『恥ずかしさ』という動機

最近、『恥ずかしさ』という行動の動機があることに気づいた。しかも自分の中ではその行動原理がとても大きく行動する/しないに影響している気がする。

1つ目に、プライドに近い『こうあるべき』という行動原理。
『自分はルールを守る人間だ』という自意識があったとき、どんなに急いでいても信号を守る。これも『信号を守らない自分は恥ずかしい』といった自意識から来ているように思う。心理学の一貫性などにも通じると思われる。

2つ目に、他人の目で『他人からこうは見られたくない』とい行動原理
自意識と近いが『他人にこんな人間だと思われるのは恥ずかしい』といった認知から行動が生まれる。電車で席を譲るのも『譲るべき人がいるのに無視してると思われるのは恥ずかしい』といった認知がある。面白い記事でも少し下ネタが強かったりするとシェアするのを躊躇うのもこれに該当する。

人にモノを勧める時に1,2の複合的な恥ずかしさが発生する。例えば個人的に(言うほど好きではないけど)ちょっとだけ好きなマイナーなモノを勧める時『こんなモノ好きと言う自分が恥ずかしい』x『こんな中途半端なモノを勧めるヤツだと思われるのが恥ずかしい』の2つが発生する。すべての行動が当てはまるわけではないがこういったシーンは多い。

* * *

この2つの恥ずかしさがリファラル採用にも影響すると思っている。
従業員エンゲージメントeNPSが低いからリファラルが上手くいかないというのは分かるが根本はここにあると思う。キラキラした福利厚生や単純な昇給や手当だけではなく根本的な恥ずかしさのない自信を持って人に勧められる環境を作ることに注力するべきだと考える。採用PRの文脈でも透明性の大事さは語られているがそこがダブスタにならず、発信内容と実際の言動が一致していれば恥ずかしいことは無いと思う。
様々な力学から知らぬ間にダブスタになっていることはあるのでそのあたりを気をつけて、恥ずかしさを無くしていきたい。

読んでくれてありがとうございます!少しでもいいなと思ったら「スキ❤️」してもらえると飛んで喜びます!シェアしてもらったらもっと嬉しいです!