小説・「海のなか」(28)
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20××年 10月5日
溺れている。
深い色。
上の方に光が見える。
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20××年 10月6日
「はやくおいで」
と誰かが呼んでいた。
顔がない女。
でも、笑っているのがわかる。
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20××年 10月7日
「 」
誰かに呼びかけている。
手は冷たいままだ。
あの人は、振り返らない。
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20××年 10月8日
指切りの歌を歌っていた。
甲高い声が耳に障る。
わたしの声だった。
「約束よ」
と目の前の誰かが言った。
顔を見ることは出来なかった。
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20××年 10月9日
目の前が青い。
光が揺れている。
どうやらだんだん沈んでいるようだ。遥か上へと泡が上っていく。
目の前が黒に染まる。
誰かの腕がわたしの体を締め付けていた。
苦しい。
薄れゆく意識の中、何者かの皺をたどる。
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20××年 10月10日
見たことのある店内だった。
木造の古びたカフェだ。
テーブルの中央には銀の皿が一つ置かれている。
わたしと〇〇は二人で一つのアイスを分け合っていた。
「美味しいかい」
と〇〇が尋ねて、わたしは頷いた。アイスは蕩けるように優しい味だった。
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20××年 10月11日
「〇〇さん!」
彼女は振り返らないことをわたしは知っている。それなのになぜか、呼びかけてしまう。
「まって!」
叫びが喉から溢れた。
目が熱い。
泣いているみたいだ。
そのとき、これは夢だと気がついた。
わたしは今まで泣いたことがないからだ。
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20××年 10月12日
わたしの手は皺々の手の中におさまって揺れていた。どこかへ出かける途中のようだ。
視界は強い日差しに白く光っている。いかにも夏らしい景色なのに、ちっとも暑くない。
「夕凪、疲れたかい」
年老いた声が降ってきた。しわがれていて低く、男女の区別はつかない。相手はわたしと揃いの麦わら帽をかぶっているようだ。
「んーん、〇〇〇ちゃん」
「ゆぅ、たまごアイス食べたいなぁ」
わたしは聞いたこともないような、甘ったるい声を出してそう言った。幼い子供の声。すると、頭上からは微かな笑い声が降ってきた。
「じゃあ、わたしと半分こするかい」
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