マガジンのカバー画像

連載小説・海のなか

53
とある夏の日、少女は海の底にて美しい少年と出会う。愛と執着の境目を描く群像劇。
運営しているクリエイター

#海

小説・海のなか(34)

小説・海のなか(34)

***

もう何度目かの物思いから回復すると、あたりは薄暮だった。つい先程までははっきりと見てとれた物の輪郭が一気に崩れ薄闇へ溶けようとしている。一瞬、自分の視力ががくんと落ちたかのような錯覚に襲われた。刻一刻と世界は曖昧さの度合いを強めていく。ふと、このまま盲目になってしまえたら、と思った。知らないということがどれほど幸福なことなのか、見えていないということがどれほど幸福なことなのか、わたしには

もっとみる
小説・「海のなか」(29)

小説・「海のなか」(29)

***
夢に出てきたと思しきそこは、海の見える窓際の席だった。その夕暮れ、マキノのアイスクリーム屋を訪れたのは、夢が忘れがたかったからだった。窓辺から見える景色の真ん中には青い帯が遠く揺らめいていた。わたしの正面にはもう一人分の空席がある。あの夢では埋まっていた席。そこにいくら目を凝らしても、何か像を結ぶことはなかった。ただ、気配だけが凝集し、何かを為そうとしている。記憶の裏側を、無遠慮に引っ掻か

もっとみる
小説・「海のなか」(27)

小説・「海のなか」(27)

第八章  「夢中と現実」

瞼が上がると、「ああ、これは夢だな」という冷めた自覚が生まれた。飽きるほど繰り返した夢だった。
 夢の中で、わたしの胸は締め付けられるように苦しい。目の前には残酷なほど美しいブルーが広がっている。口から吐き出された水泡がゆらゆらと漂うのを目で追った。
 青と再会したあの日から、毎夜海に溺れる夢を見た。いつも同じ夢だ。そして、苦しい夢だった。
 夢は夜毎妙な生々しさを伴っ

もっとみる
小説・「海のなか」(26)

小説・「海のなか」(26)

***


 今宵も13年前のあの日のことを語らなければならない。忘れないために。そして、叶えるために。
 13年前、あなたはあの子を抱えてここに降り立った。あの時の光景は今でも色鮮やかだ。時を切り取り保存する術があるなら、きっとそうしたことだろう。
 あの日よりもずっと前から、私はここに存在していたはずだ。それなのに、それ以前の記憶は曖昧で灰色の濃淡が敷き詰められたように漫然としている。あの瞬

もっとみる
小説・「海のなか」(25)

小説・「海のなか」(25)

 付き合い始めたからといって、ほとんど変化はなかった。変わったことといえば、必ず待ち合わせて帰るようになったこと。それから時々手を繋ぐようになったこと。それだけだ。付き合っていると見せかけるために必要なことだった。
 行為に意味などない。そう言い聞かせていても、心が揺れてしまう時が殊更辛かった。愛花との関係が偽りだと痛感してしまって。
 時折愛花の何かもの言いたげな視線を感じたが、無視し続けた。曖

もっとみる
小説・「海のなか」(24)

小説・「海のなか」(24)

***

もう秋になり始めた頃のことだった。秋といってもまだまだ残暑は厳しい。言い訳のように頭上では鱗雲が透き通り、もう秋だと主張していた。
 放課後を俺はまた愛花と過ごしていた。この頃は帰りが一緒になると、アイスを交互に奢るのが習慣になっていた。涼しい店内に人は少ない。昔からある有名な店だが、テイクアウトして外で食べるのが主流なせいかもしれない。奥の席を選べば、話を聞かれる心配もない。俺たちに

もっとみる
小説・海のなか(22)

小説・海のなか(22)

第七章  「追憶」


 愛花と出会った時から、きっともう手遅れだった気がする。
 今から思えばあれが、一目惚れというやつだったのかもしれない。もう昔すぎてよくは覚えてない。けれど、いくつかの場面が断片的に焼き付いている。特に、中一のあの瞬間のことだけはやけに鮮明で今でもくっきりと思い出すことができた。愛花を初めて目にした瞬間の印象。
 あいつの笑ったうっすらと赤い口元とか。綺麗な、そのくせ人を

