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おばあちゃんは知っていた

以前住んでいた家の近所を通った時
隣に住んでいたおばあちゃんのことを思い出しました。

そのとき私たち家族は亡くなった友人の法要へ行くために
車に乗り込もうとしていたところ
買い物帰りの隣のおばあちゃんとばったり会いました。

私たちが正装していたので
おばあちゃんはサラッと流すようにこう聞いてきました。

「何かあったのかい?」

いつもとは違う聞き方なのです。

私が「法事で・・・」と言うと
おばあちゃんは一言「いろいろあるからねぇ・・・」
とつぶやきました。

時間に遅れそうだった私たちはその言葉を聞きながら、
軽く会釈をして車に乗り込みました。

すると、おばあちゃんは
買い物袋の中から柏餅と菓子パンを取り出し、
窓から私たちの方へ差し出しながらこう言ったのです。

「途中で食べなさい」

その時私は、なぜおばあちゃんが私たちに食べ物を
渡してくれたのか深く考えませんでした。

それから、私たちは友人の実家へと車を走らせ
時間にどうにか間に合い
無事、亡くなった友人に手を合わせることができました。

友人の奥さんやお母さん、親戚の方は
友人が亡くなってから随分と時間が経っているのに
まだ悲しみの世界と現実の間を行ったり来たりしているようでした。

日々の生活をバタバタと過ごしている時は
悲しみを忘れられるのかもしれません。

しかし、仏壇の前に来るとスイッチが入ったように
悲しみの世界に戻ってしまうのかもしれません。

そんなことを思いながら家に帰ってきて
夕食を食べている時にあることが浮かびました。

隣のおばあちゃんのことです。

おばあちゃんは知っていたのです。

いくら悲しい時でもお腹は空きます。

バタバタと法要の会場へと向かっている途中に
何も事情を知らない子ども達が
お腹が空いたとダダをこねたら、
私たち夫婦はいつも以上に子ども達を叱るかもしれません。

おばあちゃんはこのことを
ご自身の経験の中で知っていたのです。
だから、私たちに柏餅と菓子パンを渡してくれた。

本当かどうかは、
実際に聞いてみなければわかりませんが
少なくとも私にはそう思えました。

日々の生活を送ること自体が学ぶことなのだ
ということを改めて知りました。

あかつきと 宵の空を 眺めつつ
思い返すは 過ぎてゆく日々

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