なんともわからんこと

こんにちは。今日はちょっともやもや疑問に思っていることをお話ししますよ。

いつも読んでくれている人は恐らくみんな知ってくれていることかと思うんだけど、僕は自分の生物学上の性別に違和感があって、トランスジェンダーのFtMを自覚している。詳しくはググってもらうといいのかな。

恐らくセクシャルマイノリティあるあるだと思うんだけど、僕は日常のそこここでそれがなんで女?それがなんで男?そこを男女分けて語る必要ある??っていうような「べき論」が気になってしまうんだよね。(多分ほかの人からみるとこの考え方が一番性別ってものにとらわれてるとか、自分が男だと明確に思っているのならば男側に立つだけで男女分けた論調が気になることはないのでは、みたいなことを思われるんだろうななんて思うんですがその辺に関してはまた今後のnoteにて・・・)

そこで最近割とずっと考えている べき論 についてちょっと吐き出していこうと思う。

人間、なぜか子供の頃には男の子用のおもちゃと女の子用のおもちゃを分けて与えられがちじゃないですか。そんで割と御多分に漏れず与えられたおもちゃがおもしろいようになっていくでしょう。それって大体男の子はレンジャーもの、女の子は人形とか、戦隊ものにしてもプリキュアとか女の子キャラにはまりますよね。つまり小さい頃は(ごめんなさい、暴論なのは理解しているので許してください→)男の子はみんなお兄さんが好きで女の子はみんなお姉さんが好きでしょ。それが大きくなって、なぜみんながみんなしてかわいかったりかっこよかったりする異性を好きになるのかっていうのが本当にわからなくてな。その移行期間にバグみたいなのって半分くらいの確立で起こりそうな感じがするんですよねー。

ここから話を広げるつもりはさらさらないのですが、近頃とにかくこれが疑問で仕方がないので、憶測でも構わないし模範解答ならなおさら、わかる方いたら教えてくれ。ちいさいときはこうなりたいの具現化で遊ぶってもんなんですかね?それともその時期から他人様に魅力的に見られるような修行なのだろうか。

今回、言葉選びが適切じゃないところがありますがお気を悪くされたら申し訳ございません。

ちなみに僕は、幼少期どっちも好きだったしどっちも与えられなかった。小学生のころはブランコ木登り鬼ごっこ野球とおままごとが好きでしたね。おままごとではおやつにガム入ってる飴(という体の組み立てて玉転がす知育玩具の玉)ばっか振舞っていたような(伝わらない)

それでは。

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