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どこにでもいる少年岳のできあがり  山崎範子

 私の書いた土佐弁を読んで義母は「ちっとまちごうちゅう」という。「まちごうちゅうけんど、かまやせんぞね」という。どこがどう違うか教えてはくれない。構わないならまあいいか。
 夏休み、その義母のもとへ帰省しようと思うのだが、学校のプール、林間学校、クラブの練習、友達との約束など、三人の子どもらのスケジュールを、スッスッとかわしながら、なおかつ私の仕事の休みと合わせて高知へ行くのは至難の技だ。夏は山登りに明け暮れるつれあいは、夏の帰省など端から頭にない。「今年の夏は帰れそうにないよ」、義母にそう電話をしてしまおうと思った日にハガキが屆いた。

〈毎日暑いことです。雨が降らないので焼けつくような暑さで、日中は買物に行くだけで大変です。朝夕の涼しい間に散歩をしたり、花に水やりをしています。運動会での旬の大漁節の踊りが見たかったね、今度来たときに踊ってみせてください。朝、窓から見ると素晴らしい赤の朝顔と紅葉あおいが毎日咲いて、これがおばあちゃんの唯一つのお友達です〉

 うまいねえ、ちゃんとハガキの出し時を心得ている。予定変更。
「四、五日しか居られないけれど来週行くから」と電話をすれば、「またうるそうなるねえ」と応じてくる。
「悪いねえ、今のうちにゆっくり休んでおいて」と甘えると、「ちっともかまやせんぞね」と優しい。
 さっそく、高知行を子どもたちに伝えると「ワツ」と喚声が上がった。学校のプールより、高知の庭でする焚き火のほうがはるかに魅力的なのだ。小学五年の旬と二年の牧はさっそく留守中のハムスターの世話をどうするか話し始める。
「俺がいるから大丈夫だよ」
「エーツ、おにいちゃん行かないの?」

 兄弟の一番年嵩、中三の岳は帰省予定の真ん中から生まれて初めての塾通いとなる夏期講習が決まっていた。
「夏期講習の最初の三日、休んでもいいよ」
「うーん、金がもったいないから高知行くのは止しとく。でも講習サボっていいなら、一日だけ休んで、バドミントンの全国大会を見たいんだけど」
岳の中学生活はそのままバドミントン生活でもあった。部員は少なかったが、仲間にジュニア大会二位の成績を持つ男子がいた。そして熱心な顧問の先生がいた。練習に休みはなく、試合にはいつも勝ち残り、遠くまで応援に出掛けていった。

 十二月一日の冬生れで、小さい頃には気管支肺炎を患ってはよく入院した。咳込むと食べたものをすべて吐いてしまうので、身体は小さかった。身軽だったせいかよく動き、動いては咳込む。そんなことも三歳になり四歳になるうちにだんだんと減ってきた。
 保育園時代、四つ脚のまま階段を上り下りできるのが自慢だった。私の自転車の横を四つ脚でパカランパカラン走ったものだ。建築現場の足場のてっぺんに上り、一緒にいた友達の「岳ちゃんが、岳ちゃんが‥‥‥」と泣く声で通りがかりの人に気づかれ、「下りてこい」という怒鳴り声に、今度は知り合いが気付いて連れて帰ってくれたことがあった。咳がひどくていったお医者さんの診察室で、血圧を測るときに腕をのせる小さな黒い台に、猿のようにチョコンとのっかり、看護婦さんを「キャー」と叫ばせたことがあった。

 小学生のとき、「岳くん、耳あるの?」が先生の口癖。おとなの話に無関心で、いくら声を掛けても返事はない。「自殺の練習をするぞ」と近所の子を誘い、二階から順番で飛び降りていたことがあった、らしい。私は夜になって「あの遊びは止めさせたほうが」という電話を受けて肝を潰した。雑誌「谷根千」の仲間と子ども連れで旅行にいったとき、大浴場の風呂の栓を抜いたと叱られ、ひたすら謝ったことがある。自分の真上にある巨大な氷柱の根元に石をぶつけ、落ちてきた氷柱に自分のジャンパーを切り裂さかれ、周りにいるものの寿命を縮めたこともあった。帰りの列車で、隣に座った片腕のおじさんが、「おじさんの手を見つけてみろ」というので、ワイシャツの中までのぞき込み、腕のつけねを触って「ここが先っぽだ」と答えてたら、千円のこずかいをもらった、というのは列車を下りてから聞いた。

