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ヒガンバナと人の言う

 ヒガンバナが好きである。

 ヒガンバナはその名のとおり、お彼岸の前後しか咲かない。あいにく、ここのところ雨が多いけれど、ヒガンバナが咲くころは、残暑から解放されて、過ごしやすい日が続く。空気は澄んでいるし、風も乾いている。思わず、空高く馬肥ゆる、などと俗なことをつぶやきたくなる。
 そんな季節は、意味もなくそこらへんを散歩するのも案外に楽しいもんである。ふさぎがちな私のご機嫌もすこぶるよろしくなる。おそらくは、そういう季節に咲いている花だから好き、というのもあるのだろう。

 ヒガンバナの何が好きって、やはり何かしら、ミスティックなものを感じさせてくれるところだろう。彼岸花、という名前からしてこの世ならぬ世界を連想させるし、別名の曼珠沙華に至っては、字からして怖そうだ。なんでも法華経から取ったものらしいが、そういう名前をつけたくなる何物かが、あの花にはやはり、あるのである。あの毒々しい紅い花には、そういう魅力(あえて魅力といいたい)がある。桜の木の下には、なんてよく言うけれど、ヒガンバナの下に死体が埋まっていてもぜんぜんおかしくないと思う。

 ヒガンバナの生態もきわめておもしろい。そこも気に入っている。

 ヒガンバナをよく「気持ち悪い」という人がいるけれど、あれが気持ち悪いのは、ド派手な花が咲いているのに、葉が一枚もないからである。細長い茎の上に、毒々しく紅い大きな花がついている。その異常なバランスが、気持ち悪く感じられるのであろう。
 ヒガンバナの葉は、花と細長い茎が枯れ落ちてから生えてくる。ニラのできそこないみたいな、目立たない葉である。多くの人は、あの葉を見ても、ヒガンバナとは思わないだろう。だが、この目立たない葉の時代が、ヒガンバナにとって、生産の時代なのだ。やつは、周囲の植物が枯れ落ちる冬になってから葉を出して、せっせと光合成をはじめるのである。
 とはいえ、茎は花と一緒に枯れ落ちてしまっているから、光合成によって生産された養分は、成長にはほとんど使用されない。では、養分はいったいどこに行くのか。
 地下茎(球根)に貯めこんでいるのである。まわりに草のない冬の間に、やつは養分をしこたまつくって、球根を太らせているわけだ。
 冬が終わって春になると、まわりに草が生い茂ってくる。ヒガンバナの葉は地をはうように生える背の低い葉であるから、春の植物たちの、陽光を求めるはげしい競争に、勝てるようにはできていない。したがって、葉は夏になると、枯れ落ちてしまう。ヒガンバナは春から夏にかけて、土の中で眠っているのだ。他の植物たちが大いに生命を謳歌する季節に、やつは眠っているのである。これを「夏眠」と呼ぶことは、つい最近知った。
 そして、夏が終わり、秋の声が感じられる季節になると、例の毒々しい紅い花を咲かせるわけである。夏の間は光合成をしてないわけだから、花は前年の冬、球根に貯蔵されたエネルギーを使って咲く。
 植物にとって、光合成をすることが生きていることだとするならば、あの花はたしかに「死んでいる時代」に咲く花なのである。その意味で、彼岸花、というネーミングはきわめて科学的だと思う。

 さらに面白いのは、ヒガンバナの花は、生殖器ではないということである。
 世に「花」と呼ばれ、鑑賞され愛でられているもののほとんどは、生殖器である。花の色彩が美しいのも、いい匂いがするのも、すべては昆虫を呼び寄せて受粉を遂げるための機能なのだ。生物学的に「花」はそのような意味をもっている。
 にもかかわらず、ヒガンバナの花は、生殖機能が完全に失われている。よく見るとおしべとめしべらしきものはあるにはあるが、受粉して種子をつくる機能はもっていない。そもそも球根で増えるわけだから、タネをつくる必要はないのだ。
 したがって、あの花は生物学的な意味をもたない花なのである。あの毒々しい花は、なんの役割も意味ももたず、ただ咲くためだけに咲く。
「生殖機能をもたない花」「意味をもたない花」という点から考えても、彼岸花、というネーミングはきわめて科学的だと思う。

 ヒガンバナの花は毒々しい。その毒々しさは、生殖とは関係のない、こけおどしの毒々しさである。でも、ひょっとしたらあの花には、警戒信号の役割があるのかもしれない。なにしろ、やつは球根に毒をもっているのだ。やつにとっては球根が命だから、モグラなんぞにかじられたらたまらんわけである。そのための毒である。
 毒をもつ動物は、カラーリングが派手なやつが多い。毒トカゲだの、毒蝶だののたぐいは、たいがい派手な色をしている。派手な色彩と毒を捕食者にセットで記憶してもらって、身を守るためである。ひょっとしたら、ヒガンバナのあの毒々しさには、そういう意味があるのかもしれない。
 しぶといなあ、と思う。そのあたりのしぶとさも、私がヒガンバナを好きな理由のひとつになっている。

 ヒガンバナは生殖機能を失っているため、すべての花(株)は遺伝子的に同じ構造をもっている。要は、あんなにたくさんあるのに、ぜんぶ同じ遺伝子を持っているのである。うまく言えないが、これはものすごいことだと思う。空恐ろしい、とさえ思う。あの毒々しい花とセットにすると、戦慄に近いものを覚える。すげえ。

 そういう感慨を持たせてくれる花は、ヒガンバナだけである。

                        (2006年10月)

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