今年の振り返りと、僕という人間の話。

 どうも、あげどりというオタクです。

 まあこんな書き出しですが、書いているうちに年を越してしまいましたし、メインの話は僕の話と、2020年の四月か五月か、それくらいからになりますし、僕は物書きでもなければそういうのが得意なわけでもないので、駄文であることをご了承ください。では、どうぞ。

滅茶苦茶濃い半年でしたが、多分その前の僕を知っている人ってほとんどいないと思うので、ただのオタクがDJとして現場に出るまでの話と、過去の自分についてもお話しします。

僕はどこにでもいるただのFラン大学生です。惰性で時間と金を浪費し、ソシャゲにガチになってたり、できない課題を責任転嫁したりとか、そんなクズでした。まあ、今も大して変わってはいませんが。
中学生の頃は運動部にいた時期もありましたが、今は立派なインドアオタク、なった理由は簡単。もともとゲームや人と遊ぶことが大好きな人間だったのに、部活動を始めたことでそれがほとんどできなくなって、友達と遊ぶことや、好きな人へ告白することも諦めてマジで灰色な人生送ってたし、部活が原因でメンタルがバキバキの刃牙になってたから。

今じゃほとんど後なんて残ってないけど、一番ひどいときはリスカはできないからって理由で手首の皮を千切るとか、金属バットに頭打ち付けるとか色々やってた。
今もそうだけど、自分は人に裏切られたり、肯定してもらえないことが何よりも恐ろしかった。他者を頼るとか、誰かに本音を吐き出すってことができなくて、感情の処理が致命的に下手糞だったのも合わさって変な自傷行為に走ってた。リスカできない理由も家にある刃物が包丁くらいで、これ使ったら家族に迷惑がかかるとかいう謎な理由だったし。

閑話休題、無駄な真面目さ出してモンハンとかメタルギアとかも全部その年になるまで我慢ってしてた結果、部活卒業後はひたすらゲームとかにのめり込んでしまった。それまでも暇な時間はひたすらバカテスとか安く買える中古のラノベを買い漁ったりもしてたし、姉の横でニコ動見てたのもあって、多分凄い速さでそっちに落ちてった。
この頃は前述したことからもわかるように、今よりもコミュニケーション能力が低くて、中学の頃の友人の名前出せと言われても多分数人しか出てこないくらい友人関係とか築くことができなかった。
たまに同級生と会うことがあっても大抵の場合は親しい人のフリをしてる。顔も名前も覚えてなくても相手からは覚えられてるって状況が申し訳なさすぎるけども、マジでその頃は部活が辛くて他の事を考えられなかった。(じゃあ部活辞めればよかったじゃんって考えると思うんだけど、やめようとすると部活の練習時間つぶして他の生徒を家に派遣して、辞める理由を聞き出して引き留めようとするタイプのアレだったので許してほしい)

まあそんなこんなで中学卒業して、コミュニケーション能力が欠如した純正チー牛が一人生まれたわけだけど、この頃、マジで数少ない友人に誘われてスマホのロボットレースゲームにハマりました。それからしばらくして友人が全員辞めた後も一人でプレイしていた僕はネットで遊び相手を見つけようと思い、ツイッターを始めました。
それからは色々なインターネットオタクバトルを繰り返し、小学生の頃から触れていた東方に加え、遊戯王とFGOバンドリ白猫にハマり、ツイキャスで身内の寒いノリを吸収し、高2くらいに淫夢ネタを知り、順調にチー牛としてのレベルを高めていきました。一時期アニメアイコンもしてたし、マジでろくでもないなコイツ。

そして僕はようやく、アニクラに出会いました。そこはツイッターの友人たちが主催していたイベントで、ClubLaymansというイベントでした。最初はよくわからん場所だな~と思っていたのだけど、騒ぐオタクを眺めるのが楽しかったので割と通ってました。
初めてアニクラに来てから多分1年位経ち、大学に進学し、数少ない中学の友人のKくんを誘ったあたりから、他のイベントにも行くようになりました。川崎にある月あかり夢てらすさんで開催されていた、ツイノオタクアニクラさんとかの、限界オタク系のアニクラですね。多分ここ来てからちょっとオタ芸するようになった。

大学二年に上がったあたりで、ぼんやりDJやりたいな~~って思うようになりました。これにはちゃんと理由もあって、この頃はKくんとずっと愚痴ってました。内容は簡単なもので、「アニクラは楽しいけど、近所では俺たちの好きな曲が流れないイベントばっか」というものでした。

正直僕は灰色中学生活のこともあり、ほぼアニソンを知らない、最近のか昔のをちょっとだけ、みたいな感じでしたし、Kくんもアニソンというよりはアイマスと声優のオタクで、原曲より、わざわざクラブ行くならRemix聴きたいというオタクでした。因みにこいつはアイマス他界しました。

