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予想夜話

「その言葉こそ、人類の墓標に刻まれるべき一言です。神様、よくわかりませんでした……ってね」

「有限と微小のパン」森博嗣

数分後の未来を120通りに分ける。
どれを迎えるのかわからない。この不確実性などと小難しく呼ばれたりもする、「わからない」こそがギャンブルの本質であり、目を逸らすことの出来ない永遠のテーマである。

急に風が吹いたり、プロペラに浮遊物が巻き付いたり、ほんの僅かな挙動が呼応し合い、確率的に展開するレース。つまるところ、どうなるかなんて「わからない」。しかし、私たちは手にできる情報を拾い集め、懸命に紐解き、ストーリーを描きたがる。そう、分かりたがるのだ。

数分後の未来で、「な!言ったとおりだったろ?」と得意げに高揚する者、「ちょっとズレた」、「これは無理!」などと思い通りにならなかった者、悲喜交々の答え合わせ。

経験を重ねては脳裏に浮かぶストーリーが増え続け、あるいは120通りの”展開”すべてを、無理やりになら言えるようになってしまう。
何に、いつ、どのように賭ければよいのか。あまりに不確実な世界に翻弄され過ぎて、いつしか自分が儲けたいのか、当てたいのか、何をしているのかもわからなくなってはいないだろうか。

もしかすると、何もわからなくたって良いのかもしれない。年末になれば、控除率50%を超える宝くじに嬉々として列をなしてしまう世の中だ。そこに期待値はなくとも、スリルがあればそれでいい。いくらかの参加者にとってはそういうことなのかもしれない。

さて、今回は「予想」というものについて、言語化してみたいと思う。夜話と題しているが、昼に読んだって構わない。そう、すべては貴方が決めることだ。

ここで少し自己紹介をさせていただきたい。
私、黒猫合唱団事務局(以下「黒猫」という。)は、ボートレース(以下「競艇」という。)という界隈で、レースにまつわる情報を収集し、分析し、ときに提供している。いわゆる予想屋ではない。

そんな勝手な立場であることにやや後ろめたさを感じつつも、巷を見つめ続けてきた黒猫から、あらためて「予想ってなんだっけ?」と投げかけてみたい。
これは、競艇に限らず、競馬、競輪、オートレースにいたる様々な公営ギャンブルに通ずる話になる。広くお付き合いいただければ幸いである。
したがって、競艇のこのデータを見ると勝てる!といった類の話ではないし、そもそもそんなものは無い。それでは、始めていこう。

貴方はなぜギャンブルをするのか?

この問いには「楽して金を増やしたいから。」と即答して欲しい。否、しなければならない。その競技のスポーツとしての魅力を説いて騙せるのは、親元に暮らす女子大生かスリ過ぎて身の置き場のない自分自身くらいである。

ウソの代償とは?
真実を見誤ることじゃない
本当に危険なのはウソを聞きすぎて真実を完全に見失うこと

「Chernobyl」HBO

勿論、そういった側面を否定するつもりはない。黒猫自身も高度なテクニックや意地がぶつかり合う白熱したレースを観ると、賭けているか否かにかかわらず、興奮する。
しかし、ギャンブルにかかわる根源的な動機、そして目的は「金を増やしたい」であり、それを厳しく自覚しなければ、このゲームを勝ち抜ける小さな可能性の抽選にさえありつけない。さらに付け加えると、当然、楽なわけはない。

そろそろ本題の予想の話をしよう。
コロナ禍において全ての公営競技はその売り上げを伸ばした。行き場を失った金や時間、あるいは利殖のフチがネット投票を介して押し寄せたことはご存じだろう。中央競馬が3兆、競艇が2.4兆、競輪が1兆の市場へとかつての賑わいを取り戻しつつある。これは新たにこの鉄火場に足を踏み入れた者の多さや、より深く参加するに至った者などを示唆している。

【競艇売上推移】近5年で2倍超の伸び

このビックウェーブのなか、黒猫は「予想の本質の不在」を日に日に強く感じるようになり、こうして語るに至った。不在だという「予想の本質」とはなにか。先ず、黒猫の考える予想の定義をお伝えしたい。

予想とは、期待値が1より大きくなる投票を紡ぎ出すためのあらゆる行為であると考えている。

なにを今更。ここまでお付き合いくださった方々のうち競艇の控除率を差し引いたくらいの割合がそう思うだろう。
しかし、自らの日々の投票結果を省みたとき、本当に予想をしていると言えるだろうか。120通りの未来がそれぞれどのような確率で生じるのかを導き、確定オッズを予測し、乗ずる。この手続きをどこまで忠実に行えているだろうか。

