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#126 朝日記 「承認欲求が満たされていない貴方が日記を書くと」「アウトプットは頭の収納棚づくり」(2021/07/11)

「情報過多な時代で、捨ても減らしもしたくない収集癖は、棚を作るしかない。日記という行為によって。」 


7:44起床。1:14/6:14。

金曜に同僚と飲みに行き、0時を回って解散したものの、もう少しと1人で行きつけの店で飲む。土曜は泥のように寝てゴロゴロする休日感満載の1日だった。

朝日記を書かないとやはり、どこか気持ち悪い自分がいる。話を聞いてくれない恋人に対してヤキモチを妬いてしまう感覚。少し不思議。

ひとたび、3ページ日記を書くと承認欲求が満たされ、そのあとはどうなってもいいやと思える。もはやこの日記は誰かのためではない。本当に私利私欲のための朝日記なのである。

日記をつける習慣が私利私欲の行為だなんて誰も教えてくれなかったし、教えてもらったとしても嘘だと思っていただろう。

今では、日記は私利私欲の筆頭である。

昨日、動くのも面倒で、ひたすらゴロゴロYouTubeを見ていたが、私利私欲のYouTube鑑賞のはずなのに、どんなに見ても満たされない感覚があった。

エンタメ、ネットエンタメは特にだが、消費者になってしまう。消費者でいる限り、誰かにマーケティングされている。マーケティングされた自己は、本来の自己ではないから満たされにくいのかもしれない。

一方、朝日記は誰にもマーケティングされていない自分と向き合い、引き出すしかない。もちろんマーケティングされ得た知識や経験を呼び覚ますのだが、自分の内面の意識と向き合っていると、マーケティングから自分が離れていく感覚がある。自然な感情を取り戻すような、デトックスのような行為。

渦中にいると冷静になれていなかったこともあるが、振り返ってみると、もう少し、自分を冷静に分析できるし、分析した結果、思いもよらない自分に出会えたりもする。

こうしてペンを走らせているのも、自分で文字を見て驚くことがある。そんなこと書きたかったんだと書いていて気づくことがある。

この状態をフローと呼んでみる。スポーツでいうところのゾーン状態に近い。集中していて、研ぎ澄まされている感覚。

日記の1ページ目を過ぎたあたりから徐々にフローに入っていって、自分をある種制御できなくなる。制御できていないところに自分の内なる面白さが見出せたりする。

私自身、日記を振り返ると驚くことが書いてあったりする。その時々がフローなので、新鮮なのだ。

昨日、YouTubeを見てて面白かったのは、2人の日本の天才が対談する本を紹介していたものだった。説明しててまどろっこしいな。又聞きの又聞きを、読んでいるあなたは又聞きしている羽目になっている。

小林秀雄と岡潔の対談。2人はそれぞれ文芸と数学者という違うフィールドで天才と呼ばれる方だが、話していることに示唆が多分に含まれていた。特に印象に残っているのは個性の話だ。

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