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【映画メモ】ミッドナイト・スワン【#25】

勧められて見た映画ですが、この映画は8月にして今年の最も見てよかった映画になると思いました。まずトランスジェンダーの凪沙(なぎさ)を演じる草彅剛が秀逸です。全く違和感がなく、映画に没頭させてくれます。実母の育児放棄によって預かることになった一果(いちか)は新人の女の子でしたが、演技の未熟さ(?)が逆に少女の不器用さや心を閉ざしているところをうまく表現できていたと思います。

解説は映画.comさんより

草なぎ剛演じるトランスジェンダーの主人公と親の愛情を知らない少女の擬似親子的な愛の姿を描いた、「下衆の愛」の内田英治監督オリジナル脚本によるドラマ。故郷を離れ、新宿のニューハーフショークラブのステージに立つ、トランスジェンダーの凪沙。ある日、凪沙は養育費目当てで、少女・一果を預かることになる。常に社会の片隅に追いやられてきた凪沙、実の親の育児放棄によって孤独の中で生きてきた一果。そんな2人にかつてなかった感情が芽生え始める。草なぎが主人公・凪沙役を、オーディションで抜擢された新人の服部樹咲が一果役を演じるほか、水川あさみ、真飛聖、田口トモロヲらが共演。第44回日本アカデミー賞で最優秀作品賞を受賞し、草なぎも最優秀主演男優賞を受賞した。

https://eiga.com/movie/92113/

最初はお互いに距離がありますが、少しずつ絆が生まれていきます。その過程をきれいに2時間に収めていました。今回は色々書きたいのでめちゃくちゃネタバレしています。まずは、15分越えの予告編です。

最初は養育費目当てだった凪沙も、やがて一果のためにニューハーフショーだけでなく就職もしようとします。一果のバレエのレッスン代を払えるように昼の仕事にも就こうとしますが、女性ホルモンを注射しているために男性のような力仕事はできませんし、そんなガサツな職場にも馴染めません。ニューハーフ風俗にも堕ちようとしますが、心が付いてきません。でも、きっと、親なら子供のためにどんなことでもしてあげたいと思うでしょう。凪沙は、二人でもがいてる過程で、一果の親になっていたんだと思います。

凪沙も一果も、最初は他人を拒絶するような眼をしていますが、だんだん優しい目になってきます。特に、草彅剛の演技に目を奪われます。凪沙が一果を見る視線が、だんだん母親のものになっていくのが分かります。優しく、包み込むような、最初の目とは違ってくるのに鳥肌が立ちます。

そんな中、一果がバレエのコンクールに出ることになります。コンクールの途中に、バレエに導いてくれた親友が自殺します。そして、その彼女が来るはずのない会場に座っていたことで、一果は親友の死を感じ取ります。動けなくなる一果のもとに駆け寄ったのは育児放棄していた実母でした。舞台の上でなりふり構わず娘を抱きしめた実母を見て、凪沙は会場を出ていきます。僕は、ここで凪沙が決して超えられない壁を感じたように思いました。それは、僕たち他人から見たら、凪沙と一果の絆と大して変わらないものだったと思います。実母だからあった絆ではなく、むしろ凪沙と一果の絆の方が強かったのではないかとも感じました。でも、凪沙は、駆け寄れなかった自分の心の引け目や弱点、遠慮のようなものを目の前に突き付けられたのかもしれません。ここでストーリーが大きく転回します。

その後、凪沙は性転換手術を受けることを決意して、決して清潔でも安全でもないタイで「安く」手術を受けます。前半で手術を勧められるシーンが出てきますが、高額だという理由で曖昧な返事をします。その手術に踏み切った。きっと体が女性になることで引け目を感じなくなる、もっと強くなれる、壁を越えられると考えたのだろうと思いました。そこにすがりつきたかったのだと思います。

手術後、実家に連れ戻された一果に会いに行きます。そこで罵倒され、追い出されますが、家を出ていく際に「私、女になったから、一果の母親にもなれるのよ」と言います。この一言が凪沙のコンプレックスを表していたのだと感じました。表面上の手術は、本当は関係ないのに。そんなことでは何も変わらないのに。絆はもうあるのに。とっても哀しく響きました。

全体を通して、凪沙だけでなくトランスジェンダーの女性全体が、世間から不当に扱われる描写が出てきます。本当の現場はさらにひどいのだと思います。そういうひどい扱いを受ける人たちは少しずつ心が殺されていって、自尊心が削られ、自己肯定感が無くなり、最後にすがりつくところを間違えて破滅していく様子が描かれていたように思います。

一果が中学を卒業して、凪沙のもとに向かいますが、凪沙はタイでの性転換手術の予後が悪く、合併症でほとんど寝たきり、おむつ生活で目も見えなくなっています。なんとしても体を女性にしたかった凪沙の希望は、逆に足かせとして彼女の命を奪っていきます。

もう一つの例として、凪沙の友人が彼氏に貢がされ、風俗に堕ちて人生をぼろぼろにしていきます。自分を女性として扱ってくれる、自分が金銭的に支えてあげている、というような自尊心を満たしてくれる相手にすがりついて身を滅ぼしていきます。凪沙が性転換手術に希望を見出したように、彼女は男に希望を見ていたのだと思います。

最後の冬、凪沙と一果は海を見に行きます。砂浜で踊る一果。静かに死んでいく凪沙。とてもきれいなシーンでした。

ここで終わりません。この先があります。海外でのオーディションに望む一果が「白鳥の湖」を踊るために舞台に立って、つぶやきます。「見てて」

この言葉で凪沙と一果が本当の親子になったんだなと感じられました。凪沙は、実家に連れ戻されていた一果に「あなた、こんなところにいたらダメよ。踊るのよ」と言ったシーンがフラッシュバックのように思い出されました。孤独な二人の間に育まれた愛だったのだと思います。

白鳥の湖のストーリーは、王子ジークフリートは、湖のほとりで王冠をいただいた一羽の白鳥が美しい娘に変わるのを見て驚きます。娘の名はオデット。悪魔によって白鳥に姿を変えられ、夜の間だけこの湖のほとりで人間の姿に帰ることが許されます。その悪魔の呪いはまだ誰にも愛を誓ったことのない青年の永遠の愛の誓いによってしか解けないのだと言います。しかし、悪魔の策略にはまってしまったジークフリートは、オデットにかけられた呪いを解くことができなくなってしまいます。ジークフリートは湖に駆けつけてオデットに許しを乞い、二人は改めてお互いへの愛を確認しますが、そこへ悪魔が現れて二人を永遠に引き裂こうとします。愛するオデットを助けたい一心からジークフリートは果敢に悪魔に戦いを挑みます。最後には呪いが解け、オデットは人間の姿を取り戻します。二人は今度こそ永遠の愛を誓い合いました。

白鳥の湖になぞらえるなら、凪沙はトランスジェンダーとして新宿で孤独に生きています。育児放棄によって愛を知らなかった一果を少しずつ娘として見始めます。一果がバレエを続けられるように懸命に尽くします。尽くすという意識もない、純粋な親子愛が生まれていたのだと思います。オデットが夜の間だけ人間に戻れるように、一果はバレエを踊っている間は世間の冷たさから解放されます。一度は実家に連れ戻されますが、二人は再び出会って親子の愛を確認します。凪沙と一果は、病魔という悪魔によって引き裂かれようとします。凪沙が死ぬことで肉体的には引き裂かれてしまいますが、凪沙は一果の中で「お母さん」として愛され続けるのだと思いました。

もっと書きたいことはあるのに、文才の無さが悩ましいです・・・

おわり


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