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科学技術の裾野の広さを支える博士課程の学生が減っているのはまずいと思う

最近「科学技術立国日本」に関する記事をよく目にするので、自分用のメモとしてnoteを書くことにしました。間違っている点などがあれば、教えて下さると嬉しい限りです。

さて、一番新しい記事は2020年10月4日のこの記事です。

5日からことしのノーベル賞の受賞者の発表が始まります。3年連続での日本人の受賞となるか注目されますが、科学技術立国を支えると言われる日本の大学院の博士課程の学生の数は、修士課程から進学する人の数がピーク時の平成15年度から減り続け、昨年度はほぼ半分となっていて、ノーベル賞の受賞者からも対策を求める声があがっています。

という書き出しです。

正直に言うと、だいぶ前からこれは言われていることである意味各方面の無作為といえる状況に再度スポットライトが当たっただけのこと。と言えば、それまでですが日本に科学技術立国を目指す100年の計があるなら対応していると思う状況なので、そうした計画はないのかもしれない。。。

現実問題として、以下のような記述がある。

科学技術立国を支えると言われる日本の大学院の博士課程の学生の数は、修士課程から進学する学生が減り続け、文部科学省によりますと、ピーク時の平成15年度のおよそ1万2千人から、昨年度はほぼ半分の5963人まで減りました。
また、人口100万人当たりの博士号取得者の数も、欧米が増加傾向にあるのに対し、日本は2008年度の131人から減少し、2017年度には119人と、アメリカ、ドイツ、韓国の半分以下の水準にまで落ち込んでいます。

この状況に対してのこの記事で出ていた意見を簡単にまとめます。

<日本の研究人材に関する課題>
・日本で博士号を取得しても将来のキャリアが不透明・メリットも少ない
 ・欧米のような理系の博士課程の学生に大学から給料が出ない
 ・博士号を取得しても企業などでの就職が優位にならない
 ・年齢で給料が決まり、博士号を取る過程で得た能力が考慮されない
・大学の研究は、真理の探究が1つのミッションとして絶対必要
 ・博士課程を経た人が10年間程度は安心して研究できる環境が必要
 ・若手が長期的に研究に打ち込める環境が必要
・このまま博士課程への進学者が減ると、研究の土壌が枯れてしまう
 ・研究志望の若い学生が博士課程に進みやすい環境を整えることが必要
・産業界が博士課程を出た人をどう処遇するかは課題

すでに、こうした指摘はだいぶ前からあります。
私がクラリベイト・アナリティクス(論文データベースWeb of Scienceを保有する会社と言えば少しは分かって貰えるかもしれません…)にいた、7年前においてもそうした議論はありました。

日本の状況は、かなり壊滅的な状況になっているというのが私の感想です。日本の科学技術力はこれから加速度的に低下していくことが予見されますし、少子化があるとはいえ、博士課程へ進学する人が減っているのは学生一人一人からすると魅力が無いからだと私は思っています。


上記のnoteも一年半以上前に書いていますから、あまり現状は変わっていないような印象ではあります。

ただ、最近(そろそろノーベル賞の季節ということもあり)この手の記事などを頻繁に目にするようになり、日本の科学技術を支えているのが研究者という人間なのだということが繰り返し発信されていることは本当に大切なことだと思います。


上記の記事のような背景情報があり、その上で日本と世界を比べるとやはりその差が歴然としています。これも毎年発表されるいくつかの世界大学ランキングが出される度に日本の研究力の低下が指摘されます。今回の記事はTHEのランキングです。

「国立大の法人化後、日本の研究力が海外に比べて相対的に低下したと断定できる」。豊田長康・鈴鹿医療科学大学学長はこう指摘する。三重大学学長も務めた豊田氏は日本の研究力低下を強く危惧し、論文数や大学ランキングなどのデータ分析に取り組んできた。国際比較から「最大の原因は大学の研究への政府投資が人口規模に比べて少ないからだ」と訴える。
文部科学省科学技術・学術政策研究所がまとめた「科学技術指標」によると、日本全体の研究開発費のうち大学部門は18年に00年比1.0倍と全く伸びていない。米国やドイツが1.8倍、英国が1.6倍、韓国が3.1倍、中国が10.2倍などと増えたのに対し、日本の停滞は明らかだ。

国の台所事情で政府投資が停滞したという箇所があり、「貧すれば鈍する」ともあり、企業経営で使われる「選択と集中」の手法を科学技術政策で用いて、効率的な投資を狙ったが、東大や京大といった上位校への集中が続いているようです。

