さよならシャボン(26) 自尊心
Story : Espresso / Illustration : Yuki Kurosawa
私は売れない物書きだ。
勿論、売れない作家はそれだけで食ってはいけない、平日はうだつの上がらない平社員をしている。
週末や仕事帰り、暇を見つけてはパソコンに向き合い、文字をひたすらに入力するのだ。
書き始めて最初の頃は、言葉選びひとつとっても熟慮し、悩んだものだが、何年もそれを続けているうちに頭の中ではパターンが組み上がってしまい、それをあの手この手で流用してしまっていることは自分でも薄々気付いている。
が、中々やめられない。数多の失敗、それがバラバラになったものを元に組み上げているのだから、それが成功の形になる筈などないのに。
初めからそこに正解はないのだと、頭では理解しているのに、惰性の悪魔は囁く。
それなら書くのをやめてしまえばいい、とすら思われるかもしれないが、何年も続けてきたルーティンを自ら破壊するというのは、そこそこの年齢になった人間からすれば過去の自分を否定するようなものだ。
自分で自分を否定するのは苦しい、まして、誰かに評価されたことなど一度もないのに、たった一人評価していた筈の自分自身が否定したら、過去のその時間を過ごしていた自分は死んでいたようなものだ。
『私の趣味は崇高なものだ』
書き始めた頃からもっていた。
自尊心と他者に対する優越感のようなもの。若者達が無為に喫茶店でお喋りに費やす時間、その傍らで私は一人一心不乱に画面に向き合い、文字を打ち込み続けてきたのだ。
『周りの馬鹿どもと私は違う』
そんなちっぽけなプライドが芽生え、それを守る為にここまで続けてきたようなものなのだ。
しかし、ある時だ。
いつも執筆に使う喫茶店に行き、いつもの席に座ろうとしたところ、既に先客が居たため隣の席へ。
いつもの席にはパソコンを開いている大学生らしい若者が座っていた。
なんとなしに、隣に座るときにその画面を覗いた。
そこには、文字の羅列。
物書きには書いているものには理解できるであろうものが、映し出されていた。
レポートや資料の類ではない。
書きかけの、小説がそこにはあった。
窓の外は雪が降っている。
私はわざわざ、そんな天気だからこそ小説を書きにきたのだ。
自分を美化するために。
他のテーブルに座っている女子大生達。
誰も彼もが似たような上着を着て、似たようなメイクをして、似たような話をして、似たような笑顔を浮かべている。
それを鼻で笑っていたのだ。
『私はこいつらとは違う、こんなくだらない時間の過ごし方はしていない』
自分以外全ては色を失い、茶色に見えていた。
この空間で唯一、色付いているのは自分だと思っていた。
だが、隣に来た大学生の彼は?
同じ物書きだ。
私と違い、タイピングの音すら軽やかに聞こえる程、全身から楽しんでいる雰囲気が伝わってくる。
『物書きが崇高な趣味だって?』
隣の彼に笑われている気がした。
自分だけ、そんな小さな自尊心はたったひとりにいとも容易く粉々にされてしまった。
指先が茶色に染まっていく。
両手の指先、両足の先から、茶色に染まっていく。
茶色い世界へ、自分も染まっていく。
両手で顔を覆い、目を閉じた。
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•さよならシャボンチームからのお知らせ
えすぷれっそさんが活動再開したということで、また不定期に連載を再開することとなりました。それに伴って、メインビジュアル等のリニューアルも行っております。
次の目標としては、今までの作品をまとめた文庫本を作って自分たちだけで遊ぼうと思います。本年もよろしくお願いいたします。
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