敬老会の落雁、虎穴に放り込まれる事。

去る九日は重陽の節会で、昨日は敬老の日だった。
老いを得るとは「善い」ことだと、自分は教わってきた小虎時代だった。
その通りであると思うし、そうであってほしいと常々、願っている。

奇数月の内、一桁が重なるゾロ目の日は節句があり、どの節句も自分は好きだ。一月七日の七草、三月三日の桃、五月五日の菖蒲、七月七日の笹、そして九月九日の菊。
それぞれにちゃんと佳日の名前が与えられているが、自分は植物の節供呼びの方が好きである。母がそう呼んでいたのもあるが、彼女は、各飾り物がおまけで植物の方を大々的に飾る風習のある屋敷の出であったからだ。
だから、節供の漢字も前者と後者とで書き分けられている。
人形に込められた我よしの願いを是としてこなかった屋敷の方針や、基本的に男子が少なく、女子が多いために後宮文化の方が多く用いられたという経緯もある。

母の郷里は、本洲が北と東の間、海を眺めることのない山間渓谷の雪深く、一年中霧の濃い川辺にある。中国の水墨画のようなところを想像してもらえば、朝の風景はおおむね一致する。
初雪も雪解けも遅いため、あらゆる年中行事はひと月近く、ゆるゆると小さく長く祝われる。新暦が敷かれてからは、旧暦と新暦の同日のひと月をそこに当てるようになった。

重陽・敬老の菊も月の末まで、花ひらが1枚1枚、落ちていくのを楽しみつつ、獲れるようになった食用菊を食べる老人たちが多く見受けられる。

この時期に学校をさぼって外を散歩をしていると、庭先にいる嫗たちが菊の和え物とお茶を出してくれるし、なんだったら植える癖に食べない菊を分けてくれる。

老人たちは手慰みに山菜野花を採るのに、自分たちでは食べないから、お裾分けをもらうような家の子供たちは小さな頃から、結石予備軍の英才教育を受ける。それでも現代っ子たちは、茶色いものを好まないし、老人の好む癖の強い個体を避けるので、欲しがるチビ助がいる場所は既に町内で共有され、そこに供給が自然と集中する。
寺や神社の子たちはほとんどそうだが、ここにお供え物というブーストがかかるので、各地区でとれた味わいや、下処理の上手な者、まめな者、大雑把な者、味付けの五味覚が庫裏や社務所では評価が下されている。

去年と著しく味が異なっていれば、何らかの味覚障害を誘発させる老年性疾患を疑うので、ご家族にそれとなくお伝えするか、独居である場合はデイサービスに通っている人にはそこの看護師に、かかりつけの先生がいる人はそこの看護師に、これまたそれとなく本人に問診するよう伝えておく。
なぜ、所属看護師を把握しているか、というのはさほど重要な問題ではない。どこそこの施設にあの家の子が看護師でいる、いま通っている医者のところにはあの看護師がいてよくしてくれていると、自己申告してるパターンに限ってこのフローは実行されるが、人に自分の収穫物を分けるような交流のある老人は大抵、あらゆるものを自己申告するのだ。

素直な老人、頑固な老人。様々な古老がいるが、ひとえに健やかあれかしと念じることに何のためらいがあるだろう。人間たちに交じって小虎の我が身をめぐしめくれた翁、嫗たちの老いが善いものであると拝むことも、自分の仕事である。

さておき。
植物系は良い。ものが悪かったり、多くても野や畑に還すことができる。
多少、塩分が含まれていても一度水を通して乾燥させれば、肥になってくれる。そもそも、菊なんて季節もので野菜みたいに言うほど大量ではないし、終わりの見えているものだ。

問題はお菓子系である。
小虎であったころは、これで苦労した。落雁とお萩の存在である。
今みたいに小洒落たお供え物の選択肢や、和三盆の代わりにラムネを使うなどという気遣いはまだギリギリ無い時代だった。
我が家は父以外、小豆・あんこを消費できなかった。
大の甘党であった父は小豆も好物の一つだったが、御萩となると途端に無力だった。
白米にお菓子を乗せる感覚が耐えられず、牡丹餅御萩を出されると、チビどもの手前、手つかずというわけにもいかず、一つ胃に収めると牛乳を飲むことであんパンと同じ精神処理を自己暗示的に施さなければ消化できない虎だった。
それでも、子供たちの前だから父は御萩を頑張って食べていた、という真相を自分が知ったのは、彼が幽世の岸向こうに走っていった後の事だった。
それまで、自分はてっきり、父が御萩好きなのかと思っていた。

御萩はともかく、落雁の消費に父は不可欠である。
あんこの周りを和三盆で固めるという、甘くない社会を決して許してくれはしない、甘えに満ちた環境はすべからく厳しいものであると言わんばかりの敵布陣に、父虎は幾度にわたって牙を剥き、爪を中て、勝利してきた。
ある時は洋菓子の材料に、またある時はコーヒーの砂糖代わりに、果ては風呂上りにそのまま御一つ丸かじり。どうかしている。
だが、当方の条件上、どうしても群れに放り込まれる落雁を止める術を持たない我々にとって父は、ゴルゴタの丘でたった独りで世界を負って逝った人のように、勇ましかった。糖尿になっていなかったのが不思議でしょうがない。

