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マジカル・マジック…… その27

きっかけは何だったのか。

怒りと憎悪と悲しみと、安堵と歓喜と爽快と、惜別と喪失と脱力と、正負濃淡強弱入り混じる感情に翻弄された歩の思考は、やがて父の転勤へと行きついた。

転勤による転校がなければ、彩と疎遠になってしまうことも、他人と話すことに臆病となることもなかったのだ。朝礼で彩に話しかけられたときにもっと気の利いたことも言えたかもしれないし、ドッジボールで彩を守ったのは自分だったかもしれない。遊園地では男らしくリードできたかもしれないし、山林と付き合い始めたと聞いたところで構わず告白だってできたかもしれない。

そんないたかもしれない自分を想像する。

彩と付き合い始め、今度は二人きりでネエ・シヨランドへデートに向かう。観覧車に隣あって座り、遠くに見える自分たちの住む街について語り合う。そしてゴンドラが頂点に達する頃、二人は身体を寄せ合い……。

だが、歩がどれだけ頑張って想像してみても、その中にいるのは自分と思えなかった。

一色歩とは自分の要求を通らせるためならば一週間は泣き続け両親を困らせようと転校先に馴染もうともせず周囲の人間を田舎者と見下すことで自我を保ちそれでいて同級生から拒絶されれば傷ついてやっと故郷に戻れることになったらなったでせっかく馴染めたのにと両親に不満を漏らし長い年月を経て同じクラスになれた幼馴染とも距離を縮めようとせず学校で考えていることの九割は眠いだるい嫌だ早く帰りたいで占められており成績も中の下いやせいぜい下の上といったところでそれでいて恋する幼馴染がいる自分は他の奴らと比べてマシだと思っているような人間である。

一言で、クズ。

父親の転勤は確かにきっかけだった。しかしきっかけに過ぎなかったのだ。それがなかったところで、結局のところ一色歩は今のような人間に収束していたに違いない。

――生きてる意味あるのかよ、お前。

歩の中の歩が問いかける。

つまらない。あまりにこの世はつまらない。歳を重ねるほどその実感は深まった。

自分の人生の先に待っているであろう要素、ジュケンシュウショクガクレキネンシュウケッコンシアワセナカテイ。その一つ一つを想像するたびあまりの凡庸さと退屈さに吐き気がこみ上げてくる。運よく別の分野で成功を収めたところで少し有名になれば凡人の妬み嫉みに晒されそいつらの慰みの道具としてぼろ雑巾のように消費されて消えていくのだ。

そして避けようのない結末、死。

人生にリセットボタンはついていないが電源ボタンはついている。そんなことを言った人間がいるらしいが、そのボタンはあまりに重い。押す覚悟すら持てない者はだらだらと生きながらえ、貴重な資源を浪費し白や黒の汚物を垂れ流す。

そんなクズがすがった世界。『マジカル・マジック・マリカ』。

虹谷マリカは数えきれない人間を助けてきた正義の魔法少女。地球を救ったことも一度や二度ではない。その偉業を可能にしたのは不思議な不思議な魔法の数々。彼女が宙に文字を描けば、それが魔法の合図。どんな強大な敵もイチコロだ。


自分は行きたかったのだろうか。あの世界に。

――だから、いま私が考えていることは、たぶん歩と同じこと

行けば、幸せになれると思っていたのだろうか。

――私、なんのために生まれてきたんだろ。

部屋を出ていくときのマリカの顔を思い出す。歩が一度も見たことのない表情だった。控えめながらも確かな自信に満ちていた、数えきれない人間を助けてきた虹谷マリカが初めて見せる表情。それが向けられた先にいたのは歩である。その意味するところはつまり――

虹谷マリカは一色歩を救えない。

「まあ、そうだよな」

沈み切った心には静寂が訪れ、深い納得と共に微笑が漏れる。

「マジカル・マジック……」

歩はそう言うと、自身の人差し指をマリカと寸分たがわぬ軌跡で動かし始めた。

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