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塩漬けの王座

敬老の日にK-1のよこはまつりが行われたが、相変わらずの長興行であった。

個人的に最早敬老の日なんて要らないんじゃないかと思う。

自分自身が横浜の会場に行ったのは一昨年で名実ともにK-1に行けたのもそれが最後だった。

世間の圧力にも屈することなくK-1は開催することで命脈を保っているようにも思える。

この態度が皮肉にも世間との断絶を埋めることなく広げる一方だったと言わざるを得ないだろう。

世間と一切隔絶される覚悟を持てば信じてくれるファンだけが支えてくれるので取り敢えずは息が続く。

そうなるとどこもそうだろう。

飲食店は特にそうで、固定客がいてこそ店は持続する。

蔓延の原因とされてしまい大衆から石を投げられる存在となってしまい、多分これ以上の新規客は望めないだろう。

どうしてここまで来てしまったのだろうとさえ思う。

全てが終わった後に検証すればいい。

さて、出場選手の9割以上が日本人選手のK-1ではあるが、これは仕方ないにしてもある種の固定ファンにとっては御誂え向きである。

今回のK-1の目玉はウェルター級トーナメントで、外国人選手を呼べずに在日外国人や外国人ハーフの選手で取り繕い間に合わせたのだが初めから目される選手のみが決勝に生き残ってしまうのであった。

そもそもこのベルトも長い間タイトルマッチが行われなかった。

ボクシングも一応タイトル保持期限は1年くらいなのだが、選手が待っている状態ではモチベーションも上がらない。

それもあって暫定王座もあったり休養王座もあったりするのだが、既にこのシステムがボクシングでは形骸化してしまい乱発状態が永らく起きていた。

漸くボクシングではWBAが乱立したタイトルを一本化するという約束を果たすことになったのだが、興行という観点からするとタイトルの価値も変わってしまう。

K-1はその名前とは裏腹に脆弱な支持基盤しか持たず、興行を維持していくためには英雄を作らなくてはならなくなるので、恣意的に王者をプロテクトする必要に迫られる。

新生K-1の歴史と興行の都合については以前のエントリーに認めているのでこちらを参照されたい。

新生K-1が発足してから6年が経つ。

何度も書くが国内のKrushを基盤として再起した興行なので外国人選手も呼べる体力はなく、やはり現況と同じく寄せ集めでしかなかった。

奇しくも対ゲーオということで目標が出来たのでスーパーライト級がその出発点となり着実に新規層も含めて人気が恢復していった。

新規層が増えたことは喜ばしいことだったが、その新規層は昔のMAXやWGPのような層ではなかった。

選手達との距離は一向に縮んだとは思うが、それ以上の広がりを見せていないようである。

国内でしか興味ないからK-1の中で最強なら地上最強ということなのだろう。

外国人選手を呼べないということは逆にそれが好都合だったりする。

いつまでも幻想を維持出来るし、興行的にも持続出来る。

興行を維持出来ねば100年続くK-1など有り得ないのである。

K-1が発足して28年目なのでもう直ぐ30年目となるが、100年続くとなるとあと70年ということになる。

K-1のイベントが近い将来なくなってもK-1の名前を冠したジムがあるのでいずれどこかで甦ることを叶えるための準備なのかも知れない。

近い将来のための準備とは言っても直ぐに無くなってもいいようにとはいかないだろう。

やはり興行は維持し続けなければ意味がない。

冒頭長興行とは書いたが、前座含めて24試合だった。

コロナ禍でチケット代を値上げせざるをせず、更にこうでもしなければ維持が出来ないのだろう。

チケットを買う層はどういう層なのかと言えば個別の選手のファンである。

彼らは顧客であり全国どこへでも行く。

どこへでもが不可能であれば会場の地元の選手を固めて呼ぶしかなく、となると単位は個人どころかジム単位となる。

こうなると最早勝ち負けは関係ない。

選手のファンが買い支えるのでその試合に負けても次の試合に出られる算段となる。

巡り巡れば、階級制度もそれで地上波K-1でさえも4階級だったのが今では殆どボクシングに倣うようになってしまった。

ボクシング程ではないが今のK-1も階級が増えてしまった。

現在では11階級となったが神保克哉が75kgの階級を新設してくれと請願し始めたのでこれも加わるのだろう。多分それはボクシングにしたらスーパーミドル級の階級だろう。

本当は天井知らずのヘビー級の筈だったがこれも実方宏介が出て来たのでスーパーヘビー級が復活することとなった。

つまり今のK-1には実質的な13階級が存在することとなる。

余り階級増やしても選手層が多くなければベルトを作ったとしても防衛も出来ずに塩漬けになってしまうのは間違いないのだが。

本題に帰るが、塩漬けとなる要因は最強幻想を維持することにあり、中々防衛線を行えないようにすることでもある。

3階級王者の武尊が最強幻想のブランドを維持するために殆ど試合が行われないことがある。

新生K-1やその前のKrushだったならばコンスタントに試合にも出ていたことだろう。

今となっては年2回程しか出ておらず、1年間試合が行われないこともある。

常にパワフルに行うので怪我とかもあったりして中々できないこともあろうが、3階級制覇した後から殆ど正式な防衛戦を行っていない。

ノンタイトルとかが多かったり、これは武尊に限らずタイトルを保持した選手に与えられる特権とも言うべきか、防衛戦を行わないでそのまま負けてしまうケースもあったりして王者としての価値を毀損してしまうことも多かった。

そこから学んだのか、王者達には試合をさせないようにしている向きがあるようだ。

試合が出来なければ選手達の存在意義が問われる。

そうやって揺れている選手も少なくはないのであろうか。

既に志半ばでK-1を自主的に離れてしまう選手も存在している。

折角ベルトを持ったとしても、防衛もコンスタントに出来なく、階級移動も出来なければそれは飼い殺しであろう。

こうして考えると、団体としての限界がある意味露呈しているようにも感じる。

建前は100年続くものとしているが、現実的にはこれ以上大きくならないというものだろう。

商業主義オリンピックが続けられるのも選手達にプロフェッショナルの報酬を与えなくて済んでいるからという考え方もあるらしい。

現実的にオリンピックは招致の段階でも途中棄権する国もあったり大会を行える力もどの国にも残っていなかったりするようだ。

考えてみても本邦のプロ野球は高騰する選手へのギャラもさることながら球団を維持することが出来なくなり手放すオーナーも数知れずである。

合理的な感覚からすれば商業主義オリンピックが組織そのものを維持出来たりするのもアマチュアの祭典と銘打っているからでもあり、今のK-1が潰れずに済んでいるのも上記に挙げたようにタイトルを敢えて防衛させず選手の価値を毀損させないで塩漬けにさせていると考えるべきではなかろうか。

現実と対峙した時、難しいものである。

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