13. キリスト神話の方法(8)もう一人のイエス(下)

題:キリスト神話の方法(8)もう一人のイエス(下)

 エルサレムの滅亡を予告した福音書のイエスは、ローマ総督によって処刑されます。同じくエルサレムを呪った『ユダヤ戦記』のイエスは、ローマ総督によって恩赦されます。しかし彼は呪いをかけることを辞めず、死ぬまでそれを繰り返します。

 イエススは連日自分を鞭打つ者を呪いもせず、また食べ物を恵んでくれる者を祝福もしなかった。男はすべての人にあの薄気味悪い呪いの言葉を口にするだけだった。とくに祭ともなれば、一段と声を張り上げて叫んだ。こうしてイエススは七年と五か月、相変わらずの調子で、倦むことなく嘆きの声を上げつづけた。(『ユダヤ戦記』6. 307-308、秦剛平訳)

 福音書のイエスも、過越祭の時期にエルサレムに乗り込み、エルサレムの滅亡を予告しています。その筋書きはおそらく『ユダヤ戦記』の田舎者イエスの物語を基にしているのではないかと思われます。それはパウロ書簡が知らなかった物語です。
 『ユダヤ戦記』のイエスはユダヤ戦争の最中に死にます。

 しかし、都が包囲されて呪いの言葉が成就されたのを見ると安息を得た。というのも、そのときイエススが、最後に「そしてわたしにも呪いを!」と口にしたとき、投石機から発射された石弾が命中して即死したからである。こうしてイエススは、呪いの言葉をまだ口の端にのせながら、その命を解き放ったのである。(『ユダヤ戦記』6. 308-309)

 最古のイエス伝である『マルコ福音書』は、ユダヤ戦争の後に書かれたと思われます。その時に同書が参考にしたのは、すでに成立していた、パウロ書簡的なキリスト神話と、『ユダヤ戦記』のイエス物語だったと私は考えます。

 パウロ書簡的キリスト神話だけでは、イエス伝は書けません。キリスト神話には、エルサレムに乗り込むイエスは登場しないからです。それだけでなく、一人の人間として地上を生きたイエスという像もそこには反映されていません。なぜならキリスト神話が流通していた頃にはまだ、そのような伝記が発明されていなかったからです。

■まとめ
 パウロ書簡的キリスト神話をすでに知っていたマルコ福音書は、それにユダヤ戦争にまつわるエピソードを追加し、生き生きとした人間イエス伝を作り上げます。エルサレムで処刑されるイエス、というネタはその最たるものでしょう。
 『ユダヤ戦記』のイエスは、キリスト神話のモデルにはなれず、パウロ書簡に影響を与えることはありませんでしたが、マルコ福音書的に採用され、めでたくイエス神話の構成要素となることができたのだと思います。
 以上の見方は、キリスト教歴史家や聖書学者たちにとっては、とうてい受け入れられないものでしょうが、先入観なしにさまざまな文書を比較して読んでみると、あり得ないことではないと思えます。

2021/01/24
作:Bangio

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