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夏の冬眠

 7月の4連休も、8月の連休もただひたすらに家にひきこもった。引きこもる事が良しとされる世界、正当化される世界。どちらかといえば引きこもり体質の自分にとっては自分の生活が肯定された感じもあり最初は抵抗はなかった。最初は。

 テレビで流れる映像。ネットで呟かれる言葉。毎日夕方にLINEで知らされる数字。

 カーテンを開ければ広がる青空。夏らしい濃い青。夏らしい入道雲。突然あたりが暗くなって窓を打ち付ける雨。そして雨と一緒にたまにやってくる雷。カーテンの内側の箱にいる私も、徐々に薄着になり、温かい飲み物よりも冷たい飲み物を欲し、冷房なしでは何もしていなくても汗だくになるようになった。バーベキューをしなくても、花火を見なくても、満席で予約が取れない新幹線がなくても、ただ室内にいるだけでも感じる夏。

 最初の肯定された気持ちはどこへやら、最近は手元にあったものを奪われたと感じるようになっていた。周囲を見ると特に気にせず外出していたり、複数人で楽しんで充実した時間を過ごしたりしている姿をスマホ経由で知る日々。それに対して「羨ましい」という感情よりももっとグツグツとした感情が湧くようになってしまった。いつの間にか「納得した上で我慢をしている」から「納得できずに我慢させられている」と感じるようになった。

 これ以上グツグツした感情が沸かないように、ないものねだりをしないように、もう一度今の生活を見直そうと思った。「周りが楽しそうなのに自分はただ息を吸って吐いているだけの生活=不幸」なんてことはない。だからといってこの我慢が必ず報われるとも思っていない。いつの日か「やっぱりあの2,3年のせいで○○できなかった、最悪」と思うこともあるかもしれない。未来の自分がこの状況をどう捉えるかは未来の自分しかわからないけれど、今の自分にとってはここまで時間に余裕を持って自分としっかり向き合うチャンスは今後ないと徐々に思えるようになった。

 引きこもり生活から開放される日、この冬眠から目覚めたとき、私は何に向かって一歩を踏み出すだろうか。その時、万全のコンディションでいられるよう、今は冷房がガンガン効いた部屋でタオルケットにくるまりながら自分と対話をしていこうと思った2021夏。

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