【短編小説】祖母とミコト
これからの時代は男も女も強くなくては生きていけない。
それが口癖だった祖母には、ジュードーだとかケンドーだとかありとあらゆる格闘技を教え込まれた。
「ユカリ、立ちなさい」
疲れ果てて仰向けに倒れ込んだ私を見下ろす祖母の目を覚えている。弱っている孫に対する愛情が一切感じとれない、冷たい目。
「ほんとにだらしない。苦労を知らないからだよ」
そうして祖母が昔したという苦労をとうとうと聞かされるのが常だった。今思い返すと年寄りのありがちな愚痴なのだが、当時の私にはすごいことのように聞こえていた。
そして最後には決まってこう言うのだ。
「もう動けないと思ってからが本番なんだよ」
そんな祖母が眠るように息を引き取ったのは、寝たきりになって半年後のことだった。
ミコトが動き出したのは、そのさらに数日後だった。
中学に上がる頃にはもう、私が祖母に負けることはなくなっていた。私が強くなったのと、祖母が弱くなったのと、たぶん、半々くらい。祖母に見下ろされることはなくなったけれど、あの視線がなくなったわけではなかった。祖母はいつも、私を見下ろしていたのと同じ目でミコトを見つめていたのだ。
フジヤマという、この島で一番大きな山が噴火したのが始まりだったという。大地は割れ、火山弾が降り注ぎ、溶岩が襲い掛かる。やがて島に大きな嵐がきた。嵐は地上のありとあらゆるものを洗い流し、多くの人命と文明が失われた。
もはや外界がどうなっているのかはわからない。少なくとも外部から絶えず供給される低気圧が干渉し合い、一か所に留まり続けているのは確かだった。いつの間にかそれはミコトと呼ばれるようになった。
私たちは、ミコトの目の中で生き続けた。
街は既に閑散としていた。ミコトは時速4km程度で南西に進んでいるらしい。ゆったりした散歩のようなペースだ。彼女も、久しぶりの外出を楽しんでいるのだろうか。
卒業以来、十年振りに訪れた中学校の校門は開きっぱなしだった。もう誰も残っていないようだ。校庭の隅にあるスピーカーからは、地下避難所へと誘導する放送だけが延々と流れている。私は校庭の真ん中に座り込み、目を瞑った。
かつて、私を見下ろしていた祖母の目を思い出す。それと同じ目で、百年以上同じ場所に留まり続けていたミコトを、祖母はどんな気持ちで見つめていたのだろう。
やがて、放送を聞かなくともミコトの息遣いが感じられるようになってきた。ゆっくりと立ち上がり、目を開く。
それは壁だった。壁となったミコトが街を消し去りながら近づいてくる。私は両腕を広げた。
――もう動けないと思ってからが本番なんだよ。
かつてそう言われ、立ち上がった私に祖母がかけた言葉。
「よく頑張ったね」
避難所への誘導を告げる放送が、途切れた。