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現代の小学生。あるいは生徒、学生に自由研究という課題を与える事に疑問を投げかける

この時期、夏休みシーズンに学校から渡される課題に、私は今、物申したいと思います。

それは、自由研究です。
まず、私が疑問に思ったのは、科学的な一例しかなかったということです。それは、学校から渡された自由研究のマニュアル的な書類からの話です。
お便り的に渡されていたのですが、
自由研究の一例として、科学的な研究の一例しかありませんでした。
文系である私からしたら、とても楽しくなかったです。

学力テストで算数の点数が悪くても、国全体が理系の評価が悪くても、
一例として、科学的な事しか書かないというのは、自由研究の視野が狭まることや研究に対しての好奇心というものが低下すると思うことなので、問題があると思います。

現在の小学校ではどのようなことが行われているのかは分かりませんが、小学生の時は学校の課題に対して何も面白いとも思えませんでした。

次に自由研究で資料集め、いわゆるネタ集めの方法というと、
図書館へ行き、関連とする本で調べること。
また、どこかの展示会へ行くこと。
そして、そこでやってきたことを自由研究としてまとめることで一つの自由研究としての完成形ということになります。

ですが、自由研究を書くためにする資料集めという作業というのは、各家庭によっては、大きな壁となると私は思います。

みなさんは、ニュースなどで、この日本に貧富の格差が広がりつつあることはご存知でしょうか。

年収何百万や何千万という財産を持つ家庭もあると思いますが、
その反面、子供の兄弟がいて、親が一人という母子家庭。
あるいは、父子家庭という家族がいます。
私も母子家庭の子供です。

そのような家族では、共働きの両親がいる家に比べて、
行えることが限られると思います。
とくに、金銭面では大きいでしょう。

また、先ほども書いた通り、
自由研究のネタとして行く展示会への参加も車を持っていない、
公共交通機関で行こうとしても時間や労力が掛かります。

そのことを考えた時に、小学校という教育機関から出された課題に全て答えなければいけないのでしょうか。

また、児童館などが解放されていても日数が限られ、
自由研究の他に出される学習課題も小学生で親に見てもらわずに、
自主的に行う子は全てなのでしょうか。

学校の方からそのような課題が出る出ないにしても、
学校側からのしっかりとしたサポートというのは必要ではないのでしょうか。

私はこの夏休みの期間であるから言いたいことです。
私が生まれ変わったら、学校の先生と学問の自由に対して戦う気持ちを持って生きていきたいです。