さはさりながら、「ちゃんと期待値考えて投票してる?」という投げかけなど、古代エジプトでサイコロが振られていた頃からある手垢にまみれた話。
あえていま、警鐘を鳴らすのには理由がある。この界隈ではコロナ禍で流れ込んできた濁流がその川幅を広げ、またその濁りが澄もうとしている。市場の転換点を迎えようとしている。健全かつ不確実なギャンブルとして発展するのか、ギャン中と詐欺まがいの予想屋、冷徹なBOTしか残らないスラムにするのか、参加者の知性がここで試されているのではないだろうか。
「最近オッズが辛いな、でも行くか。」の先に明るい未来はない。

考え抜いたストーリーは愛おしい。

誰かがまことしやかに語るストーリーも興味深い。思い浮かべれば、あたかもその通りになるような気になってくる。
便利なサービスが増え、思い思いのフィルターで過去のデータが取り出せる。素直にも捻っても、ストーリーテリングは限りなく容易なものとなっている。だだ、それだけで意味はあるだろうか。取り上げるその目がどのようにして完成するかを語っているにすぎない。
確率を評価せずに、ストーリーのみを愛でる者の目的は的中。これではよろしくない。
上で明らかにしたように、私たちの目的は儲けることだった。となると、追求すべきは、周りがその価値に気づいていないストーリー、安売りされているストーリを買うことが最善となる。
儲けたいのか、当てたいのか、もうよく分からなくなって依存症に足を突っ込んでいるのか、自身がこの界隈に身を置いている目的を一度よく考えてみて欲しい。

展開、ストーリーはある程度描けて当たり前。素人も玄人もない。色々なことが起きる水面の観戦数が解決してくれる。
問題は、ストーリーの価値を鑑定する眼にある。要するに確率計算。そして、これが「予想する」ということの出発点だ。勿論、生身の参加者はAIではないので、「ここの1-2-3の確率は0.2161です。」なんて言えたりはしない。
しかし、ある目や展開がどれくらいの確率で発現するのかを考えないことには期待値の世界には進めないのだ。

つまり、あるレースを取り上げて、「このレースはこうなりそう」というのは予想ではない。2回に1回なのか、5回に1回なのか、100回に1回なのか確率を評価しなければ、120個のうちのストーリーを1つあるいは一部分、取り上げただけということになる。たまに聞く、「これしか見えない!」と言う方にはぜひ眼科の受診をお勧めする。

これは不幸にも、予想を生業としている予想屋にさえ散見されている。

食える予想屋はかたれる。

「食える」というのは貴方を食わしてくれるという意味ではない。その予想屋が食っていけるという意味だ。予想を語り、サービスとして成立している者もいれば、的中を騙り、射幸心のみかじめ料をかすめ取る者もいる。
いずれにしても、食える者は限りなく少なく、語れる者となればごく一握りである。
更に言えば、その類い希な存在が放っておかれるはずはなく、少なくない投票がそれに基づいて行われる様になる。その結末は、ご存じの通りだ。

総合すると、予想屋に乗ってはいけないということになるが、買ってはいけないとは思っていない。むしろ、ホンモノの予想屋に対価を払うことは、儲ける目的に対する近道や手段として選択肢たり得ると考えている。

彼らから買うべきもの、買って良いものは2つだ。

先ず1つ目は鑑定眼。その予想屋がホンモノであれば、必ず期待値を取る。「買い目の妙味を探す」なんて表現でも良いだろう。あるレースを取り上げて、市場がどう動くかを読み、お買い得な目を必要十分に挙げる。
上に述べたように、これをそのまま買う(乗る)ことに本質的な魅力は無い。期待値の見いだし方の思想こそ買うべきであり、確率評価上の盲点、人気形成やオッス変動の折り込み方などを学び、真似ぶのだ。
それを踏まえると、上の要素を満たし、なるべく丁寧でロジカルな説明を行う予想屋が好ましい。
全てを省略し、買い目だけだがホンモノということもありえなくはないが、ホンモノかどうか吟味するには時間が掛かるうえ、それを読み解ける力があれば、翻って貴方が鑑定眼を買う必要はないということにもなる。

などと買い目を羅列し、合成オッズで1.4倍みたいな悲劇的な予想はよそう。

2つ目は情報。この狂気に満ちた鉄火場に「ふつう」などというものが存在するのかはわからないが、ふつうの参加者が毎日朝から晩までレースをつぶさに観ることはできない。ある場の6日ほどからなる1節を終始追うなども同様である。

