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マジカル・マジック…… その29

歩の指は、虹谷マリカと寸分たがわぬ軌跡を描き続けた。しかしその指が魔法を発動することはついになく、1272種の魔法を唱え終えた歩はベッドに倒れ込んだ。

歩の心に徒労感だけを残し、部屋に静寂が訪れた。

自分の人生みたいだ。歩の口元が自嘲的に歪む。

何百時間か、あるいは何千時間だろうか。在りし日の歩が魔法の練習に費やした時間は。その成果としてマジカル・マジック・マリカにこれまで登場した1273種の魔法を歩は空で唱えられる。もちろん、効果もすべて把握して。

「バカだろ、こんなことに時間浪費して」

今回、歩が唱えていない魔法はただ一つ。

秘密結社『ブリゴーン』がその総力を挙げて作り上げた巨大兵器も、狂信者により復活させられた古の遺伝子怪獣も、一千万光年の彼方からはるばる地球侵略にやってきた宇宙戦艦も、すべてを一撃で葬り去った虹谷マリカの必殺技。

マジカル・マジック・キャノン。

その圧倒的な力をもって進む道を切り開く、虹谷マリカを象徴する極大魔法。歩が最も憧れ、使いたかった魔法。

見切りをつけてしまおうと思った。最後の一つを唱え、不発に終わり、自分の人生も無駄だったのだと。でも、唱えることはできなかった。もうどうでもいいと思っていたはずなのに。

マリカがこの部屋に現れた日のことを思い出す。目の前の少女を偽物だと疑う歩に、マジカル・マジック・キャノンを放ってみせたのだ。天井にぽっかりと空いた穴から見えた月が綺麗だった。

こっちの世界に現われた虹谷マリカは、その後も虹谷マリカだった。長年夢を見てきた歩に一切の失望を与えることなく、虹谷マリカであり続けた。だけどそれは、歩が元々ばくぜんとわきまえていたはずの現実を、いやおうなしに突き付けられることでもあった。

しかし現実は何も変わっていない。変わるはずがない。むしろ……

歩が立ち上がる。もう二度と立ち上がれないかもしれない。さっきはそう思ったのに、意外なほど身体は動いた。

部屋を出て、二階の廊下のつき当たり、いつの間にか取り付けられていたファンシーなドアを叩く。

返事はない。

怒っているのだろうか。それでも仕方ない。それだけのことを自分は言ってしまった。

「マリカさん、入るよ」

ドアを開けた先の部屋は「虹谷マリカの部屋」だった。つまり、歩が何度となく見てきたマジマリの世界で魔法少女虹谷マリカが暮らしている部屋だった。まったく同じ部屋を作ったのかあっちの世界の部屋に直接つながっているのかはわからないけれど。その部屋に自ら足を踏み入れるのは初めてのはずなのに、まったく違和感がなかった。まるで、長年離れていた故郷に戻ってきたかのように。

マリカは学校から帰ってきたスーツ姿のまま机の椅子に腰かけていた。マリカがゆっくりと歩の方に目を向ける。その目に感情はなかった。少なくとも、歩が感情を読み取ることはできなかった。

たぶん実際には五秒か十秒、でも歩には永遠とも感じられる時間、二人は無言で見つめ合った。

歩なりに決意を胸にやってきたつもりだった。でも、いざマリカの目を見るとその言葉を外へと出すことできなかった。まるで、膨らんだ心臓に引っかかったように。

――彩はすごく勇気を出した。自分の気持ちを相手に伝えるのは怖かったと思うよ。笑われるかもしれない。気味悪がられるかもしれない。

マリカの声が頭をよぎる。ほんとうに怖い。だいたい、こんなことを今さら言う必要なんてあるのか? マリカさんだってずっと僕を見ていたらしいじゃないか。言わなくてもわかりきっているだろ?

――わからないよ。言ってくれなきゃ。

大きく息を吸って吐く。少しだけ、胸のつかえがとれた気がした。

「僕、マリカさんのことが好きだったんだ」

マリカが目を丸くする。

それも、歩の見たことがない表情だった。

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