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減量というチキンレース

いつの間にか、減量することが当たり前になってしまった競技。

減量もスポーツの一つになってしまった感がある。

元々格闘技は無差別級ではなかったのだろうか。

野球やサッカーに階級制が存在するのだろうか?

何故階級制にせねばならないのか分からない、というのがそもそもの出発。

重い階級に対して“軽い”と言う意味のライト級が出来て、重くもなく軽くもない真ん中の階級として「ミドル級」が後から出来た訳である。

そうして新たに増やして行く内にボクシングでは遂に17階級となってしまった(WBC、世界ボクシング評議会では18階級)。

競技人口と贔屓のヒーローを増やす為に階級が細分化されたと思われるが、その間の階級幅は最軽量級だと1kg程の差となるが計量級から中量級(バンタム級〜ミドル級)迄のそれぞれの差は2.5kg程度である。
流石にミドル級以上となると4kg〜10kgと大まかになるが、結局ボクシングの競技人口が重量級よりも体の小さい人達によって支えられているのが分かる。

減量に失敗しても興行の都合上試合の参加が許されることがあっても1kgの差があるだけで大ダメージがあると表現されることがある。

減量をクリアして試合に臨むのは当然なのだが、通常の体重より10kg以上減らして当日は6kgくらいまで戻すということをした場合、相手のリカバリーが4kg位までしか戻らなかったら体重差はどれくらいになるだろうか。

小学生の算数の授業である。

1kg差ですら致命的と言われるならリカバリーで差をつけられた場合は?

ルールの外側だから不問なのだろうが、当日の契約体重よりも増やしたら階級を跨ぐことになる筈である。

軽いよりも重い方が有利とされる“神話”があるみたいで、限界まで減量して当日に量(かさ)を戻してダメージをより多く与えることができるらしい。

ランキング維持のために招聘されるタイ人ボクサーとの体格差が気になる。

本当に同じ階級なのかと思うくらい。

正直、弱い者虐めにしか感じられない。

これで倫理を問えるのだろうか。

ルールに則っているのなら、仮令ルールの外の話ならば問題として問われないと言うことなのだろう。

人間は不正や不公平を行えないようにするためにルール(掟)を設けて来たのだが、必ず抜け道を探し出して無効化するということもして来た。

何もかも“狡い”といえばゲームそのものが成り立たなくなるので、ルールを守れば、ルールに書いてないことは何やってもいいということになるのはある種の正解である。

直近ではサッカーのワールドカップにおけるギリギリラインでゴールが認められたこともそうだろうし、ルールを上手く使ったことで日本代表は強豪国にも勝てて来たということである。

ドッジボールは確認してこなかったのだけど、最近はコート内の選手達が横一列になって前後を移動して攻防を繰り広げているらしい。
横一列に並ぶことによって仮令ぶつけられても隣同士でフォローアップすることが可能になって来るということであろう。

サッカーのオフサイドも考えてみればなんで敵陣の奥に一人だけ飛び出てボール受け取ったら駄目なんだって言われたら、そういうルールを設けないとみんなゴール直前で待ち伏せされてしまうからだろう。
これになったらもうゲームとして成り立たないからもどかしいけどそうする他ないのだと感じる。

ラグビーのパスする時には後ろに回すようなものだろう。

バスケットボールもボール抱えたまま走ったら誰も取ることができない上にこれだと相手突き飛ばさないとボール取れないから別のゲームになるし、3歩以上は禁止のルールくらい設けられるよなあと感じる。

ボクシングの場合は基本パンチだけのルールは置いといて、減量の話に戻すと減量に失敗すれば選手にペナルティが与えられてライセンスの停止措置が取られるという(日本国内のルールに限って言えば)。
ライセンスの停止処分を食らいたくないから計量の場に現れないで体調不良と申告して医師からの診断書を貰えばペナルティが課せられることはないという。

なぜこんなことばっかり繰り返されるのだろうか?

上述のように、体重差があれば有利に働くことができるが体の水分を直前になってまで抜き切らせることが出来ずに失敗することがあるらしい。

脱水症状みたいな状態に陥るので健康管理も綱渡りだと感じる。

選手や陣営がそうせざるを得なくなるのは、世界戦を見越してということのようである。

階級が上がれば上がる程、外国のプロモーションの持ち物になってくるので日本はそのおこぼれに預かれるかどうかのところに置かれている。

身長170cm台でもフライ級(50kg程)に挑む選手がいることからこの競技が如何に日本にとって恵まれていないかというのが分かってしまう。

日本が無茶苦茶金持ちでボクシングが出来るのなら世界の中心は日本になる筈であろう。

ボクシングやるにしてももうお金も無茶苦茶高騰して金満国家くらいでしか開催出来なくなってしまっている。

日本がそういったことに追い付くためにはテレビ放送もお金出してやる他無くなっている。
井上尚弥や村田諒太の試合も地上波中継がなくなってお金出して観る方法が取られるようになってしまった。

サッカーワールドカップもAbemaで完全無料生中継ができるようになったのもAbema(Cygames)のゲーム課金によって成り立っていたからだという。

ただこれでは分断が起きる。
金出してまで観る層と、きっかけすら及ばない人々が触れられる機会が失われてしまうということである。

格闘技の地上波中継が完全消滅してしまえば存在そのものが失われてしまう。

危機感を抱く人は多い。

果たして将来子供達に伝わって行くのか?

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