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着ぐるみが透けるとき、着ぐるみを愛でるとき


ここ最近は、本当によく『何かになる』『誰かになる』こととは何かを考えている。
別に自分自身に強い変身願望があるわけではないのだが。そこは前回書いた記事の通り、自己の力で切り開かないといけない精神があるから、己ありきの意識があるからかもしれないが。いわゆる、自己責任である。

着ぐるみ趣味の人とは、自身を消し去って着ぐるみを着ることにより別の何かを憑依させているようだ。
そんな話は先日この記事でした。

心の解放、周囲の目線や空気感からの解放。
素顔で生活している時の煩わしい空気感を打ち払うためにも、何かを憑依しているのかもしれない。


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前回の記事では、主にケモノ系着ぐるみを俎上に載せていた。
彼らの勢いはすごく、先日行われた日本で一番の規模を誇る『JMoF』というイベントは、TLで眺めていると年々その規模が膨れて恐ろしくなる。

その一方で、着ぐるみは着ぐるみでも別の種類がある。
それが美少女系・ドール系着ぐるみだ。
その字の通り、少女の容姿を象ったお面をかぶり、肌タイツを着てかわいい衣装に身をまとった人たちの趣味である。
着ぐるみ世界でも、片方ではこういう世界もある。

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筆者は、ケモノ系着ぐるみとの交流はいくらかあるのだが、こちらの着ぐるみ系は交流が皆無だ。
それだけに、中の人の感覚はまだ推し量れない状況である。
しかし、やはり彼・彼女らもまた何者かになっているのは同じ。
興味は湧いてくる。

そんな折、うってつけのトークショーが開かれた。

大川原脩平(舞踏家/仮面屋) × ひょっかめ『マスクとその“中の人”考』

である。

曳舟の駅から十分ほど行った場所にある、世にも珍しい仮面専門店『仮面屋おもて』店主大川原さんと、美少女系着ぐるみ製作者二人組のひょっかめさん達のトークショーである。

もしや、美少女系着ぐるみのことが知れるかもしれない、と思い仕事を早く切り上げて新御徒町まで向かった。

結果、大変刺激的なトークショーであった。
まだまだ知らない世界があり、奥深いなと改めて知らされる。

詳しく書き記すと有料で来た人に失礼なので簡略して要点をおさえてみよう。

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『継続的に仮面をかぶれるのか問題』
美少女系着ぐるみといえど、いくつか種類がある。
その中でもメインどことして、既存アニメのキャラを元に作り上げたものだ。
コスプレの延長戦にあるのだろうか。

しかし、既存アニメとなると当然流行り廃りが生じてくる。
10年15年前のキャラを着続けていたいのか? という疑問にどう対処するのだろう?

その点で、ひょっかめさん逹は長く使い続けられるデザインを意識しているそうだ。
だからこそ、オリジナルのこだわりがあるのだろう。
また、目や髪型などの細かいカスタマイズは可能なため、同じキャラでも時が経てば表情が変わったり、髪の色や目の色に差異を出して双子のキャラという設定にもできるという工夫が凝らされてるようだ。

こういう点は、職人魂・アート作品を意識すると共にビジネスとのバランスの兼ね合いも意識されていて実に卓越だなと思える。


『中の人が透けて見えるか否か問題』
非常に興味深かったのが、この中の人が透けて見えるかどうか問題。
よく、ディズニーランドやガチャピンなどを見て、「中の人などいない!」と冗談半分本気半分で言う人を見かけるが、着ぐるみを見ていてぶつかるのがここだろう。

ケモノ系は、結構そのへんを隠したがる人が多い印象だが、美少女系はファースーツではなく、人の型がくっきりわかってしまう肌タイツを着てる人が多く、嫌が上でも中の人は意識されてしまう。
この違いが、同じ着ぐるみでも如実に現れているのだなと認識された。

また、トークではガチャピンとふなっしーを対比にしていた。
ガチャピンは中の人は明らかに変わっているのだが、意識するのは野暮というやつ。
しかし、ふなっしーはガンガンに地声で喋って、ときにプライバシーを匂わす話もする(横須賀出身とか)。
ふなっしーは、恐れなく中の人を透かして見せている。
その対比が面白い。

今の情報化社会、まったくの素人でも個人情報が晒されるようなことがある中で、なかなか情報を隠し切るのは難しい。
そんな中で、中の人をひた隠しベールに包ませることはできるのか。そういう問題がそこにはあるだろう。

とはいえ、個人趣味でやっている着ぐるみ、どこまで中の人を見せるべきかの調節は難しい。
今回、ひょっかめさんとこのキャラをいつもやっている方(仮面を制作している男性)の素顔をはじめて目撃した。
別にショックなどまったくないのだが、それまでの表象的なイメージだけがあっただけに、なんとも奇妙な気分であった。

人によっては、『そのキャラを愛でていたい』という気持ちが強い人もいるだろう。つまり、中の人は見たくない問題。
透かすかどうかは難しく感じられる。

ちなみに、悪魔の仮面をつけている筆者はガンガンに透けて骨まで見えている状態だが。


『日本人はアーティストのストーリー性を見たがる問題』
中の人が透ける問題の絡みにもなりそうだが、これも個人的に興味惹かれた話。
西洋のアートを楽しむ人たちは、作家本人には興味ないらしい。その作品自体、その作品から流れる背景に興味を覚えるようだ。

しかしながら、日本人はその作家本人の裏側にあるストーリー性も読み解こうとするらしい。
だから、ギャラリーにおいて、西洋では作者本人が来ると煩わしく思われる、日本では喜ばれるようだ。

筆者も、個展を見に行くときは作者が在廊してる時が多く、よく質問を投げかけている。

まさに、中の人を透かそうとしているのだ。


『着ぐるみを愛でる問題』
美少女系着ぐるみを着ている人の感覚を知りたい気持ちもあったが、最後の質問コーナーでそことは違う面白い話が聞けた。

質問者の中から、自分が着ると可愛くなくなるように感じられる、という話が出てきた。
これは、イメージと演じられる技量のギャップだろう。
自分も、仮面をつけて人前に出てみたときに似たような感覚はあった。
なにかひと押し足りないと。もっとキャラのイメージを表現するには動きが甘いと。

そこに対し、ある人は他者が着ているところを眺めていたい・愛でていたいという意見も。
自分の理想的なキャラ像を、自分ではなく誰かに憑依させて愛でていたい感覚らしい。
なるほど、そういう感性の着ぐるみ趣味もあるのかと頷いてしまった。
この意見が、女性から出てきたというのもまた興味深い。

確かに、着てしまえばなかなか自分の存在は確認できない。そのキャラを愛でていたいのに、自らに憑依させてしまっては愛でにくい。
誰かに理想を演じてもらう感覚がそこにはあるのか。

やはり、ケモノ系と美少女系とでは、愛好者の感性に違いが出てくるのだとよく分かる意見であった。


当初、普段トークするイメージのないメンバーが集まってどこへ話が進んでいくのだろうと疑問に思っていたのだが、意外と刺激的で興味深い話ばかりで筆者は来たことに喜びを覚えた。

まだまだ美少女系の中の人の実態には切り込められていないものの、着ぐるみジャンルという広い括りとしては理解を深められたと思う。

最後はなんだか意気投合した人たちと酒を飲みに行こう! という話で盛り上がっていたが、自分もそういう意気投合できる何かが欲しいものだ。

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