さようなら、マーちゃん
我が家に帰る道。野良猫の世話をしている女性が待っていたかのように道に出てきた。
「時々、家にご飯を食べに来ていたマーちゃんが亡くなったの」
私は何と言っていいか分からず、えっとつぶやいたきり立っていた。
「昨日、家に帰ってきたら玄関の前に倒れていたの。中に入れてやったけど、もう、何も食べられなくて」
女性は語った。
「朝5時から昼の12時まで仕事、休むことできなくて。帰ってきたら、もう、体が硬くなっていた」
「マーちゃんは幾つぐらいだったの?」「まだ半年ぐらいよ」「どこかに飼い主いたのかしら」
「野良の生んだ子供よ。あっちの角の家で時々餌をもらっていたけど、いつの間にかここに来るようになって」
「ここには、たくさんの野良ちゃんたちが来ていたから、遊びに来たのでしょうね」
「あの弱り切った体でここまで来て私を待っていたと思うと」
「きっと這ってでも、あなたに会ってから死にたかったのね」
「最後の瞬間は看取れなかったけど、裏に埋めてあげたの。ハトが首を切られて、そこに死んでいたから、ハトも一緒に埋めてあげた」
私は何も言えなかった。
「お墓、見てゆく?」
嬉しかった。互いに苗字も仕事も生活状況も年齢も知らない間柄。ネコのこと以外、話をしたことはない。
私は月二回キャットフードを玄関の引き戸の前に置いてゆくだけ。プライバシーには立ち入らない。
彼女が私に、マーちゃんのお墓を見せてくれると言った。本当に嬉しかった。自分から言い出せなかったから。
「大家さんがここに埋めていいと言ってくれたの」
土の上に小さな白いユリの花が置いてあった。玄関脇に咲いていた花だ。
私は合掌して、写真を撮らせてもらった。
「ネコは飼い主に死ぬ時の姿は見せない、という人がいるけど、あれは嘘。そう言う人はネコに愛情がないからよ。ネコはいちばん好きな人の前に這ってでも近寄って、傍で死ぬ」と彼女は強い口調で言った。
私もそう思う。
私が飼っていたネコはどのネコも、必死で私に近づき、私を見つめ、最後のあいさつをして逝った。
「マーちゃんは幸せだったのね。死ぬ間際にあなたに会えて、家の中に入れてもらって」
女性は黙ってうなずいた。
雨が降り出してきた。
「傘、持ってる?貸してあげるよ」
「大丈夫、持っているから」
傘に当たる雨の音を聞きながら思った。
彼女はマーちゃんが死んだ悲しさを分かち合う人が欲しくて、待っていてくれたのだ。
そんな気がした。
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