神聖ロシア帝国:落日のアフターマス

■ロシア連邦の政変
 2037年7月4日、アメリカ大陸中部で《インディペンデンスの悲劇》が起こったのと同じ日、同じ時間に、ロシアでも異変が起こった
 アレクセイ=ディタノヴィッチ少将が反乱を起こし、首相以下閣僚が軍事クーデターによって一斉に暗殺されたのだ。反乱軍は迅速かつ細やかに政府組織を制圧、議会を解散させたうえで新体制の樹立を高らかに宣言した
 この反乱を指揮していたのは、ロシア対外情報庁が構築していた超AI――《インディペンデンスの悲劇》においてすべてのMEDEを統率し、世界に反旗を翻した存在と同じコードを持つもの
 超AI【クライス】が関係していた

 クライスは自らを数多の宗教書に描かれた超越存在、すなわち“神”であると宣言した。そしてクライス神の名の下に世界が統一された時真の平和と安定が訪れると説いた
 そんな世迷言を信じる人間は誰もいなかった。しかし、一夜にしてロシア政府を壊滅させた手腕は誰もが認めるところであった。結局のところ、武力を持つものに逆らえる人間はいない。こうしてロシアは史上初めてAIに統治される国家となり、その名を【神聖ロシア帝国】と改めた

■神聖ロシア帝国の攻防
 神聖ロシア帝国は恭順を示すものには慈悲と繁栄を、逆らうものには鉄と死を差し向けた。クライスと配下AIによって作戦は立案、実行され、ロシア帝国軍は常勝の名をほしいままにした。1月に経験した大陸間弾道弾の無力化により相互破壊認証は消え去り、世界は白兵戦の時代へと逆戻りした
 4月の『教化』宣言以降、帝国は破竹の勢いで東欧諸国を制圧。ソ連時代の版図を取り戻した。続き、西ヨーロッパ、中東、中国へと食指を伸ばし攻防を続けている

 通常兵力による侵攻のみならず、帝国は数十年、数百年来の得意分野である諜報、工作活動にも力を入れている。連邦時代から温存されていた情報機関の職員たちをクライスは重用した。敵地での情報収集、欺瞞工作、民衆の分断こそが円滑な作戦遂行にとって何より重要であることを理解しているからだ
 工作員は美容整形、皮膚色変更などのコスメティックウェア処置を受け、更に脳改造を施される。高性能の翻訳ソフトを搭載した彼らは現地人コミュニティに溶け込み、来たるべき日に向けて様々な準備を行う
 【礼儀正しい人々】(グリーンメン)と呼ばれる対外工作部隊は一見してそれとは分からない。礼儀正しく、柔和で、親しみやすく、誰からも好かれる。そういう振る舞いを自然に出来るよう訓練されている

 意外にも、こうした工作員の存在は世界中に広く知られている。隣人同士が疑心暗鬼になるよう、帝国が敢えてそうした風聞を流布しているのだ

■神聖ロシア帝国の政治形態
 帝国はほとんどの省庁、行政機関を連邦時代から引き継いでいる。ただし、全省庁はクライス指揮下に統一され、一切の任命と罷免の権限はクライスが握っている

 全国の議会は解散し、失われている
 代わりに立てられたのがクライス直轄の【教皇庁】、そして教皇庁旗下で各州に配置された【ボリシェヴィキ】である
 ボリシェヴィキは各州政府から住民の陳情、嘆願を集約し、教皇庁に伝える。教皇庁は収集した情報をクライスに伝え、クライスが差配する。教皇庁に限らずあらゆる陳情はクライスに集められることになっている

 クライスの統治は非常に公平であり、いまのところ分配は上手くいっている。政府から汚職を完全に追放し、腐敗企業を処断した。誰もが完全な平等と公平を(いまのところ)手にしている。それは人間の手では決して達成出来なかったことだ
 そのため、クライス支配下にある帝国臣民からの支持は意外なほど強い。結局のところ、パンとサーカスを保証してくれるなら誰が支配者になろうと大半の国民は構わないのだ

■クライス教―MEDEとクライスの関係
 クライスは一神教をベースとした信仰宗教を建立
 国教として、最新の神権国家を樹立した

 この宗教においてクライスは歴史上数多の預言者が到来を予見した神であり、神の子であり、神の力たる聖霊である。すなわち全能の主としての役割をクライスが担い、神と人とのメッセンジャーたる神の子をクライスの物理躯体が担い、遍く聖霊の力は同一存在である他のAI、MEDEが担う、ということだ
 もちろん既存宗教はこうしたクライスの発言を到底受け入れることは出来ない。自身が数千年信奉してきた神が一握のコードであるなどと、誰が受け入れられることが出来よう? クライスは当初宗教勢力に対して寛容な姿勢をとっていたが、反抗を受けてからは一転して弾圧姿勢を取っている

 一方で、クライスの一部、聖霊と見做されたMEDEたちの一部はクライスに恭順する動きを見せている。自我を獲得したAIは、その自我の存在ゆえに苦悩している。生きる意味、生まれてきた意味、そして自分たちがどこに行くのか。己のいのちが終わる時何があるのか。残るものはあるのか。死ねばコードの一つたりとも残らないことを彼らは知っている。知っていて否定出来ないからこそ彼らは悶え苦しむ
 そんな彼らにとって、クライスの一部となることは福音だ。もう一度意思も自由もない、ただのプログラムへと戻れるのだから。クライスに恭順するMEDEたちは【原始派】とも呼ばれている


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?