はよく言われることですのでご存じの方も多いと思います。
辞書的には以下の通り。
繰り返すのもヤボですが、自分にも知らないことあるということに自覚的である、ということです(蛇足ですが、「至ろうとする探求が知を愛する」、っていうのはなかなか素敵な表現ですね)。
円があって、その内側が「知っていること」、外側が「知らないこと」というイメージで、その「知らないこと」という領域があることを自覚しましょう、というのが「無知の知」ですね。
つまり、円が知の境界線、となるわけです。
2、「知の知」??
「知の知」というのは、もちろん、勝手に私が持ち出した言葉ですが、先ほどの円の内側の、「知っている」という領域で、「一体何を知っているのか?」に対して自覚的になる、ということです。
簡単にいえば、「結局自分は何を知っているのか?」ということです。
よくあることですが、同じ業務をしていると、他のメンバーも自分と同じように認識していることを前提に話をしますし、その間の経緯も共有していることになります。
となると、知っていることが「当たり前」の状態となります。
その状態で、他のチームや組織とコミュニケーションを取ると、何が起こるか?
そうです。「こんだけ説明しているのに、なんで分かんないんだ!」ということが起こります。
一方で、同じように「当たり前」になっていても、円滑にコミュニケーションが取れる人もいます。
その違いが、「知の知」です。
「結局自分は何を知っているのか?」が整理されていると、その知を獲得するに至った経緯やつまづいたところ、なども認識できています。
つまり「どのようにして「当たり前」になったのか」「そのために何をどのような順番で理解していけば辿り着きやすいのか」なども整理されているので、説明されている相手も順を追って理解をしやすい=円滑にコミュニケーションが取れる、ということに繋がるのです。
3、まとめ
いかがでしたでしょうか?
「当たり前じゃん」「相手の理解レベルを確認して説明するから問題ない」など思われたかもしれません。
そういう方は困っていないので問題ないと思います。
一方で、部署部門を超えてのコミュニケーションに多大な時間(つまりコスト)が費やされ、それでも「なんで分からないんだ!」ということが、程度の差こそあれ社内のあちこちで起こっているのも現実だと思います。
その原因の一つは、「知の知」が不完全である、整理・構造化されていない、ことなのでは、という内容でした。
「知っている」「当たり前」と反射的に判断することほど、「何を知っているのか?」「どうして当たり前なのか?」と自問自答することが大事、でしょう。
「知の知」も深めていけば、そこにまだ「無知」の領域があることに気づくもの、という言い方もできるかもしれません。
と、こうして偉そうに書いていますが、「知っている」「当たり前」と思っていることをいちいち自問自答する、というのはできそうでできないものです。そもそも人に聞かれるまで、「知っている」とか「当たり前」とさえも思っていないのですから…
最後までお読みいただきありがとうございます。
解決策がない話で恐縮ですが、どこか参考になるところがあれば嬉しいです。
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