箱にプロ処方と書いてある

もう1年も日記を書いていなかったらしい。
これと言って書くことがなくなってしまってからもう長らく経ってしまった。
起きて飯を食ってバイトに行く。もしくは学校に行く。帰って寝る。または少し絵を描く。
事細かに書くことのできない何かで日常が埋め尽くされた。
かといって生産をしているかというとそうでもない。
生活は消費の連続だ。
好きでもないペットボトルのコーヒーが入っていたペットボトルが部屋の隅に溜まる。
貰ったお菓子の袋。
電子タバコの吸い殻。
時間。

新年早々私は流行り病を患い5日ほど寝込んでいた。
幸いにも危機管理において才覚のある私の聡明なる思考判断のもと早期の伝達相談その他もろもろにより7日間の休みをもらうことで私が不覚にも受け継いでしまったバトンは誰かに手渡されることなく私の体の中で息絶えることになるのだ。
元凶をたどれば酔って寒いリビングの床で寝ころび喉を腫らした父がその風邪らしき何かをさっさと母と妹に移してしまったことであった。
その体の強さだけは受け継げず忌まわしきウイルスのみを受け継いでしまった私は幼少期以来の大発熱による悪夢と激しい喉の痛みでたたき起こされる苦痛を味わうこととなるのだからたまらない。
今年の正月もバタバタとあわただしく過ぎ去っていった。
最後に食べた餅の味も覚えていない。
黄色信号を急いで渡ってしまうような失敗を繰り返しているうちに気づけば大いなる行動力が試される瞬間を目の前にしようとしていた。
忙しくするのは嫌いである。
できれば程よい趣味と程よい収入でのらりくらりとモラトリアムを謳歌してみたいものであったが、そうこうしているうちに荒波の立つ崖っぷちのど真ん中にぬくぬくと押し出されようとしていた。
必要と必要の間に挟まれた窮屈なほどの余暇を必要のために消費する生活の中でむくむくと育ち続ける「こんなはずじゃなかった」をひた隠し、薄い布団にもぐり短い睡眠を取り、筆を手に取っては置き、迫りくる必要のために着替えをする。
はじめは小さな好奇心のようなものだった。
お絵かき、作曲、バンド、ヴィジュアルアート、マルチクリエイション、コンテンツメイキング。
それ、私もやってみたい。ただそれだけだった。
小さな魚の骨が突っかかるような些細な痛みがあっという間に全身に広がり大きな熱になった。
足りないものを補うための必要だった。
技術、機材、知識、感性、経験、お金。
次第に生活は必要のためのものになった。
稼いだお金で目を覚ますためのコーヒーを買い大学までの交通費を払い腹を満たすための食費になり大学に通い続けるための学費になり傷を癒すためのアルコールになり必要は必要のための必要になった。
全て3日間の悪夢で幻覚で空想で熱によるせん妄であればよかった。
これが3年間の現実であった。

体調はいかがでしょうか。発熱とありますが、高いですか?
ご飯は食べれていますか?おいしいですか?
喉が痛むようでしたら夕食は麺にしましょう。七草がゆを用意しました。縁起物なので食べてください。
水を飲んで、温かくしてよくお眠りなさい。
まだ、熱はありますか?

ひどい熱と倦怠感で体を起こすことすらままならない日が3日ほど続いた後にやってきたのは激しい喉の痛みであった。
固いお米を喉に詰まらせたような違和感は徐々に増し、やがて水を飲むことすら苦しくなった。
椅子に座り天井を見上げ肺に空気を送るたび、神経はご丁寧に咽頭の居場所を教えた。
微熱に浮かされる感覚はなおも続いていた。
平衡感覚が戻らず台所の食器棚に何度も体をぶつけた。
薬が効いて調子が良いときに飯を食い、眠たくなり横になれば寒気と喉の痛みで目を覚ます。布団をかければ突然発汗しだし、淡が呼吸を遮るので鼻をかめば喉をえぐる痛みで我に返る。
私は、焦っていたのかもしれない。
小さな薬を3錠ほどとコップ一杯の水を飲む。
部屋の灯りを暗くして天井を眺めているとスッと頭蓋骨の底が冷えてきてとても頭がよくなったような気がしてくる。
今何が書ける。

薬が効いてくると熱が下がり喉の痛みも和らぐ。
続いて眠気がやってくる。
よく効く薬なんだそう。箱にプロ処方と書いてある。
声は相変わらずガサガサしているような気がするが親曰くいつもと大して変わらないらしい。
もうちょっと休んでいけばいいと言われた。
鍋の底に張り付いたクタクタの白菜を皿によけながら適当な返事をした。
鍋にうどんを入れたいけどうどんがないと食べながら3回ぐらい言っていた母は最後に入れたラーメンには全く手を付けなかった。
眠いので寝ると言ったと思ったら9時からドラマを見るといい勢いよく起き上がってせかせかと何かの準備をしていた。
私は水を飲んで部屋に戻った。
まだ熱はありますか?
あれほど待ち望んでいた正月の連休はあっけなく過ぎた。
何を忘れることもなく何を祝うこともなく平日は訪れる。
部屋の灯りを暗くして天井を眺めていると少しずつ体が冷め心拍数が下がり不安を遠ざける。
私の生活はどこにあるのだろう。
ピピピと音が鳴り服の中から体温計を取り出す。
37度4分。
先端の金属のカバーがほんのり暖かくなっていた。


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