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楽団を辞めて、新たな路に進む話

5/31をもって、昨年11月に入団した楽団を退団しました。
今回はその話を書きたいと思います。

楽器を吹いている自分の略歴

私達夫婦は、お互い楽器を趣味、特技として、土日祝の自分時間に一般団体に加入して活動しています。楽器はお互いトロンボーンを吹いています。
ちなみに楽器つながりで知り合い、たまたま姓も同じ(!!)で、結婚に至りました。


ふたりとも楽器は同じだけど、音楽のジャンルは違います。

夫→JAZZビックバンド所属
私→一般吹奏楽団、アンサンブル団体に所属

アンサンブル団体は、依頼されて演奏しており、コロナ禍で依頼がなく行くことがほぼなくなりました。
加えて練習場所が遠いのもあり、籍をおくだけ、な形になっています。
吹奏楽団に関しては、社会人になりいろいろな楽団を経験しました。
仕事が土日祝休みではなかったため木曜日夜練習だったり。
転職し土日祝休みで、営業さんに楽団所属の人がいて、人数いないからと土曜日の夜に2時間かけて練習に行ったり。
引っ越して土曜日の夜練習が厳しくなり、日曜日の午後、紹介してもらった楽団に行ったり。
人数が足りないバンドに、エキストラで行ったり。
社会人独身〜結婚して2年は、そんな形で過ごして来ました。

妊娠して楽団を退団

日曜日の午後に練習する、毎回吹奏楽オリジナル曲を演奏会で披露する、指揮者もトロンボーンの先生の楽団は、
楽しい楽団でした。しかし、妊娠が発覚。
大きな演奏会には出られず、妊娠8ヶ月で退団。
妊娠発覚2ヶ月前に引っ越しもしており、退団しとりあえず落ち着いてから戻ろうかと思っていました。

出産後、思った以上に子育てが大変で、アンサンブル団体もあったので自分の精神力が持たない日々が続きました。
復職して、変わらないモヤモヤもあったかもしれません。
この頃から、徐々に体重も増加。
ストレスで食べてるし、子供にも夫にも優しくなれない自分がいました。


二人目の妊娠、新型コロナ

いづれまた書きたいと思いますが、新型コロナで緊急事態宣言が発令された時期に二人目の妊娠が発覚。
諸事情があり会社には信頼できる一部の上司や同僚のみに話し、つわりの時期は出勤が減り非常に助かったものの、不安な日々を過ごしました。
アンサンブル団体も依頼がなくお休み、楽器を吹ける環境、公民館借りられないという非常事態が発生。
夫も細々と続けていたビックバンドも練習できずでした。

音楽が私達を支えていた

新型コロナウイルスの影響で、楽器が吹けない、大好きな音楽がプレイヤーとしてできないことで、気づいたことがあります。
それは、音楽が私達夫婦の関係を支えていた、ということ。
音楽で、自分の第三の居場所を確保して、家、会社以外の特別な場所で気持ちの整理ができていたこと。
この時間は私達にとって自分だけでなく、家族が楽しく過ごせるものだったということです。
二人目妊娠中〜出産まで、夫が行ける日はできるだけ多く練習に行ってもらいました。

楽団に入団〜退団

私達にはそれぞれ居場所が必要ということ、
そのために、家族の時間も大切に出来、家からも近く、居心地のよい楽団に入りたいと思っていました。

そんな中、自転車10分の練習場所で、日曜日の夜に練習をしている楽団を見つけました。のんびりゆっくり、リハビリしながら楽器をやるにはちょうどよいなと思い、団内指揮や指揮者の先生もよい人だったので入団しました。
楽団に入ってみて、立場は違えど楽しく演奏していましたし、みなさんゆるくといいながらも演奏はしっかりでやりやすいかなと思っていました。
トロンボーンパートはメンバーの出入りがありほぼ一層されていて、歴が短いメンバーでした。
仲良くやれそうかと思いきや、私の中で落とし穴が待っていました。

復職、小学校入学、保育園のトリプルパンチです。

5月に復職してから、前々から鍼灸で和らげていた左の首〜肩も辛くなり、
小学校一年生になりプリントの山、併設学童お迎え、保育園入園しての送迎、私の胃腸炎…すべてが重なり、辛くなりました。

物理的な問題もなのですが、心理的な問題も重なりました。
歴の浅いメンバーばかりのため、セクション割は何故か私に任せられる。
しかし、上手な子が先にパートを決めてあとを決める。
それは何故か。楽器が上手い子は、上手なメンバーの子供だから。

ソロやりたいとか、やりたくないとかは抜きにして、パート内で相談しない状況に疑問を持ちました。
また、演奏会でトロンボーンアンサンブルをやる話がありましたが、団の一人が人数余るから予備人員になると言いだしモヤモヤ。
ユーフォもメンバーになる話になるがユーフォがいたら音質変わる…(だからやだな)というメンバー。でも自分からは言わない、モヤモヤ。
アンサンブルも練習初日から、合わせはほどほどに上手な人(セクションリーダー)の通し練習…モヤモヤ。
曲を選ぶにも審査があるらしく、この日付近胃腸炎で行けていないですが、みんなで相談して方向性を決めてアンサンブルをするのではなく、審査員が決める…モヤモヤ。

私が思っていた
「コンクールに出て練習たくさんして土日削って音楽で賞を取るため厳しさ」
はないが
「音楽の方向性は上手な人が決めていきそれに従えばよい、できる限り自分では決めない、やらない」
という考え方なんだということがわかり、自分が向き合いたい音楽の方向性が違うことに気づきました。
楽団で、私は何を学びたかったのか?
音楽に向き合う姿勢を、自分自身の技術を学びたかったのではないか。
毎月団費を支払ってでも、指揮者の先生から教わる、仲間と一緒に音楽を楽しみ、自分の技術を磨くはずだった。
しかし、その楽団には私が目指す方向の音楽はありませんでした。
段々とストレスになり、物理的な面も重なって退団を決意し、退団届を出しました。

私が見つけたかった音楽を見つけるために

今回、物理的な距離で決めましたが、それだけでは解決しないものは非常にたくさんあることに気づきました。
自分が居心地の良い、楽しむ空間がないと、自分自身が辛いということです。
土日祝の休みを削ってまでも辛い思いをしてやり続けるのは、プレイヤーとして、音楽を楽しむ人として、音楽に失礼なんじゃないか、自身が苦しい音楽を誰が聴くんだと考えました。
確かに、集団では合わない人もいるでしょう。
趣味としての居場所が合わない人だけとは限らないし、雰囲気、音楽の方向性、自分の技術向上に向けて学べる内容か、何より、音楽を一緒にやって楽しい人なのか。

私は今まで入っていた楽団が、すべて当てはまらなくてもほぼ当てはまるくらい、恵まれた環境だった。
そうした音楽で楽器で素敵な出会いが生まれたことに感謝しました。

自分自身、音楽の方向性は見えてきた。
その分、音楽以外でのキャリア形成、ビジョンが明確になるヒントを見つけられたので、言語化、行動にしていきたい。
失敗があるから、そこから学ぶ。
遅いタイミングかもしれないけれど、別の路を見つけたので、進む先をクリアにしていきたいと思います。


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