そんな自分達の答えは「自分たちでイベント開けばよくね?」というチンパンジーでした。その結果、僕はDJを、KくんはVJをといった形で勉強して、2019年の三月頃にPCとDDJ-400を買いました。因みにKくんはVJの練習辞めて、今はピアノを練習しながら作曲とかRemixの勉強してます。

それから自分は家でひたすら好きな曲を流すだけの遊びをしていましたが、一度だけ鶯谷のスタジオよもださんをお借りして、自分は音を流す練習、Kくんは映像が流れるかの実験をしたり、とかはやってました。
その経験がこの前のしがらくんの誕生日会に繋がったので、世の中何があるかわからんなと思ったり。
まあ、友人との云々は流れたのでまあ置いておきますけど。

ここでちょっと時を戻して2019年六月ごろに、にじさんじのバーチャルライバーである童田明治さんに出会います。
正直な話、Vtuber自体は委員長のムカデ人間や洗濯機の話、四天王の話が流れてきてたので存在や流れは知ってましたし、たまに切り抜きを見るくらいにはふわっと眺めていました。まあそこまでハマる人がいなかったというのもあるのですけど、この子にはずっぽりハマってしまった。ただひたすら可愛かったというのが理由だったのですけど、マジで配信とアーカイブ全部追うくらいハマってしまって、そこからにじさんじとホロライブにドはまりしてました。ボイスも買った。

そこから十一月のV箱さんや、三月の星街すいせいさんの3Dライブを見たことでVな人の音楽を掘り始めた。(ここらへんから本格的にすいちゃんにハマった)
それまではエルセとさめのぽきさんや、ぼっちぼろまるさんとかの一部のVsingerしか知らなかったけど、バーチャルの世界には僕の知らない人が沢山いて、沢山の音楽があったことを知ってしまった。
それが毎月お金が無くなることを加速させた原因ですね。

それから、四年に進級し、就活が始まる中で、現実逃避にDJ機材弄ったり、Vの音楽を探していた自分が、変われたのはやっぱり「不眠音楽祭」と、その系譜にある「創奏音楽祭」、その二つが開催されていたDiscordのサーバーの「Sleepless_」と出会ったことですね。

これが始まり。最初は相互のみって話だったのに、不眠音楽祭の話がTLに流れてて、好奇心が抑えられずにすてぃ~くんにリプしたやつです。コミュ障の全力を振り絞った結果日本語おかしいオタクになってる。ゆるして。

見たときはなんか楽しそう→楽しい~~~!っていう感じでふわふわしてたけど、見てたら自分もやりたくなって、たまたま機材は持ってたので練習会場さんをお借りして練習してました。

その時の自分は、グリッドもBPMも何も理解してなくて、ただ好きな曲流してただけなので技術も成長もなかったんですけどね。悲しいね。
そして五月の某日、マジで一番デカい転機が訪れました。
練習会場さんで練習していたら、トゥッティさんという、アニクラやボカクラをはじめとした幅広いイベントに出演していらっしゃるDJさんが、僕のDJ(DJと呼ぶのもおこがましい楽曲への冒涜レベルのアレ)を聴いてくれました。
その時に色々教えていただいたのですが、そこで初めてMTやグリッド、BPM、CUE打ちの概念を知りました。機材自体は2019年の三月頃に買っていたのですが、上達とか何も考えてなくて、知識を調べるってとこに一切頭が行かなかったバカだったんですけども。
本当にここが僕のスタートラインだったと思います。マジでここから世界変わった。
知識がついたことで、今まで何となくで考えていたことの解像度が上がり、練習するごとに自分の粗が理解できるようになりました。
ぶいっとさんや、Vの輪さんをはじめとした配信音楽イベントが増えたりと、機会には恵まれていたのでたくさんのDJをインプットすることができたので、それによってまた耳が成長できたと思う。

そんで、コロナの情勢が小康状態になったこともあり、一部現場が解禁になり、V箱以来の久しぶりの現場、大学の友人であるYくんに誘われ、エンタスさんで開催されていた「スーパーチャット」通称「スパチャDJ」に訪れたことでまた、世界が広がりました。滅茶苦茶楽しいし、滅茶苦茶DJ上手い人たちが沢山いて、すっげ~~~~~~~!!!!!!ってなってました。
後、今まではアニクラをメインだったのですが、オタ芸とかコールとかを覚えるのが得意じゃなくて、サンスネロマンスしかできなかったので、騒ぐ側に回ると自分があんまり楽しめないということに気づいてから、クラブに行くのがちょっと億劫になってたのですが、ただ揺れているだけでもいいというVクラ、というかエンタスさんの雰囲気が自分の趣向と、とてもマッチしててエンタスさんが大好きになりました。下のは初めて行った時の感想。

因みに今よく話してる野良猫鯖の人たちと初めてリアルで会ったのもスパチャDJ、まさかこんな毎日話して誕生日会やる仲になるとは思わなかったよね。
後、補足しておくとアニクラは嫌いじゃないしたまに行ってます。ただ、もうオタ芸とかはせずに眺めてるだけって話なので、多分オタ芸メインじゃない現場にはちょくちょく遊びにいくかな、と。オタ芸したり叫んでるオタクは大好きなので。

