怪物
ロンドンナショナルギャラリー、行ってきました。
このコロナ過の中、かなり迷いましたが体調管理と予防対策をやれるだけやって向かいました。
絵画はなんとなく好きくらいのものでしたが昨年くらいから急にはまりだして複製画や画集などの収集に手をつけだしてました。
実際に生でこういった絵画を見るのははじめてで、やはり現物を生で見るというのは画像や複製画で見るのとは全然違うなと感じました。
アトラクション的な側面もありますよね、こういった鑑賞とか読書とか。1枚1枚の絵画に心だけでなく体全体が引き寄せられてしまうような、そんな魔力があったように思います。
気兼ねなく外出できる世の中になったら色々な展覧会に行きたいです。
さて、タイトルの怪物ですが、みなさんはまっさきに何を連想しますか?空想上の生き物や恐竜や肉食獣ですかね。それともなにか特定の人物像ですかね。
ヒトそれぞれだとは思いますが、怪物って基本は恐いものを連想すると思うんです。自分の理解の範疇を超えてしまっているもの、みたいな意味合いがその概念に含まれている気がします。
(理解を超えてしまっている)=(意思疎通ができない)
(意思疎通ができない)➡(何も伝わらない)➡(不安)(恐怖)
短絡的すぎるかもですが上記のようなことも言えるんではないでしょうか。
僕にとっての怪物は、突き詰めていくとこの(意思疎通ができない)という部分につきますかね。コミュニケーションが不可能ってなるといかなる交渉もできないということなので常に互いに一方通行の関係性の中で過ごさなくてはならない。
今でもトラウマになってるんですが、僕にとって堂本剛版の金田一少年の事件簿はもう完全にトラウマ製造機で。。あの仮面やら衣装を纏った怪物が言語的なコミュニケーションを持たずにバイオレンスの限りを尽くす。犯行のシーンにおいてはいかなるコミュニケーションも不可能であり、映像とセットのチープさが謎のリアリティを生むという悪循環。(※僕にとって)
以前の記事にも書いたんですが、本物の暴力は完全に一方的なものなんだろうなと思ってて、そこに被害者側のなにもかもが汲み取られないままに加害者の思い通りに現実が進行させられる。被害者の中にその支配に対する抵抗の意識があればあるほど凄惨さや悲惨さが生まれる。
僕はこういうのが(不条理)だと思っています。
上記のように(ヒト⇔ヒト)間だけの話ではなくて、(環境⇔ヒト)、(モノ⇔ヒト)、(自然⇔ヒト)などあると思いますが、やっぱりどうしても僕が考えてしまうのは(ヒト⇔ヒト)間の不条理です。
先日引越したんです。これまで一人暮らしもしたことがなくて、自分の中ではかなりしんどい決断だったのですが、このタイミングじゃないと色々と自分を縛り付ける軛から抜け出せないなという確信をもったので実行しました。
これ何がそんなにしんどかったのかって、僕の住んでるところってほんと田舎なんですよ。畑と道路と民家とコンビニと小学校と駐在所くらいしかなくて、少し車でいけばそりゃそれなりのとこには出ますが、居住地域だけを見渡せばほぼ村落です。
で、僕は最近引っ越すまでそこに住み続けてその村の自治体の役員やら消防団に入ってたわけですが、もうほんとにこのコミュニティを抜けるのがほんとにしんどかったです。これ絶対に賛否両論あると思いますし、僕が偏った発言になるのも認めます。ただこれだけは言いたいです。
その地域にこれから何があっても一生死ぬまで住み続けて、時間とお金に余力があり、自分の仕事量もある程度自分でコントロールできるという方以外は消防団には絶対に入らないほうがいいです。その団にもよりますが僕の住んでた地域のような村落的な地域では殊更やめたほうがいい。
なぜか。自分の大切な時間を搾取されてしまいます。準公務員という扱いなんでいくらか公共機関からお金が団員個人個人に給付されはしますが、団の活動費とか意味不明な経費としてすべて吸い上げられて金銭的な報酬は完全にゼロ。ボランティア活動なんだから当然と思われてしまうかもしれませんが。以下の5点の内容を本業で働きながら実践することを考えてみていただきたい。
①火災、災害があれば出動(※もちろん昼夜関係なし)場合によっては火災最前線での放水もあり、災害が鎮圧されるか沈静化するまで対応は継続される。
②怪我をすれば保険は降りるが仮にそれで本業のほうに失業期間や休業期間が生まれてもなんの保障もない。そもそもできるわけないんですが。