 大家さんの庭の石灯籠が勳いたとか、カエルの餌になるハエを集めるために大便を虫かごの中に入れてマンションの廊下に置くので臭いとか、直接岳に注意してくれていることを私が知るのは、いつも数日後だった。とにかく、岳の近くにいたおとなは皆、寛容だったと思う。
 中学生になり、バドミントン部に入部してから、突然人が変わったような気がする。
「人が変わったんじゃないよ、岳ちゃんは人になったんだよ」
 と言ったのは安達栄子さん。
 彼女の家には岳より五歳下の同名岳ちゃんがいる。大きい岳は小さい岳ちゃんの家のトイレをよく借り、テレビをよく見せてもらった。同じマンションの、うちは三階、安達さんは一階で、学校帰りの岳は必ずオシッコを漏らす寸前だったし、アニメの「ドラゴンボール」を見たいのに、家にはテレビがなかった。
「テレビを見ながらずっとヨダレを垂らしてるのよ」
 初めてテレビを見せてもらった日、安達さんはまあるく湿った座布団を私に見せた。それからは岳のアゴの下にタオルを置くことにした。
 バドミントン生活に入って半年が過ぎた頃だ。仕事仲間のOもMもその家族も、皆で夕食を食べながら騒いでいるときだった。
「よう、おまえら、人の迷惑になるようなことはするんじゃねえ」
 と誰かが諭すのが聞こえる。
「ちょっと、今の声、岳ちゃんじゃない?」
 仰木ひろみが箸を止める。皆が声のほうへ振り向く。そして腹を抱えて笑い転げた。
「岳がねエ、人の迷惑を考えるなんて、いやあ、驚いた」
森まゆみの笑いはしばらく止まらなかった。
 そして中学三年の夏までに、バドミントン仲間と、顧問の先生に育てられて、岳は規律を重んじる体育会系の、ド根性少年となっていった。私にとっては希少年岳の終焉に思えて、寂しかった。中学最後の公式戦が七月に始まっていた。最後だから、と初めて見にいった試合は息子のチームではなかったが、バドミントンの試合は想像していたよりずっと動きが激しく、面白かった。区大会で味をしめてブロック大会、都大会にも足を運んだ。コートをヤマネのようにすばしこく動き回る息子の姿も楽しかったが、それ以上に、岳の精神に影響を与えただろう仲間の下川君が美しかった。圧倒的に強く、そして魅力的だった。団体戦は都大会で敗退。下川君は個人シングルで関東大会を勝ち進み、愛知で行われる全国大会への出場が決まっていた。
「下川君の試合、いつ?」
「高知から帰ってくるっていう前の日」
「愛知だったよね。名古屋?」
「大府だって。名古屋の近くだと思う」
「じゃあ、高知から帰るの一日早めてカーサンも見る」
「いいよ別に無理しないで。俺は一人で行くから」
 なにをいうか、私だって見たいのだ。
 岳は結局、夏期講習に行くため高知には行かず、講習を一日休んで、私たちと試合会場の大府市民体育館で待ち合わせることにした。

 下川君は全国大会の一回戦、二回戦、三回戦と勝ち進み、ベスト4入りを果たした。そして、優勝候補である香川県の前田君を相手に準決勝戦となった。前田君は例えていうなら、野生味たっぷりのゴリラタイプ。力も迫力も満点で、スマッシュが決まるたびに「ウオーツ」と叫ぶ。下川君はピンと張詰めるオオカミタイプで、プレー姿はとにかく美しい。「ウオーツ」という雄叫びにも表情を変えず、ネット際で相手のミスをつく。だが、負けた。下川君の三位が決まったとき、会場から溜め息がもれた、気がした。もちろん、前田君のチームメートからは大喚声が上がっていたのだけれど‥‥‥。
「あれ、岳は?」
「おにいちゃんはずっといなかったよ」
 そうか、岳は私たちからずっと離れた場所で、下川君を声援しながら一人で試合を見ていた。そして、いつまでも拍手をしていた。夏は終わった。バトミントン部を引退し、岳は受験生になった。

