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リモートワーク、仮想自分。

人の目が気になるタイプの人間にとってリモートワークとは快適である。人の目はノイズであり、効率を下げる。と思っていた。

理論上はそのはずだったのだが、時間が経つにつれ、少なくとも自分に関しては予想とは異なる感覚が生まれた。そこにあったのは自由で集中できる感覚ではなく、誰かに監視されているような感覚だった。

誰に監視されているのか、あえて名付けるなら”仮想上司”である。彼はいつの間にか、いた。

オフィスで働いているときは、見られているかどうか、どう思われているかを一定程度認識する手がかりがあるため、監視されているという感覚はありつつも、対応を行うことで同時に安心感を得ていた。

学校の教室では教師が前にいるより、後ろにいるほうが規律が高まるという話を聞いたことがある。前にいれば自分が見られているかどうかを把握しているため必要時のみ対応すればよいが、後ろにいる場合はいつ見られているかわからない故に常に注意を払わねばならない。

自分が感じていたのはまさにこの感覚だった。

そもそもの原因は、人からどう見えているかにとらわれていることだ。ということはわかっているのだがなかなか解消できないでいる。

進まない現状を見るに、監視はノイズではなく、伴走者として機能していたのかもしれない。するべきことは、おそらく仮想上司をアンインストールすることではなく、自分を上から見る自分:仮想自分をインストールすることのような気がする。仮想自分(基準)がいないから依存してしまっているのだろう。

時間を区切る、到達地点、基準を決める、やったほうが良さそうだけどなんとなくしていなかったことが、たくさんあることに気がついた。ということで、仮想自分さん、よろしくお願いします。

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