③地域のコミュニティに根差しているため家族にも影響がでる。団にはいれば聖人扱い、入らなければ罪人扱い。
④謎の飲み会が無数にある。搾取の対価かなんだか知らないがちょくちょくスナック行ったりコンパニオンを呼んだりして騒ぐ。
先輩の注文を取ったり、知りもしないobに挨拶しにいけとどやされたり、先輩の酒を作ったり、送り迎えしたり、忘れもののチェックをしたり、先輩が出したごみを片づけたり、買い出し行ったり、次の日が仕事や大事な日でも先輩が気持ちよく飲み終えるまで(※朝まで)帰れなかったり、と雑用のバリエーションがすごい。会社の先輩というわけでもなく、ただのボランティア団体の年上のヒトってだけのはずなんですが、出会った日から僕の人生の大恩人みたいな顔をして大先輩に対する奉仕は当然だよね、って顔してあれやこれやの命令を下して悦に入ってる。(※当然ですが全員がこうではない。しかしこんな輩が複数人いる時点でそんな相対的な比率に意味はない)
⑤とにかく活動日数がおおい。時期にもよるけど最低でも週1、おおい時期は週2が当たり前。活動参加は当たり前。不参加者は根性なしと断定。活動には消火訓練や地域の活動への参加、消防署からの講習と様々。
まあキリがないです。そして本当にすいません、こんなただの愚痴を延々と。もしこんなものでも読んでくださっている方々がいましたらそこは本当に申し訳ないと思っています。
ただですね、もう本当にこれを自分の中に溜めておけない。友人にはたまに話を聞いてもらったりしてましたが、なかなか言い尽くせるもんじゃなかったです。
これも大人になるための修行かなんて思っていましたが、今回の一連の出来事によって、こんなこと完全に異常だと思うようになりました。今までも思ってはいましたが活動の性質的にそう言い切るのが非常に難しかった。
引越し自体もとある事情があってということだったのですが、やはりそこは同調圧力と田舎思考バイアスの所為なのでしょうか、こちらの事情を鑑みてくれる人は非常に少なかった。事細かに事情を説明してみたものの、やはりこちらの事情は一切関ないと言い切ってくる人も中にはいました。
退団の際に全員と話した訳ではないですが、先輩方のご胸中は”推して知るべし”といったところじゃないでしょうか
もちろん、地域防災の観点からみれば地元に消防団があるということは本当にありがたいことであり、働きながら無償でこの活動をしてくれている方々がいるからこそ守られているものもある、ということは理解しています。火災だけでなく地震や水害などの天災、また交通事故による物損で道路が封鎖された時の交通整備なども実行し、地域にとっては本当に感謝すべき対象であり、地元やその地域に住み続けていくのであればいつかは自主防災の観点からこういった活動に参加するべきだ、という考えも理解できます。というよりそれを実践してきました。
ただやっぱりずーっと納得はいってませんでした。
僕は会社で働きながらバンド活動もやっていたし、仕事も昼夜勤と交代制の業務なので時間的にも体力的にもかなり厳しかった。なので加入の時にはこの事情を伝えて、そこを考慮してもらえるならばやります、と口約束を交わしたんですがもちろんそんなこと顧みてもらえたことはないです。夜勤の後でも顔をだすのは当然。仕事で活動に出れなければ顔出せる数分だけでもいいから来い、などよく言われてましたね。
でわりと気持ちが言葉とかより顔とか態度にすんなりでちゃうんですよ僕は。そういうこと言われたときに不服そうな顔してたんでしょうね、よく舐めてるよなお前って、バンドのほうが大事なんだろ?みたいなこと言われてましたが、「そうですよ」ってちゃんと言ってました。だって当り前じゃないですか?自分でやりたくて、自分でやると選んで、自分で努力をしてやっていることがやらされていることよりも大事に決まってるじゃないですか。
でも僕はさっきも言いましたが活動や団員のヒト個人個人を舐めたりは決してしなかったと言い切れます。
地域防災の活動には価値があるし、その活動を身を切って継続されている人たちには本当に頭があがりません。逆に国や地方自治体は住民にこんなことやらしてあんたらの役目はいったいなんなんだという憤りがあります。
ただ団員のなかの何人かの方々には「舐めてるのはあなたたちのほうではないんですか?」と、訊いてみたかったです。実際そうなんだと思ちゃうんですよ言動からして。舐めてるのはあの人たちなんですよ。たぶん。
何をでしょうか?