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夜の本郷に写植カバが鳴く   山崎範子

 A五判四十八頁、ペラペラのこれが雑誌「谷根千」の基本型。創刊号は八頁。二号目でグンと飛躍して三十二頁。そして四十号、四十八号とジワジワと厚くした。三十六号「学童疎開」の特集で思いが余り五十四頁。四十号の十周年特集は編集人三人のくだらない懐占談を載せて七十二頁になった。基本の一・五倍。たとえば、いつも十五軒分自転車にのっけていたのが、十軒分しか積めなくなる。広告の数も増えてホクホクしていたところに、割増の写植代と印刷代の請求が届く。雑誌を厚くするとはこういうことだ。

 谷根千の文字は写植。文京区本郷のスマイル企画という写植屋さんで打ってもらっている。「打って」というのは正確ではないな。数年前から電算写植だからワープロのようにキーを「叩いて」文字を入力していく。そして藤間さんが編集機で改行や文字の大きさ、書体を指定してくれる。

 さあ、ゲラがでた。ゲラというのは校正刷りのことで、活字を組んで入れる長方形の箱(galley)の名からきたのだった。ちょっと脱線するけど、今から二十年ほど前に精興社印刷の青梅工場を見学した。原稿を見ながらキーを叩き、叩かれて穴のあいた紙を機械に入れると、その先から新しい活字がポンポン作られて並べられていくのを見た。活字作りが機械化されている横では、あの鉛でできた小さな活字の、しかも裏返しになった字をひとつひとつ拾っている文選の人がいた。抬った文字を版面にきっちりと並べる植字の人がいた。私たちは振り仮名をルビと呼ぶけれど、これも活字の大きさで七号(五・五ポ)のことをイギリスではルビーと呼び、それが振り仮名に使う大きさだからなのだとこのとき教わった。本作りには、あの重たい鉛の入った箱を並べてゆく作業が必ずあると思っていた。が、谷根千を作るとき、目の前には写植しかなかったような気がする。

 話を戻さなくちゃ。ゲラが出ると原稿と突き合わせて校正をするが、書いた人間と直す人間が同じなので非常に心許無い。そこで小野寺さんに校閲をたのみ、そのほかに編集人三人で読み合わせをする。三人がゲラを手元に置き、回り持ちで読むのを目で追い耳で聞く。「その人はそんな話し方はしない」「ぜんぜん意味わかんないよ」「この話ホンド?」なんて、原稿書くときにどうにかして欲しいこともここで直す。「この漢字心配」 「ここで改行しよ」 「アンタの文章〈ネ〉が多いから三つくらい削ろう」「この話〈だそうだ〉くらいにしておいた方がよくない」など。

 朝から仕事場に籠もり、留守電にして玄関に配達中の札を下げる。コーヒーをガボガボ飲み、昼ごはんも適当につまみながら、読む。読みながら、聞きとりの語り手のことを話す。取材したときの失敗も話す。腹立ったことも話す。嬉しかったことも話す。Oが突然語り手の声色を使って読みはじめるから、腹をかかえて笑い転げる。一転この密着した時間に、日頃のウップンを晴らすべく、お互いの欠点をあげつらってデスマッチを繰り広げることもある。

 夕方、いつも時間切れ。残りの読み合せを超スピードで片づけ、真っ赤になったゲラを持ってスマイル企画に走るのだ。編集機の画面を見ながら赤字を直す藤間さん。直っているかどうか初校と再校ゲラを突き合せ、今度は素読み。「素読トハスットバシテ読ムコトナリ」谷根千。このあたりは急げ急げの大合唱で、できあがったときの赤っ恥がわかっちゃいるけどいつもこうなる。

 再校または三校で校了。編集されたフロッピーが動物園のカバほどの大きさの黄色く四角い写植出力の機械にかけられる。
「グィーン、ガシヤ、ガシヤ。グウィーン、ガシヤ。……グィーン、ガシヤ。グィーイーン、ガシャガシヤ」これが黄色い出力カバの鳴き声でけっこう大きい。機械なのに音は不規則で、グィーンというところが「この字はどこかな」、ガシヤは「お、ここだ」に聞こえる。だから難しい字を探すときは「どこかな、どこかな、あれ、ないな、おっ、あったあった」風に「クィーンクイーン、……グィィーン、ガシャガシヤ」となるのだ。