もっとみる
小説・「海のなか」まとめ 4

小説・「海のなか」まとめ 4

どうも。クロミミです。


今回は連載小説「海のなか」の(18)から(21)をざっくりとまとめていきます。お付き合いください。


いやはや。いつぞやこれからは更新頻度あげますとかのたまったアホはどこでしょう。ここです。


ほんまに有言実行のかけらもねえクソ野郎ですな。ほんま恥ずいわー。


というわけでいつも通り更新頻度ゴミなので、忘れた人も多いと思います。


実はひっそり最新話を

もっとみる
小説・「海のなか」(21)

小説・「海のなか」(21)

***


 座っているのにそれより深く、落ちて行くような感覚だった。わたしを支えるものが消えてしまった。
 図書室はいつも静かだ。わたしの知る人は、誰も来ない。だからここにいる。いつだってそうだった。わたしの中では人恋しさと孤独への欲求が並び立っている。誰にも必要とされていないから。窓から見下ろすと、遥か下に空虚な校庭が広がっている。その空白さえもが胸をざわつかせた。顔を上げると、微かに海の端

もっとみる
小説・「海のなか」まとめ(3)

小説・「海のなか」まとめ(3)

どうも。クロミミです。
さてこのまとめ記事もとうとう三回目。
先日19回目の更新をいたしました連載小説「海のなか」。

てか、更新のたびに文字数の違いエグくてごめんなさい。特に多くなってしまった時は、気がついたら6000字近かった。だって話の区切りがなかったんだもんよ。出来るだけ1500から2000をひとつの回として更新したいものよと思っておる次第。

キャラクター解説については前回のまとめ2で

もっとみる
小説・海のなか(18)

小説・海のなか(18)

***

 教室を出るとともに、また俺は囚われてしまった。
 あの問題。未来という問題。
考えたくないと思えば思うほど逃れられなくなる。泥濘に足を取られ、はまり込んでゆく。もう誰のせいにもできない。逃げていた俺が悪い。空っぽな俺が。別に逃げ続けられるとたかを括っていたわけじゃない。
何も考えていなかった。ただ、それだけ。
 これからどうするのか。どうすべきか。どうなるのか。
 もし問いかけたな

もっとみる
小説・海のなか(17)

小説・海のなか(17)

※※※

 こういうことは苦手だ。俺は再確認する様に噛み締めた。我ながら、とことん裏方気質というか。こういうことはきっと佐々木なんかに向いているに違いない。けれど、悔いてももう遅い。断りきれなかった俺が悪い。クラスメイトに少し抜けると伝えたら、この看板を押し付けられてしまった。
「ホットドッグ〜、ホットドッグはいかがですか〜2年B組のホットドッグ。中央広場にてやってまーす」
 お決まりの台詞を口

もっとみる
小説・海のなか(6)

小説・海のなか(6)

***
 駅前の寂れた商店街をまっすぐに抜け、小さなトンネルを潜ると坂の上に市立図書館が現れる。濃い樹木の緑に石壁の白が夏の光に照らされて映えている。坂の下から図書館を見上げるのが好きだった。ふとした瞬間にずっと見つめてしまう。特別美しいわけでもないのに。この白く鈍い輝きをいつまでも焼き付けていたいと思う。坂の多いこの町の中でも一際高い場所に建てられたこの建物は遠くからでもよく見えた。いつも意識の

もっとみる
海のなか(5)

海のなか(5)

前話はこちら。





***


 閑散とした駅を後にして、気がつくとわたしは歩き出していた。その感覚は自ら歩いているというより、誰かに導かれて、という感じだった。考えなくても勝手に身体が動いていく。未知の感覚に全神経が集中していた。心地よさがいつのまにか胸を満たしている。こんなふうにつれてきてもらったことがある気がする。誰かに手を引かれて、ずっと昔に。
 不思議な声は海に近づくにつれ

もっとみる