結論から言うと、予想屋は「お前面白いことによく気が付くから、毎日水面観とけ。必要な時に数百円くれてやるから報告しろ。」という貴方のパシリでいい。

貴方はある時、弾と暇を携えて、目の前にならぶレースに興じる。きっと出走表を見て、展示を見て、艇国DBやBR日和を見て、オッズを見て予想をするのだろう。昨日は汗水垂らして働いていたから、入念に調べてもリプレイのザッピングが関の山といったところ。そのルーティンでさえ取捨に悩むほど多くの情報を手にすることになる。
ここまで述べてきたように、私たちはストーリーを安く仕入れる転売ヤーにならなければならなかった。同じようなルーティンには同じような予想が宿り、貴方の集合体がオッズの一部を作る。
こう聞けば、なんだかそれでは良くない気がしてくるだろうが、逆張るには「6P3」はあまりにも広大だし、逆張れているのかも確信は持てまい。

そんなときに貴方は目に掛けているパシリを呼ぶ。「ちゃんと調べてる?聞かせてみろ。」といった具合に。

社会は常に分業している。皆が鶏と牛を飼い、卵を拾って乳を絞って暮らしたりはしない。ある者は製造し、ある者は運搬し、そしてある者は水面を見つめ、語るのである。それぞれが役割を果たし銭を稼ぎ、価値を見出した財を消費する。それだけの話だ。

費やした時間と情報の優位性が必ずしも比例するとは限らないが、1日に200近いレースが行われる競艇の性質に鑑みれば、ホンモノの情報を提供するためには片手間で行えない。したがって、誰かのパシリが対価を求める形で存在することはあり得るだろう。
「日々競艇と真摯に向き合い、一定の質を保ちながらその情報ニーズに応える」という営みを、対価を得ずにできるのは不労所得のあるひまひまさんしかいない。

ただしご承知の通り、有料であることが情報の価値を規定しないし、24時間競艇に向き合ったからと言って、語られる情報が優位性を持つとは限らない。あくまで、ホンモノの情報に対価が支払われる妥当性を説いたまでだ。

こうした視点で界隈を眺めると、狡猾な予想屋のなんと多いことか。狡猾と形容したが、残念ながらあまり賢くもない。多くの人と金が流れ込んできた市場にやってきて、「わからなくなった」参加者を漁り、雑な手口で日銭を稼いでいる。

これは貴方が競艇をする目的に対して相応しい行動ですか?

予想は続くよどこまでも

予想には正解、最適解が存在する。
しかし、答え合わせはできない。サイコロやルーレットと違い、ゲームの前も後も、真の確率を導けないからだ。
自分や自分のパシリの予想がイケてるのかどうかが分からない。できるのは目的を達成しているかどうかの評価。つまり、収束するに十分な投票量を経て、収支が想定に対して上回ったのかどうかだけということになる。
競艇の控除率が25%であることを目安に考えれば、100%を上回れば優勝!で良いと思うし、90%を超えていて言語化能力に長けていれば貴方が予想屋になることもできるだろう。

そして、確率と収支の間には「リターン(オッズ)を乗ずる」という厄介な仕組みがあったことも忘れてはいけない。
これまでいくつかの視点から、「オッズ」というものの厄介さは語ってきた。繰り返しになる部分が多くなるので、気の向く記事をお読みいただければ幸いである。

黒猫は「オッズはみんなで作るもの。」と折に触れて申し上げている。
時代によってその傾向に揺らぎがあるのはその定めであり、熱狂と沈静の間を寄せては返す波のように往来しているようにも感じる。
この話の出発点である「予想の本質の不在」に立ち返れば、今は熱狂のなかにあるということになるのかもしれない。

夜に読んでくださってる方はそろそろ睡魔が訪れる頃だろうか。夜話を結ぶ。

宝くじの話ではないが、ここで述べたようなストイックな参加が正しくて、「イノキ(1-2-3)2.8倍にスイチでまくる!」がけしからんなどとは思っていない。それぞれの投票ボタンをそれぞれの刹那で押せば良い。すべては貴方が決めることだ。
ただ、入場ゲートに100円を差し込んだ時の自分とはぐれてしまったのなら、再会する手助けをしたい。そう思いながら打ち込んだ文字は5,500字を迎えた。

ウソの代償とは?
真実を見誤ることじゃない
本当に危険なのはウソを聞きすぎて真実を完全に見失うこと

その時どうするか 真実を知ることを諦め 
 物語で妥協するしかない

「Chernobyl」HBO

こうして、いつだって思い通りにいかない「競艇」というゲームを通じて、黒猫は貴方とお近づきになれた。もしよろしければ、ご一緒に勝負の世界でもがいてはみませんか。見抜き、出し抜き、勝ち抜く。妥協するにはまだ早い。

競艇、それはきっと愉しい。

ここまでのご披見に最大の感謝を申し上げて。
黒猫合唱団事務局 拝

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