 応接間のないスマイル企画の長机で、赤字消しをしながら出力カバの鳴き声を聞く。やさしい藤間さんがお茶やお菓子を出してくれる。夜だったりすると、社長の丸山さんがコップ酒を出してくれたりする。ご近所の超零細出版社の人たちが酒持って、議論もしくはくだを巻きに集まってきたりする。丸山さんはそっちの仲間に入り、藤間さんは酒席を横に仕事をする。 

 またまた脱線。この出力カバがスマイル企画にやってくる前、今野さんが写植を打ってくれた。これはまことに「打つ」というのが正しい。ガラスでできたネガ文字の並んだ文字盤を動かし、必要な文字を探して、「ガシャッ」と一字一字印画紙に印字するのだ。旧式の手動写植機。今野さんは自宅にも機械を持っていて、文字盤をバックに詰めて持ち帰っていた。ある日「すいません、一時間半ほど出かけたいのですが」と今野さんがいう。「どうしたの?」「文字盤を家に置いてきちゃったから‥‥」

 今野さんに打ってもらっていた時代、私たちの原稿は丁寧だった。漢字もしっかり調べていたし、何度も読み通し、清書もした。なにしろ間違いを直すのが大変なのだ。直し部分の印画紙の表面をうすく剥し、正しい字をのりではりつける。一字ならまだしも行が動くようなときは、曲ってしまったりでみっともない仕上りとなる。だから直しも慎重だった。字数が増えないように、何度も数えた。

 今の電算写植はコンピーユーターだから印画紙にする前に見て校正ができる。直しもコンピューターの中だから、仕上ったものが曲るなんてことはない。ピシッとしているのだ。
 話を戻す。出力カバは一行一行ピシッと並べて印字してくれる。そしてトイレットペーパーのようにずーっとつながった印画紙の巻き物を藤間さんが「ハイ、デキタ」と渡してくれる。できたのは写植なのだ。それでも「ヤッホー! アリガト」とスマイル企画を飛び出し、夜の赤門前を自転車で走り抜ける。この巻き物が谷根千に変身するには、まだ幾晩かの夜業が待っているのだ。

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谷根千編集後記傑作選

プロの読者は真っ先に編集後記を読むのだ

其の三十五号
◆女子校の教師をしている友人から映画に綉われた。「どうしても観たいのがあるけど、ひとりで行くのはちょっとね」という。早い話が私は用心棒だ。彼女は「この十三年問で映画館は二度目」だと平然と言うので、のけぞった。予告編が始まると「エッ、スクリーンてこんなに大きかった?」だって。とにかく楽しいひととときで、またひとり映画館愛好者が増えたかな。
◆おとなになるってことは、想像力を働かせて、いろんな状況があるってことがわかって、周りとうまくやることなんだ。だけど。「私もガマンするからアンタもガマンして、うまくやりましょう」的なのは好かない。「私はこうするけど、アンタは何が言いたいのよ」的にうまくつきあっていくのがよい。会いたくない奴と会って、話したくない奴と話して、したくない仕事をして、一生を終わりたくないものなア。
◆おっと、話が観念的になっちゃって。谷根千はこの自分勝手流の実験的仲間で、毎日崩壊の危機に瀕している。それを支えているのは自分だと、あとの二人はそれぞれ思っているけど、ホントは私なの。
◆この冬、歩道に乗りあげて駐車している自動車を叩き壊し、地下鉄の入口に置いてある自転車を蹴り倒し、歩きながら道に痰を吐くヤロウの横っ面を張り飛ばしたくなった。ああ、なんて戦闘的になってしまったんでしょう。次の三ヵ月で春風のような女になるゾ。(Y)
▽三十五号の特集は「谷根千流-百人百様の食」

