一人千円と下着と本しか許されなかった引揚船。生きて日本に帰れるかどうか分からないのに写真をリュックに

画像1 アメリカとの戦争に勝つと信じていたころ。台北市の公園。私はまだ生まれていない
画像2 少年たちは軍事教練を受けさせられた。戦争とはこういうものなのだ
画像3 戦争激化。教師たちも軍人の一部にされた。かつて日本が歩んだ道
画像4 近所の子供たち。戦禍で台北が焼き尽くされる前の日本人町。爆撃で死んだ人も大勢

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