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連載小説・海のなか

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とある夏の日、少女は海の底にて美しい少年と出会う。愛と執着の境目を描く群像劇。
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#恋

小説・海のなか(41)

小説・海のなか(41)

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 あの日から毎日気がつけば境内に腰を下ろしていた。なぜかそうしているだけで息をするのが楽になる。不思議な心地だった。相変わらずすることはなかったけれど、心は穏やかだった。わたしの目は気がつくと石段の方を眺めている。そこから聞こえてくるはずの足音はいつでもはっきりと蘇ってきた。息遣いまで聞こえてきそうなほど…。
 なぜここまで夕暮れを心待ちにしているのだろう。待つのは辛くなかった。なぜか彼

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小説・「海のなか」(26)

小説・「海のなか」(26)

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 今宵も13年前のあの日のことを語らなければならない。忘れないために。そして、叶えるために。
 13年前、あなたはあの子を抱えてここに降り立った。あの時の光景は今でも色鮮やかだ。時を切り取り保存する術があるなら、きっとそうしたことだろう。
 あの日よりもずっと前から、私はここに存在していたはずだ。それなのに、それ以前の記憶は曖昧で灰色の濃淡が敷き詰められたように漫然としている。あの瞬

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小説・「海のなか」(25)

小説・「海のなか」(25)

 付き合い始めたからといって、ほとんど変化はなかった。変わったことといえば、必ず待ち合わせて帰るようになったこと。それから時々手を繋ぐようになったこと。それだけだ。付き合っていると見せかけるために必要なことだった。
 行為に意味などない。そう言い聞かせていても、心が揺れてしまう時が殊更辛かった。愛花との関係が偽りだと痛感してしまって。
 時折愛花の何かもの言いたげな視線を感じたが、無視し続けた。曖

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小説・海のなか(22)

小説・海のなか(22)

第七章  「追憶」


 愛花と出会った時から、きっともう手遅れだった気がする。
 今から思えばあれが、一目惚れというやつだったのかもしれない。もう昔すぎてよくは覚えてない。けれど、いくつかの場面が断片的に焼き付いている。特に、中一のあの瞬間のことだけはやけに鮮明で今でもくっきりと思い出すことができた。愛花を初めて目にした瞬間の印象。
 あいつの笑ったうっすらと赤い口元とか。綺麗な、そのくせ人を

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