其の三十八号
◆初めての海外旅行にまもなく出発。嬉しくて足が地に着いていない感じです。
◆私の知る外国はいつも映画の中。「秋菊の物語」 (中国) 「友だちのうちはどこ」 (イラン) 「ふたりのベロニカ」 (仏十ポーランド)などを観ると知らない世界を愛せる気がしてきます。
◆この町に住んでそろそろ十五年。居心地の良さを「駅と銭湯がくっついているの」と自慢する。だって千駄木駅の左隣が大菊の湯。最近マンションの風呂場がとても狭く思えて、しょっちゅう行くの。
◆大菊の湯には三つの湯舟があって、ひとつは乳白色の薬湯。いつもはぬるめでのんびり入れるのに、なぜか昨日はものすごく熱い。私の横で手を入れたおばあさんも「オットー」とあわてて手を引っ込め、「ちょいと、薬湯んとこもんでくれない」とドアの奥へ声かけた。するとお兄さんが板を抱えて出てきて、湯もみをはじめた。「湯をもむ」という言葉と、お兄さんの手つき腰つきがすっきり似合っていて、自分が裸なのも忘れてみとれてしまった。
◆それにしても、ガキを除けば、私が一番若そうな女性だったのに、お兄さんは一瞥もしなかったなあ。大菊の湯から須藤公園の脇を歩いて家まで二分。だから、うちに遊びにくる時は駅でひと風呂浴びて、体の芯まで暖まっておいで。ビールを冷やして待ってあげる。(Y)
▽三十八号の特集は「質草のある豊かな生活-遠くの親戚より近くの質屋」

其の四十号
◆Mに先立つこと三週間、私もめでたく引越した。家賃のこと考えるとちっともめでたくはないけれど、たった百メートルの移動は楽ちんだった。谷根千の子らと近所の子らで荷物のピストン輸送。「ちわ! ジャリネコヤマトでーす」などと、ナカナカ楽し気にやってくれる。
◆「ずいぶん子どもさんが多いんですね」と新しい隣人に声をかけられた。笑顔の下に隠れた不安な表情。そりゃそうよね、こんな子沢山が越してきたら私だってめげちゃう。「いえいえ、うちの子はこの中の三人で……」となるべくおとなしそうな子を指さして安心してもらった。
◆朝起きたら窓の外の猫と目が合った。寝姿をじーっと見てたな、こいつ。私が体を動かすたびに一歩ずつ後ずさりする。立ち上がって窓に近寄ると、振り向き振り向き姿を消した。夕方、サンダルの上で寛ぐ猫。気配に目を開け、またじーっと見る。近づくとゆっくり腰を上げた。
◆犬猫ご法度のマンション住まい。だが、どうもこの猫、前の住人の置土産らしい。あるいは猫の意志で飼主と行動を共にするのを拒んだか。オイオイ、私が知らんぷりしている間に、すっかりうちの子をてなずけおって。
◆愛読のシティロードが廃刊。しかたなくぴあを買った。半月映叫館へ行かないと欲求不満で見悶えしちゃう。活宇じゃ心の隙間は埋められないものなのね。(Y)
▽四十号の特集は「長生きのおすそわけ──文弥百歳、谷根千十歳」

其の四十一号
◆引起して五ヵ月、一番の変化はトイレの時間が長くなったこと。生まれて初め洋式トイレの生活です。Oが本を読むならトイレか電車だ、といっていた意味がようやく身に染みてわかった。
◆「もういいかい?」 「まだまだ……」小さいとき靴隠しをしていて、ひとんちのトイレの窓を開けて投げ入れたのが最後まで見つからなかった。あの靴、どうしちゃったんでしょ。当時、店舗付き長屋に住んでいて、そこのトイレは板一枚渡した別棟で、手前が男子小便用、奥が女子小便用かつ男女共用でありました。間仕切りの上に二〇ワットの裸電球ひとつ、窓を開ければ無花果の、寒くて暗いがしみじみしたトイレだった。
◆まだ続く憚りの話。鴎外図書館のトイレは相性が良くて必ず寄る。谷中コミュニティセンターも好き。逆に、谷根千のは男性に不便で、汐見会館のトイレ用下駄は小さい子に履きづらい。文林中学は古くて汚く、生徒が膀胱炎にならないか。
◆四十一号は編集者役得の日々で幸せでした。その最たるものが、飯田行きと奥本大三郎さんとの散歩。散歩のあとに夢境庵でひと休みして「蕎麦屋で飲む」という長年の夢も果たしちゃった。
◆夢っていえば、トイレに行く夢をいくら見てもいまの私の布団は大丈夫。ね、大人になるってすごいことだと思わない? 最後までゴメン。(Y)
▽四十一号の特集は「夏目漱石の千駄木」

