見出し画像

建長寺。鎌倉五山の第一位のお寺です。【鎌倉殿の13人ゆかりの地を巡る日帰り旅#5】2022年10月

明月院から徒歩10分ほど、建長寺にやってきました。

まず見えてきたのは巨大な『総門』

「巨福山(こふくさん)」とは「大きな福をもたらす寺」という意味。
よく見ると、「巨」という文字に「、」がありますね。

別名「百貫(ひゃっかん)点」と呼ばれ「百貫の価値がある」と言われています。

それでは入っていきましょう。

こちらは園内図。こちらのお寺はくまなく歩くと相当広いお寺です。

さて、建長寺が建立されたのは、1253年のこと。
中国から渡ってきた禅に強い興味を示した5代執権北条時頼が、蘭渓道隆(らんけい どうりゅう)を招いて建てた日本で最初の禅寺です。

現在では、「鎌倉五山の第一位」と伝えられていますが、これは中国のしきたりに倣って、幕府によって設けられた禅寺に対してつけられた格付けです。
ちなみに鎌倉五山は、建長寺、円覚寺、寿福寺、浄智寺、浄妙寺の5つです。
また、禅宗の宗派のひとつである臨済宗建長寺派の大本山ともなっています。
建長寺境内は国の史跡として指定されています。


見えてきたのは三門。高さは約20メートルで東日本最大の規模です。迫力がありますね。
「三門」とは、「三解脱門」の略で、悟りに至るために通過しなければならない三つの関門を示します。

そのため、この門をくぐると、「あらゆる執着心から解き放たれる」と言われています。
門の上の楼上には、釈迦如来や十六羅漢や五百羅漢が安置されているそうです。

三門のすぐ横には鐘があります。

建長寺にある鐘は、建立当時から遺されている数少ない品物のひとつで、国宝に指定されているもの、日本における「禅寺」という言葉が初めて書かれたのは、この鐘だといわれています。

関東一美しい梵鐘として知られ、音色が人の泣き声に似ているということから「夜泣き鐘」とも呼ばれている。
「鐘つけば銀杏ちるなり建長寺」 は、1895年(明治28年)に夏目漱石が詠んだ句で
 正岡子規の「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」は、同じ年に、先ほどの漱石の句を参考にして詠まれたのだともいわれています。

こちらは仏殿。

1647年、増上寺から2代将軍徳川秀忠夫人・お江の方の御霊屋(おたまや)を移築したもので、国の重要文化財です。

続いて法堂。

建長寺全体が修行道場だった時代、全山の僧侶が法堂に集まり、住職が説法をした場所です。
有名なのは天井の『雲龍図』で、建長寺の創建750年(平成15年)を記念して、小泉淳作が描いたものだそうです。

つづいて「龍王殿」と呼ばれる方丈に向かいます。


方丈は本来、住職の居間として使われる場所ですが、建長寺の場合、中を見ることは自由です。

この日もちょうど座禅が行われていました。各種催し物が行われる機会も数多い場所だそうです。

建物の裏にある庭園はにある池は、「心」という文字をかたどって作られたために、「心字池」とも呼ばれます。

こちらのきらびやかな門は唐門。


「仏殿」と共に、江戸増上寺から移築したものです。
もともとお江の方の霊廟として建築された建物なので、一般的な禅宗の寺院では見られない様式となっています。煌びやかで見事ですね。

建長寺は、この奥もずっと続いており、かなり広いお寺なのですが、
そろそろ次に向かいます。

動画もあわせてご覧ください!


この記事が参加している募集

旅のフォトアルバム

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?