この時期、落雁は連続でやって来る。
お盆、重陽節句、敬老の日、秋社日、秋彼岸。ここまででセットである。
なかでも敬老の日は悪質だ。

敬老の日。
それは無責任にも地方自治体が、老いさらばえた無辜の老人たちを公民館と呼ばれる公共の集会施設や小学校の体育館におびき寄せ、やれカラオケだ、やれ講談だ、と聞こえているのか聞こえていないのか分からない耳に過剰なまでの情報を流し込む日である。
同時に、何を見たのか聞いたのかさして覚えていない老人たちと似たような年齢の首長が、現在進行形で長生きしている連中相手に「皆さん、長生きしましょう」などと総入れ歯の口をモゴモゴさせながら、手土産にしっとりペトペトになった唐揚げ・天ぷらに赤飯を添えた食事を両腕に抱えさせたご老公方を各民家に戻す日でもある。
ご家庭によっては、この御隠居様方が二人、曾祖代もご健在の場合は3~4人いらっしゃる場合もある。そうなると、事態は悪化する。
食事だけでなく、お祝いのお菓子として落雁が配られるのである。

地方自治体、ひいては町役場や村役場というのは、歴年の慣習を大事にする。そのくらい純朴であるという意味であるが、同時にそれは愚かと泣きたくなってしまうくらい彼らが素直なことの裏付だ。
今までの会で落雁が用意されてきていれば、次の会でも落雁を用意する。
たとえ発注先の業者が閉業していても、どこからともなく暖簾先や別業者を探してきて、これまた落雁を用意する。
別に落雁にこだわらなくてもいいだろ。
ラムネとか、柿ピーとかあるじゃないの。

純然たる文書主義の公僕である彼らは、慣例と前年度決裁済み文書により先ほど言った敬老会を主宰し、住民基本台帳や住民票データに従い、一定年齢以上のご老人に会の招待状を送り、集わせる。
即ち、人数分。人数分の落雁が用意される。ご家庭にある老人の数だけ、落雁はこの世に産み落とされる。
少子高齢化が嘆かれ、特殊出生率が1を割るかという現代において、こどもの生まれない世界の中で、落雁だけが増え続ける。
昔はよかった。せいぜい1個か2個食べれば終わった。しかし、今は違う。各ご家庭にいらっしゃる老人の数が違う。
1人当たり2個配られるとすれば、最低2個から始まり、夫婦でもらえば4個、どちらかの親御が一人健在であれば6個、両方生きてれば8個。小姑、小舅が寡婦になって戻て来ている例なんてものも最近は聞くようになったので、10個を超える落雁保有数/世帯も存在するはずである。

そうすると各家庭の落雁消費機構は飽和する。落雁保有者数と落雁消費者数は必ずしも比例しないからだ。
これはマスコミなどが報道しない純然たる事実だが、消費がなくなった落雁は内部流通を始める。「あの家は落雁を消費できる家。あの家にあげよう」「これ、こないだの敬老会でもらったんだけども、ジジババだけではこればっかりあっても食べないから」「あの家の味付けはいつも甘くて砂糖を使ってる。みんな甘党のはずであるから、食べようもの」そうして、老人たちはお茶を飲んだりなんだりしに行く家で落雁が消費されている様子を目敏く察知すると、落雁を押し付けあう。
それでもやはり地域社会なので、押し付け合いは弱火になってくる。都会人は知らないだろうが、落雁は日持ちするのでそのまま置いておけるからだ。

その間も落雁は、押し付け可能な家で緩やかに消費され続ける。手前共もそのうちの一つだった。父の甘党は公にはされていなかったのに我が家はターゲットにされた。あまつさえ、敬老会は役場経費持ちの自治会設営だったので、人員に駆り出された母があまった食事と落雁を引き取って来たうえに、様子伺いを承っているところから敬老の日お祝いお菓子の落雁を持って帰ってきた年もあった。
それでも我が家の1日の落雁保有数は増減せず、一定を保っていた。ひとえに父の功績である。
役所の連中はこのプロセスを知らない為、ご老人たちは落雁を発注数通り食しており、これは自分たちが民意の訴求を正しく受け取れたと判断し、来年に備えて再び、誤認決裁にむけて作業を進めていく。
馬鹿な、役人の家族に落雁を食べきれない老人はいないとでも言うつもりなのか。町民生活課のお前。お宅の爺さん、うちに落雁押し付けに来てるぞ。

だが、これは休眠状態になっているにすぎない。このように時間が過ぎると秋彼岸、秋社日がやって来る。そうすると老人たちは隠し持っていた敬老祝いの落雁をお供え物として流用・再利用し、放出する。この時にこれまでの1日の落雁消費数を守っていれば、ふた月程度でこれは終了する。そうして一度、地域の落雁は見事に0になる。
世界は美しさと静けさを取り戻し、秩序が運行され、田が黄金色に輝いてる様子を見て、こどもたちにこの綺麗な国を残していってあげたいという気持ちが心のうちに湛えられてゆく。

そんな日が続き、老人たちは「暑さも彼岸までだねえ」なんて話しつつ、年末年始で餅をつき、地区によっては米粽をたべ、平和に暮らし年神の去来を拝む。
そして、「寒いのも飽きてきた、早く温くならねえか」と思い、老女たちはふとカレンダーをみて、家の仏壇や神棚、店の縁起棚をふりかえり散々目を逸らしてきた《例の》お供え物の存在が消えた日常の今に気づき呟くのだ。

「お彼岸の落雁買わなくちゃ」

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