   其の四十二号
◆阪神大震災の報はラジオで聞いた。東京のように離れた場所にいても、地震前と後では物の見方や考え方が変わった。
◆今まで「震災前はね」とか「それは震災後のことよ」という言葉を、大正十二年九月一日以前か以後かと、時代区分に便利と聞いていた私。当然だがそれは違う。「前」に続く長い「後」で、感性や風景や価値も変わる出来事を指すのだ。
◆晴れた土曜日、池の端で重そうな振り分け荷物を背負った尾台さんに会う。愛犬コロ子を先に戻したので、途中で待ってやしないかとバスにも乗らず歩いてきた。私の自転車に荷物を乗せ、一緒に三段坂を上る。コロ子は無事帰っていた。荷物運びのお礼にと大きなミカンを三つ。
◆あれ、尾台さんちの隣に古道具屋が開店している。おお、湯たんぽの袋を売っているじゃないか。縫おう縫おうと思いながら、タオルにくるんで使っていたのだ。谷根千事務所の冬は寒い。外より寒い。ストーブ一コじゃとても暖をとるには足りない。アンペアもコンセントも少ないので電気製品をやたらと使えず、足元に湯たんぽなのだ。古道具屋のナウくてカッコイイお姉さんが、おつりを渡しながら私にいう。「湯たんぽを使っているなんてオ
シャレな事務所ですね」
◆この春必見の映画は「東京兄弟」と「忘れられた子供たち」。日本映画をつまらないと言うのは。どこのどいつだ! (Y)
▽四十二号の特集は「廣群鶴と谷中の石屋」

其の四十三号
◆谷根千はじめて十一年。地域内未踏の道も多かった。不思議なものを見つけては、見知らぬ人に声をかける。作業の手を休め、答えて下さった方に感謝します。逆の立場なら「今忙しいので……」といいそうな私。あーあ、雑誌づくりのずうずうしさよ。
◆友人に会いに南米ボリビアに行きました。標高四千メートルのラ・パス空港に降り立ったとたん高山病でバタリ、の予想は嬉しくはずれ、暢気な旅でした。にしても、高所を歩くのに早足は禁物。
◆標高五千四百メートルのチャカルタヤ。でこぼこ道を車で登る。途中、羊やリャマに出会いごっ機嫌。車を降りて最後の二百メートル。十歩進むと心臓が飛び出しそう。腰を下ろして呼吸を整え、やおら立ち上がりまた十歩。すぐそこの頂上は、果てしなく遠かった。その帰り、サッカーをする子どもの姿。強いはずだよ。
◆ガラリと環境を変え、アマゾン支流で魚つり。ボリビア・日本混合の七人。三匹の釣果。なんとこのうち二匹は私が釣ったのよ。肉を針にひっかけて、釣り糸をカウボーイよろしくクルクル回して、スパッと投げ、入れる。魚はパッと食いつき、あっという間にエサはなくなる。皆がのんびり昼寝の間も、私はひたすらクルクルスパッ。こーんな大きなピラニア釣って、糸巻くひまもなく陸地に向かって走ったのだアー。(Y)
▽四十三号の特集は「私的町歩きのススメ」

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草の葉ライブラリーより一月に刊行されます。
山崎範子
「谷根千ワンダーランド」

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Web Magazine 「草の葉」創刊号の目次
創刊の言葉
ホイットマンはこの地上が最初に生んだ地球人だった
少数派の輝く現在(いま)を  小宮山量平
やがて現れる日本の大きな物語
ブナをめぐる時 意志  星寛治
日本最大の編集者がここにいた
どこにでもいる少年岳のできあがり  山崎範子
13坪の本屋の奇跡
シェイクスピア・アンド・カンパニー書店 
サン・ミシュル広場の良いカフェ アーネスト・ヘミングウェイ
シェイクスピア書店  アーネスト・ヘミングウェイ
ジル・サンダーとは何者か
青年よ、飯舘村をめざせ
飯舘村に新しい村長が誕生した
われらの友は村長選立候補から撤退した
私たちは後世に何を残すべきか 上編  内村鑑三
私たちは後世に何を残すべきか 下編  内村鑑三
チャタレイ裁判の記録 記念碑的勝利の書は絶版にされた
チャタレイ裁判の記録 「チャタレイ夫人の恋人」
日本の英語教育を根底から転換させよう
草の葉メソッドに取り組むためのガイド
草の葉メソッドの入門編のテキスト
草の葉メソッドの初級編のテキスト
草の葉メソッドの中級編のテキスト
草の葉メソッドの上級編のテキスト




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