誹謗中傷と世間と大衆社会その2
今回の事件、誰が悪いかとなると初めに出て来るのは追い詰めた犯人達であろう。
そのつもりはなかったと思うだろうが、自覚なき正義の暴走でしれっとまた同じことを繰り返すのだと思う。
木村花がプロレス的文脈で悪役を買ってテレビに出演したのであろうが、一部世間にはそうした文脈が読み取れずに本気に受け取ってしまい抗議がエスカレートして誹謗中傷に奔るようになってしまった。
海外ではこの事件をサイバーバリイング(ネット虐め)として捉え、この事件の犠牲者は40人くらいだとして取り上げた。
今も昔も、演出とテレビの向こう側の区別が変わらない人は一定数存在する。
観る側に修行や教養が足りないのは言うまでもない。
テレビが一見真実を映し出す鏡のように思い込む人が少なからず出て来てしまう。
本来なら、それこそ「誰か教えてやれよ」と思う。
でも、誰も教えてはくれないのだろう。
教えたところで「つまんねー奴」「興醒め」だとか言われて省かれるのが目に見えている。
これこそが「虐め」の根底にも繋がるのだが、自分の悪意をコントロール出来なくなってしまうのだろう。
文字通り暴走して究極追い詰めてしまう。
取り返しのつかない所まで来てしまったら「そんなつもりはなかった」と白々しい態度で臨むのだろう。
そしてまた同じことを繰り返していく。
こうしたSNSも10年くらいの年数が経っているのでもうそろそろ限界が近付いて来ている。
大規模規制待ったなし。
自分達がそれを受け入れられる覚悟はあるのだろうか?
しかし、常に思うがプロレス的文脈が通じるのは結局プロレスファンのみであって大多数の中からの一部に読み取れる能力があるのかさえ思う。
結局残念な結果になってしまったが、プロレスを観に行く宣伝のためには余りにも大きなリスクである。
スターダムが地上波を獲得したところでどのくらいの人が観に行くのだろう?
後楽園ホールを埋める程度ではなかろうか。
やはり、マネジメント能力が著しく低い団体にも責任があるとも言える。
選手が暴走しないようにするのも、また選手の周りを監視しておくのも、団体が監督しておかなければならないのに結局選手任せだったのではと思わざるを得ない。
前にもこの団体は選手同士の暴走を止められなかったことで問題にもなっていた。
プロレスが、こうしたことで世間から馬鹿にされることさえ気付かないのである。
また、同じことが繰り返された。
マネジメント能力が著しく低いのならもう団体の存続意義などないに等しい。
プロレスが統一できないからこうしたボロが出てしまう。
プロレスは、団体こそ存在するが結局周りに甘えていたのではないかと思う。
ファンに甘えていたのではないか。
選手任せになっていたのではないか。
選手に全てを背負わすのは可哀想である。
可哀想という言い方は最早大人であるからには不適当なのだが、マネジメント出来る特権があるのならそこまでして管理監督出来ることもある筈なのである。
プロレスは、一体どのくらいの人達を犠牲にしているのだろうか。
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