マジカル・マジック…… その35
世界は『そういうこと』で満ちている。
普段はお母さんお父さんと呼び合っている両親が歩のいないところでは名前で呼び合っていることや、同級生が初見で軽々こなす逆上がりを歩がどれだけ練習してもできなかったことや、いつの頃からか彩のことを考えると胸が苦しくなるようになったことや、情報の授業で最初から入っているはずのフォルダが歩の端末にだけ入っていなかったことや、今回こそは真面目に勉強しようと思っても気が付いたらマジマリのことばっかり考えていたことや、そもそも歩自身がこの世に存在していることだとか、理由はよくわからないけれど『そういうこと』になっているのだ。
もちろん現在の歩は子供ができる過程のことを知識として知ってはいるけれど、そこに歩が自分だと認識している意思が存在している理由なんてものまではわからない。たぶん誰にも。
最近は多様性だとかいって、真理を探究する偉い人だけでなくいろんな人が『そういうこと』について考える風潮も出てきたけれど、歩自身はそんな問題について深く考えたことはなかった。
ブルーレイ・ディスクから人が出てくる。
この現象ももはや、歩の中では『そういうこと』に過ぎなかった。
今、目の前に現れた男のことをもちろん歩は知っている。
灰塚サイキ。
世界征服を目論む秘密結社『ブリゴーン』幹部にして虹谷マリカの(自称)宿敵であり、クラスメイトだった。真っ白な学ランに包まれた183cmの長身に昭和の二枚目といった感じの風貌は、いざ目の前に立ってみるとマリカとはまた違った意味で緊張する。
「あの……」
なんて声をかけるのが正解なのか。歩の脳が久しぶりにフル稼働する。
――どちら様ですか?
マリカへも使った第一声だが、これは適当でないだろう。もちろん誰だかは知っているし、本人であることも疑っていないのだ。
――何の御用ですか?
これもよくない。暗に邪魔だから早く帰れと言っているように聞こえてしまう。意図としてはまったく間違いでないのだが気を悪くさせても面倒だ。
「ククククク……」
歩の悩みを余所に、灰塚サイキが口をおさえて笑い始めた。ああ、やっぱり劇中と同じ笑い方なんだなどと場違いなことを考えてしまう。
「ついに見つけたぞ……」
そこまで言うと歩の後ろを指さし、大きく口を開いた。
「虹谷マリ――」
「キャノン」
此の国に知らぬものはない戯画より顕現した御業による奇跡の軌跡は今宵、再び一筋の光となって空へと昇って行った。人生三度目となる衝撃に歩の鼓膜もさすがに慣れたのか、「エリカも詰めが甘い……」というマリカの呟きが確かに聞こえた。そういう問題だろうか。
まあ『そういうこと』なのだろう。
ふうっと息を吐き、ベッドに身を投げ出す。天井に空いた穴を見つめると、マリカと初めて会った日のことを思い出した。
「今夜は月が出ていないみたいだね」
「そうだね」
マリカの方を見ると、珍しく肩で息をしていた。顔も赤い。
「大丈夫?」
「大丈夫。だけど、今日はもう寝ようか。アイツもしばらくは動けないだろうし」
「……うん」
大丈夫どころかどう見てもこれまでで初めての動揺ぶりであった。でもまあ、原因はわかりきっているし、歩ができることもない。確かにもう寝るのが正解だろう。というか本来心配しなくてはならないのは空中要塞を一撃で沈めるマジカル・マジック・キャノンの直撃を受けた灰塚サイキの方なのだが、劇中でも何度か直撃を受けてぴんぴんしていたから大丈夫なのだろう。たぶん。
目を瞑り、この先の夏休みの日々に思いを馳せる。マリカが来てから歩の生活はずいぶん変わった。これからどう変わっていくのだろうか。歩の生活も、歩自身も。
「そういえば、ブルーレイ・ディスク、またダメになっちゃったかなあ」
「ほんと、迷惑な話だね」
マリカが大げさに息を吐いてみせる。釈然としないものを感じながらも、次第に歩の意識は遠のいていった。
※以下休止中
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