1歳

1月12日 娘が産まれた。
コロナ渦ということもあり立ち合い、面会さえも許されない中で妻のちっちさんは出産した。
そばにいれないもどかしさはあったが、夫はそばにいても何もしてあげられないという意見も多かったので少し安堵も混じったような心境ではあった。
母子ともに無事で生まれてくれることを祈るしかなかった。陣痛が始まってもしかしたら日をまたぐかもしれないといわれていたが、夕方ごろに誕生した。電話越しで遠くから鳴き声とちっちさんの疲れ切った声を聞いて安心した。
母子ともに健康であるという状態は当たり前ではなく、本当に奇跡だった。


娘の名前は、2人で前々から出し合って出し合って「つむぎ」という名前になった。歴史的大雪を記録した中生まれたので「雪」をつけては?という親族や意見もあったが、2人できめたのだからそこはつむぎのままで決定した。
名前はちっちさんが「つむぎ」はどう?と言ってきて、私も名前候補の中にあったので決まった。ちっちさんの方の由来はどうかわからなかったが、私は「娘の人生の物語をより良いものに作っていってほしい。人と人のつながりをたくさん持てるように」ということで「紡ぐ」という意味はとても良いと思っていたので候補にあった。

入院して1週間ほどしてつむぎとちっちさんが帰ってきた。
つむぎとはガラス越しで数分しか面会できなかったのでようやく触れ合うことができた。平均体重はやや低く、全身もちっちゃくて本当に生きてるのか、触れば壊れるんじゃないかと思うほどだった。
つむぎが眠っているときも「生きて呼吸しているのか」不安で途中おきて確認しないと安心できないことが3か月ほど続いた。

3時間ごとに泣きミルクを飲ませないといけなかったので、とりあえず18時~0時は私がみて、その間にちっちさんには別に部屋で寝てもらい交代しながら見続けた。最初のこの3か月はしんどくて、子どもが寝ないので眠れない、休めない、子どもが泣き続け笑うことの方が少ない。という連鎖もあり、私もちっちさんも疲弊して衝突することも何度かあった。
3か月過ぎたころから夜21時~6時までしっかり寝るようになり睡眠習慣も安定してきたのでそのころにようやく安心できるようになって少し穏やかに過ごせるようになった。
だが、3か月過ぎたころから娘はちっちさんのそばにいないと泣くようになった。私は日中仕事に行っているし1日のほとんどをみてくれているのだから当然っちゃ当然である。私が抱っこすると泣き続け、私の前で子どもは1日2秒笑うかどうかだ。だがその2秒に癒され次の1日を頑張って働いた。
でもパパの抱っこでは絶対に泣き、子育てをしていけるか不安でたまらなかった。
ちっちさんはこどもが泣いているときに抱っこしてスクワットしながらあやしていたので、泣き止ませるためにはスクワットが必須になりちっちさんの脚は悲鳴をあげていった。

しばらく時がたつとパパのだっこでも喜んでくれるようになった娘、
5~6か月ごろには寝返りをするようになった。
娘は転がるという移動手段を手に入れたことがうれしかったのだろう。ゴロゴロと転がって好きなところまで転がり続けていった。できることが増えたのがうれしかったのか泣く回数もすごい減っていった。
しかしここで新たな問題が、寝返りをしたことで娘は絶対にうつぶせで寝てしまうようになったのだ。
うつぶせ寝は昔は励行された時代もあったが、乳幼児突然死症候群が起きる可能性が優位に高いため今では仰向けで寝させる方針になっている。
だけど!娘は!絶対にうつぶせで寝る!!
こればかりは何度仰向けになおしてもなおしても気が付けばうつぶせで寝ている。1か月たってもなおらないのであきらめて顔がきちんと横を向いて窒息しないようにだけ配慮した。
この月になってくるとつむぎはよく笑うようになった。高い高いで喜び、扇風機を当てると風が気持ちいいのかすごい笑ってくれる。
私はここら辺からようやく育児が楽しくなってきた。
笑うことで意思疎通を図れるようになったのはとても大きい。
喜ぶのであればなんでも買ったしいろいろ模索するのも楽しみになった。

子育て以外の私生活でもゆとりを持ち始めた。家に友人らを呼びボードゲームも気兼ねなくできるようになったし、ママも友人を呼びティーパーティを開いたり楽しめるようになった。

そこからは毎日が早く駆け抜けていった。

娘がハイハイするようになり、立ち上がるようになり、伝い歩くようになり…ママと言い、パパと言い…
毎日進歩していく姿は楽しくて楽しくて仕方がない。

1月12日
パパ1歳 ママ1歳 娘1歳
3人は無事1歳になることができた。

これからも3人で歳を重ねていこう。

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