まあそんなこんなで色々あってようやく来たのが八月の末頃に開催された第一回創奏音楽祭。僕の初イベントです。マジで緊張した。
僕の友人であり、不眠鯖の管理人でもある「本郷みもみ」というオタクにそそのかされ、募集期限切れた数分後にDJ参加表明するというアレ。そしてこれもまた転機。
初めてイベントを意識した、これまでで最長のセトリを考えて、何度も練習して、ミスが無いように何もトラブルが起きないようにってずっと考えながら、その時の僕にできる最高のものを用意しました。
今聴いたらここら辺治せるくね?って思うところもあるけど、これもまた青春、そんな気がする。
一曲一曲オタクへの感謝と、僕のオタクとしてのほぼすべてを込めて用意しました。ただ、悲しいことに私信を送ろうとしたオタクがほとんどその時間にいなかったのでちょっと悲しい気持ちになりました。しょうがない話だけど、僕はメンヘラなので。
下のはその当時に書いたノート、オタクへの愛情と感謝詰まってるやつ。


それから第二回創奏音楽祭があり、そこでもエンターテイメントを提供したり、周りに強いDJさんがいたということもあり、プレッシャーを受けてさらに成長できたかなと考えています。正直こちらはノート書きかけなのでこれくらいにしておきます......。(書き終わったらリンク張ります)

そんでようやくVtunes!さんに出演させていただいた件についての話をするんですけど。こちらも多分ノート書くのでさらっと何ですけど。
卒論が終わってちょっと経ったくらいにトゥッティさんからオファーが来て、マジで心臓飛び出るくらいびっくりしてました。
トゥッティさんはDJに関する基本的なことを教えてくださったり、僕の中の師匠的な存在の人の内の一人なので、オファー来てしばらくは混乱してて、家の中を歩き回って「どういうこと~~~~~~~~~~~??????!?!?!??」って叫んでました。マジで。
僕が現場に出るってビジョンがなかったので、本当に心臓破裂するかと思って不安でした。現場出たい~~~~って言い始めた数週間後に、まさかオファーを頂けるとは本と思ってなかったんですよ。しかも年内、いやいや、速度がおかしい。心構えできてませんって!!!!!!

それでも、オファーを頂いたからには全力で挑みたいって考えてました。頭の中ぐるぐるして、迷いながらツイッター眺めてたけど、本郷みもみくんから創奏音楽祭の名前を背負う許可が出たときに覚悟決めました。ヘタレ野郎でもやれるだけやるぞ、という話。
そんで、そこから爆速でセトリの初稿作って投稿して、そっからちょくちょく手直ししながら本番に備えてました。
不眠鯖の人への愛、それ以外の人も盛り上げるためのセトリ、自己満足で終わらせずにやりたいこと全部やるってのをテーマに全力でやりました。
ただ、本番でPCの充電切れで音を止めてしまったのは本当に申し訳なかったです。死にたくなったし、めっちゃショット飛んできた。おなか痛くなった。許して。といったところでVtunes!さんについてはこれくらいにしておきましょうか。思ったより書いちゃったし、多分こっちからいくらか、別のノートに持って行こうかな。


もうここからはあとがきみたいなもんなんで、飛ばしてくれてもかまわないんですけど、ちょっと話します。

不眠の人達、皆好きなんですよね。かなり幅広いので、同期でも、先輩でも、仲間という認識でもなく、自分を変えてくれた、成長させてくれた人達、恩人という認識なので。マジで恩しかない。ただゴッフィの時は別なので全力でシバきます。

話し戻すと。多分、これからどんなイベントに参加できたとしてもどっかに彼らが好きそうな曲突っ込むと思う。できる限り皆を応援してるオタクになります。
人の笑顔見るのが一番好きなので、オタクが喜んでくれたらそれが僕にとって一番の報酬なんです。

そりゃ皆がどんどんでっかくなっていくのを見る度に少し、置いて行かれるような気持ちになるし、多少の嫉妬とか羨望もありますけど、人それぞれ歩くスピードは違うから、しょうがない話なんですよね。
だから、皆の後ろにいる僕は最高速で追いかけるしかないんですよ。
今は就活もありますし、コロナもあるから難しい話ですけど、いつか不眠の皆と並び立てるようなDJになりたいなって目標があるので。





って色々書いたけどさ、でもやっぱカッコつけられん、俺がやりたいからやってる。
DJ楽しいからやめらんないのよ。走るのやめらんないってか、足が止まらんって話。身体は勝手に動く。だらだら書いてもアレだしこれで終わりだよ。

長々と駄文を読んでくれてありがとうございました。また、どこかでお会いしたら、話しましょう。僕コミュ障なんですけども。

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