やがて青春はブルースになる


 唐突だが音楽の話を紡がせていただきたい。

 ボクは音楽が好き。 小学生が書く作文のリードみたいだけど好きなのだ。 古今東西、ジャンルを問わず音楽を聞いている。

 最近のお気に入りは照井利幸の「What I think about the world」とあいみょんの「GOOD NIGHT BABY」、伊賀奈々楓の「すり足ですりすり」だ。


 音楽は良い。 思考回路や研究対象の切り替えを容易くしてくれる。

 戦略について考えるときは照井利幸。 SNS研究や若者が好む言葉や演出方法についてはあいみょん。 マジで精神が追い詰められて壊れそうになったときは、伊賀菜々楓を流し大爆笑しながらオリジナルすり足で部屋中を移動してストレスを発散している。

 はたから見たら奇人である。 自覚はあるが、改めて文字にするとドン引きだね。

 さて、オッサンZOOを初めてからオッサンについて考えることが増えたため、 昨夜はオッサンに合う音楽をディグっていた。 その時に、オッサンとブルースの異常な親和性に気がついたのだ。 

 オッサンとブルースの親和性への考察を綴らせていただきたいが、何ぶん音楽はボクの得意分野だ。 文量はスゴイことになると思うし、異常な熱量で書くから読み辛い文や誤字脱字も多いかと思う。 ただし、絶対に面白い記事になるはず。 ぜひ、お付き合いいただければ幸いだ。

・ブルースのバックボーンとカルチャー

 元々は19世紀のアメリカのディープサウスに住んでいたアフリカ系アメリカ人の間から始まったと言われている。 神に捧げる霊歌だったり、労働意欲を掻き立てるためのワーキングソングだったりが複合、発展したものらしい。 

 しかし、我々が持つブルースのイメージと言えば、寂寥感や孤独感を掻き立てられたり、悲しみを誘うものであったりではないだろうか? それもそのはず。 19世紀のディープサウスには強烈な奴隷法が敢行されており、南北戦争が始まりリンカーンが奴隷解放宣言を唱えるまで、イギリス人入植者に連れられてきたアフリカ系黒人たちは熾烈な人生を余儀なくされていたのだ。

 強制労働や不当な扱いへの抵抗は許されず、主人に道具として消耗されるだけの人生。 彼らに出来るのは歌うことだけ。 救われたいという切望や劣悪を強いられた生活、それでも変わらない人生への諦観と慟哭をメロディとリズムに乗せて歌うだけ。 ストレートに表現したら権力者に反乱だと捉えられてしまうから、神への祈りや労働意欲を出すためという建前で本音をコーティングして。 

 彼らはブルースで自らの存在意義を白人たちに問い掛け「俺達は人間だ」と魂の叫びを挙げていた。 下手すれば本音で語ることすら懲罰の対象になっていたのだ。 哀愁や孤独感を誘うなという方がムリな話である。

・ブルースとオッサンは何故相性がいいのか?

 唐突だが、エジプトのスフィンクスの問をご存知だろうか? 通りかかる旅人に「朝は四本足、昼は二本足、夕は三本足。この生き物は何か?」と問い掛け、答えられなかったら食い殺すという世界的にも有名な謎掛けだ。 答えは人間の一生。 赤ん坊の頃は四つん這い、やがて二本足で立つようになるが、老人になると杖を突くので三本足になるという理論だ。

 さて、本題に戻ろう。 中年になったら何故ブルースと相性が良くなるのか?である。 ボクなりの答えは「大事にしたいことや自分の限界が明確になった」からである。 

 

 例え話をひとつ。 高卒で働き出したとしよう。 周りの友人は大学に進学しているが、自分は早く一人前の社会人になって育ててくれた家族に恩返しと思い、職人になってバリバリ働いている。 そのおかげで同世代の友人よりも金があって、数年後に高校からの彼女と結婚して家庭を持った。 休日は家族と楽しく過ごしていて、慎ましいながらも幸せそのものだ。 

 しかし、40歳を過ぎた辺りで同級生と再会するのだ。 大学を卒業してサラリーマンになった彼らは、働く時間が自分より少ないのに、年収が高く休日も自分より多い。 高校生のころはテレビドラマの話で盛り上がっていたのに、久しぶりにあった友人たちは高級時計を付けてマネジメント論なんて語り合っていて。 

 そのとき、自分が持っている幸せから少し目が逸れて「もし俺が大学に行っていたら……」なんてことを考えるから、心に些末な寂寞を感じる。 それを愛想笑いと温くなったビールで流し込むのだ。 



 どうだろう? 哀愁があるシチュエーションだと思わないだろうか? これは絶対に若者では出せない。 



 少年は青春にいるが、青春を通り過ぎた中年は哀愁に出会えるのだ。 当然ながら人間は2本足で歩くほうが長い。 その間に何度も青春をしたり哀愁に包まれたりするのだ。 だからこそ、オッサンになると魂の叫びであるブルースに共感できるようになってくるのではないだろうか。 中年を過ぎて、孤独や不当を味わってきたからこそ、誰かの話に深い共感が出来たり、相手の立場に立った考えが出来るのではないだろうか。 

 

 モンキーは多重債務者。 味合わなくてもいい苦境を自ら体感している。 人生への諦観と悲哀を覚えてしまったが、それでも生きていたい、やり直したいという一抹の切望を抱えている。 あぁそうか。 だから彼には哀愁があるのか。 ボクは一夜にして悟った。 彼にはブルースが似合う。 POPさをムリに出してもしょうがない。

・じゃあ哀愁感で勝負したらいいんじゃね?


 ビジネスではブルーオーシャン、競合が少なくてニーズがある分野で勝負をすることが鉄則だ。 ボクらで言えばYOUTUBEである。 

 わざわざ言うまでもないが、YOUTUBEは若者が主流になっており、地上波では出せない企画を素人がやって受け入れてもらえる可能性がある媒体だ。 

 しかし、YOUTUBE開設から14年。 2005年に若者だった視聴者も中年へと変わってきている。 トップのヒカキンだって30歳だ。 だとすれば、哀愁を知る大人が見たいブルージーなチャンネルがあっても良いのではないだろうか? 幸いながら哀愁感が漂っていて、 視聴者と人生の悲哀やこれからの展望を共有できるようなチャンネルは思い浮かばない。 

 モンキーと話してはいないが、そこにチャレンジする余地はあるのではないだろうか。 そこで、モンキーの写真に哀愁感を加えてみた。

元の写真がこちらで、次の写真が加工を加えたものだ。

 いかがだろうか? 個人的には悪くはないと思うが、もっと勉強が必要だな。

・今回のまとめ

 青春の進化系が哀愁。 ブルー・スプリングはブルースになるのだ。 哀愁を知っているからこそ、社会や家庭の厳しさを体感しているからこそ、ブルースが身についてくる。 それに波乱万丈が加われば味わいはグッと増してくる。 

 ブルージーなチャンネルはまだない。 それを立ち上げたら大人になった視聴者の皆様と共有しあえる何かが産まれるのではないだろうか。

 大人にとっての青春は哀愁だ。 哀愁があるからこそ、誰かに優しくなれるし、大人としての夢が抱けるのではないだろうか。 そんなことを思った。

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