個人の時間の価値と、個人が持つ価値観自体の価値を、です。
知っての通り時間は戻すこともできなければ増やすこともできないしお金で買えるものでもありませんよね。だじからこそ、その可逆性のない時間をどうやって過ごすか、何に費やすかは一番重要な問題になると思うんです。今の時代、今この時間を生きている人なら尚更そう思いませんか?
だってもう世界の変化の波なんて畳みかけるようにきてるし、自分が変容できなければ何も把握できないし、働いているけれども新たに学びたいことだっていくつもでてくるじゃないですか。AIやIOTの台頭で人間の仕事の内容も強制的に変わっていくだろうし、それで仕事なくなったとしてベーシックインカムなんて今から当てにしてたってどうなるかなんてわからないじゃないですか。たぶん技術革新で職がなくなるってほうは速度の差こそあれ確実にそうなっていくんだと思いますが、そういった保障的な部分でのずさんさと遅さは今回の政府の対応を見ればそれを信用できるかできないかは明白じゃないですか?
時間があればなんでもできるというわけではないと思いますし、時間の使い方を失敗してしまうときもありますが、しかし、その時間を無償で差し出させておいて当然という態度を取られたり、あたかも僕自身の時間になんの価値もないと決めつけるかのような言動を取る人達と一緒にいたくないと思うのは当然ですよね。いくら団の活動が明白な善行であってもそれイコール僕がやらなければいけないことではないし、僕の時間が搾取されてもいいとうことにはならない。
もっと言えばあなたたちには主体性をもって能動的に活動する学びのようなものに時間を費やそうとは考えつかないだけではないのか?与えられたタスクを努力してこなすことも勿論大変だが、0➡1の作業がどれだけ時間と集中力を要するかあなたたちは経験・体験したことがあるのか?それを継続してきたことがあるのか?
家庭の都合で活動を休むのはよくてなぜ僕が価値があると判断し人生の時間を費やして注力している活動は価値がないと言い切れるのか。
もっと言うと前回のに書きましたが事故でバンドのボーカルが亡くなって、それによって僕の状況が急激に変わりだしたんです。それも含めて引越しから退団となったのですがそれすら関係ないと言い切られましたから、これは本当にすごいなって思いました。たぶんあの方は本当にそう思っているので、それが本当にすごいです。嫌味とかではなく、僕には無理です、そこまで自分を差し出せませんし、そんな気持ちに心からなったことは消防団4年ほどやりましたが1度もありませんでした。
この彼らの時間と価値観に対する認識が何よりも僕のあの地域やあの団体に対する帰属意識を薄めつづけてきた最大の要因だと思います。舐めてるのはあなたたちのほうだ、と言いたかったですね。
羊の皮を被った狼なんていいますが、こわいですねほんと。
彼らが掲げるのは善行なんですよ。形態として善行なんでやってる彼らも輝かしい素晴らしい人物というわけですね。そこに溢れてるのが同調圧力であれ偽善であれ自分の主体性のなさに対する欺瞞であれなんであれ彼らはゴールド聖闘士なんですよ。
それを盾にされるとやはり辛いです。確かにこっちは結果的に地域防災から抜けて自分のやりたいことやってんですからね。まあでも、もういいんすけどね。アサーティブコミュニケーションだとかセルフコンパッションだとかの問題はきっとここらへんじゃないですかね。
環境のほうがいくらかそういったものを受容する段階にきていないと、よっぽどぶれない精神力や知識や知恵がないと簡単に出来事や環境につぶされてしまうと思います。
ほんと1番大事かもしれませんね、心理的安全性って。
すいません垂れ流しで。こんな内容に最後まで付き合ってくれた方、まさかいないとは思いますが、おられたら本当に読んでいただいてありがとうございました。少しすっきりしました。
かなり偏った意見なのかなーとも感じているので、なにか意見がある人いましたら是非聞かせていただきたいです。
ではまた。
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