ただ大規模な大学のほうが地方大学などの中小規模大学より研究の生産性が高いという明確な根拠はない。豊田学長によると公的な研究投資(人件費と研究費)当たりの注目論文数は同程度だ

これにもまた議論はありますが、論文数ではそうなんだろと思います。被引用数や国際共著率と言ったその他指標でも比較すると、上位校との差はどうのようになっているのかについては知りたいところではあります。


日本がそうこうしている間に、中国が研究力を増し、米中デカップリング(簡単にいうと相互排除ですかね)がガリガリと進行中です。

中国政府は2月、大学や研究機関に対し著名な科学誌への論文掲載数などの数値指標を研究業績評価に使わないように通達した。数値目標をめぐる過度な競争を是正するのが狙いとされる。中国の科学技術政策に詳しい中村栄一・東京大学特別教授は「中国が自律的な科学研究を発展させる土壌を整えた」表れだとみる。

この記事の中で日本の研究力復活のカギとなるような記述がとても興味深いので転記しておきます。

――日本ではむしろ論文数など数値目標で研究者や大学を評価する動きが強まっています。

数値目標による評価だけではひずみが出ることは、中国の壮大な社会実験とも呼べる試みではっきりした。中国政府は巨額な研究資金投資をするからには数値を使ってきっぱりと評価しようと考えたが、それではワクワクするような独創的な基礎研究も、イノベーションも思うように生まれないとわかった。かつて中国ではピアレビュー(同僚による評価)をしようにも評価ができる人が少なかったこともあって数値評価に傾いたのだろうが、今や研究の生産性も質もともに向上し、いわば『学術の初心』に戻ってピアレビューができる体制が整ったといえる」

「なぜか日本では科学研究の成果が上がっていないという誤解が広まり、政治家や役所が改革に手をつけた。ピアレビューができない人たちが評価しようとするので、数値目標を使わざるを得ない」

日本で、質でも量でも成果が上がらないのは、研究に投じる資金と人材が減ったためであることは鈴鹿医療科学大学の豊田長康学長の国際比較分析(豊田氏の著書『科学立国の危機』など)で実証されている。科学・技術力を高めようというなら、配分のやり方や使い方をいくら変えても現場は疲弊するばかり。投資全体を増やさなければ将来はない。中国はそれをよく理解している

日本も今転換する良いタイミングかもしれません。

ただ、足元の日本の財政状況は芳しくないので、難しいかもしれません。ただでさえ、コロナ関連でかなりのお金を使っているので、これは後から何かしらの方法で回収されることを覚悟しておかなくてはいけません・・・

4月の記事なのでかなり古い感じもしますが、こんな状況になっています。

新型コロナウイルスの感染拡大に対応する緊急経済対策の財政支出が39兆円と過去最大になると表明した。事業規模は約108兆円で「この経済対策で国民の生命と生活を守りぬく」と述べた。


さて、最後にこの記事で締めくくりますね。

「日本では博士課程で学ぶ若者の52%が無給で、25%が年収60万円以下だ。これは憲法27条の勤労の権利に違反する。学生への給付型奨学金や大学院生のアシスタント雇用の給料支給の議論になると、必ず『財源はどうする』と反論が出る。しかし私はこの問題はお金以前の重要な課題と考え、あえて憲法違反、人権問題だと強い言い方をするのだ」

今さらこの発言にはちょっと、、、と感じずにはいられませんが、過去の事は置いておくとしても、こうした現実があります。私のころも今もそうなのだと思いますが、日本学術振興会の特別研究員(通称学振)をに採択(採択率は約20%程度)されるとお給料的なものを貰えますが、それがないと奨学金(借金)をして、学費を払って、博士課程で研究をすることになります。

この状況については、是非改善して欲しいなと思います。恐らく長期的に効いてくる施策だと思うので、しっかりと腰を据えて取り組んで欲しいです。

最後に、個人的な話をすると、自分が博士課程にいたころはとても楽しかったし、博士号を取って良かったことは色々とあります。ただ、博士号取得後のキャリアについてはあまり楽観できなかったなぁと思いだします。毎年ドキドキしながら研究をしていました。現在は外資に籍を置いていますが、博士号取得者の待遇は内資と比べると格段に違うというは実感としてあります。このあたりの温度差は厳然としてあるので、色々な意味で日本は岐路に立っているのだとは思います。

まあ、岐路に立っていない時代なんてないんですけどね、実際は。


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